ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

三幕2話「不安」

公開日時: 2020年10月14日(水) 20:30
文字数:2,062

 隣の大スタジオでビッグバンドの練習が行われている中、オーディションに合格できなかったみなこたち三人は、小スタジオで練習を行っていた。ずっと個人練習をするのも退屈なので、気分転換に簡単な曲を三人で演奏する。狭いスタジオに響く航平のトランペットの音色は、まだどこかぎこちなさが残るものの、しっかりとした音色を奏でていた。


「思ったよりも音出るようになってるやん」


「そうやろ! 我ながら中々ええペースやと思ってんねん」


「航平に音楽の才能あったなんてなー」


 どんなもんだ、と言いたげに胸を張った航平に、みなこは平たい声で返す。早く自分もビッグバンドに入りたい。二時間ほど引き続けた左手の指先は、少しだけヒリヒリと傷んでいた。


「ちょっと休憩にするか」


 そう言って、航平は椅子に腰掛けた。逆に座りっぱなしだっためぐは立ち上がり身体を伸ばす。ちなみに、小スタジオにあるピアノは電子ピアノだ。


「伊藤は、ピアノ経験者やったっけ?」


「そうやで」


 ピタッとつり上っためぐの口端、それは作られた笑顔だ。自分の可愛さを最大限に出すための武器。航平は少しだけ照れくさそうにしている。男の子というのは、こういうのに弱いのだろうか。


「やっぱ上手やんな。受からんかったんが不思議なくらい」


「私もそう思う。私と航平はまだまだって感じやけど、めぐちゃんはクラシック系とはいえ長いことピアノしてきたんやし」


「織辺先輩にピアノさせるためにわざと外したとか?」


「そんなことする人には見えんけど?」


「いや、すまん。冗談や」 


 少し眉根を寄せたみなこに、航平はおずおずと頭を下げた。


「クラシックとジャズでは結構違うから。それに普段から織辺先輩は丁寧に教えてくれてるで」


 こちらに近づいためぐが、みなこの隣に座った。華奢なめぐの腕が、みなこの腕に絡みつく。めぐからは甘い香りが漂っていた。


「確かに、あの人はそういうことするタイプと違うよな」


「航平にそんなことが分かんの?」


「俺だってサッカー部である程度先輩を見てきたし、後輩の実力を妬むような人ちゃうってこといらい分かるって。ストイックに音楽してるタイプやで。それを周りに強要する派か自分に厳しいタイプかまでは分からんけどさ」


 確かに知子は、真面目で音楽と真摯に向き合っているタイプだ。とはいえ、部活の雰囲気として練習には強制参加というわけではなく融通が聞く。他人にも強要するタイプなら、練習の参加は強制なんてことになってそうだ。


「あと上手と言えば、井垣やな」


「あー、」


 急に佳奈の名前が出てきて、みなこは思わず声が漏れた。ずっと七海のことで気になっていたからだ。


「どした? あーこないだ夜に会ったとき言ってたやつか」


「ちょっと、それは」


 航平の言葉を、みなこは慌てて遮った。それが逆に怪しかったのかもしれない。腕に絡みついためぐの手の力が強くなった。興味津々と書かれた可愛らしい顔がこちらに近づき、くりっとした瞳に困惑する自分の顔が映り込んだ。


「こないだの夜って何ー? っていうか二人ってどういう関係なん?」


 夜、というところに強くアクセントが置かれていた。甘くとろけたような声には、ほんの少し大人な雰囲気が込められている。


「別に付き合ってるとかちゃうから」


 航平と声が重なる。それが無性に恥ずかしくて顔を赤らめたみなこに、めぐはなにやら分かった風にニヤけた。一体、何が分かったというのか。


「ただ、家が近所ってだけやから! たまたまスーパーの近くで会って話したっていう!な、」


「そうそう。ただの幼馴染ってやつ」


 二人で息を合わせて否定した。航平とは別に何もないのだ。恥ずかしがることなんてない。頬が赤いのは、めぐがおかしなことを言ったからだ。


「はいはい。で、この間のやつって」


 呆れたような言い回しで、めぐはみなこたちの言い訳を流すとあざとく首を傾けた。


「七海と井垣さんの話。七海のあーやってグイグイ行くところ井垣さんよく思ってない感じやん」


「確かにそうかもな」


「それでこいつが、井垣と大西が喧嘩するんちゃうかって心配してんねん」


「心配してるってほど大袈裟ちゃうけど、なんとなく嫌な空気やなぁって。孤高な感じの井垣さんと群れたがる七海は混ぜるな危険というか」 


「昔っからみなこは心配性やからな」


 こうして練習している間も、隣のスタジオで何かが起きるのではないかと胸騒ぎがする。それは航平の言う通り、昔からの悪い癖だと自覚しているのだけど。


「井垣さんやって怒ったりはせんのちゃう? もう高校生やし」


「めぐちゃんもそう思うんや。みんな大人やなー」


 めぐもあの時と航平と同じようなケロっとした表情でそう言ってのけた。こうして話を聞いていると、自分がまだまだ子どもっぽいことを突きつけられる気がする。


「人のことより自分の心配やな。たくさん練習して早ぉビッグバンド入れるようにならんと」


 航平がそう言って、トランペットを構えた。力強く息を吹き込み、綺麗な音を鳴らす。いつだって小さな不安は気づかない間に解消されていた。積極的ではないみなこは、今回もそうであることを願うしかない。


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