コンボを決めるオーディションが迫っていることもあり、部員たちは個人練習に勤しんでいた。
こうして夢中でギターを弾いている間は佳奈のことを考えなくて済む。頭の中を空っぽにして、演奏する曲のリズムとテンポだけに集中するのだ。人さし指と親指で掴んだ紺色のピック。弦を弾くたび、指の表面になめらかな感触がのしかかってくる。木目色のフェンダーを抱えながら、みなこは大樹が書き写してくれたタブ譜とにらめっこしていた。
「今のとこ良かったで」
「ありがとうございます」
「清瀬も段々、上手なってきたな。七夕のイベントは出れそうちゃう?」
「だと良いんですけど」
「カッティングのリズムも随分安定してきたし、『Little Brown Jug』ならステージ立てるはず」
「ほんとですか」
「ホント、ホント。まあ、それもこれも俺の教え方が上手いからやなー」
大樹はそう言いながら、冗談交じりで笑みを浮かべた。
「でも本当に大樹先輩のおかげだと思います。ずっと面倒見てくれて、先輩だって自分の練習あるでしょうに。こうやって毎回タブ譜にまで起こしてくれて」
「可愛い後輩のためやから」
自分で言った言葉が恥ずかしかったのか、大樹は照れを隠すようにギターを爪弾き始めた。明るいAadd9コードの響きだ。
「自分で言って、何照れとんねん」
声の主は里帆だった。椅子に座った大樹の背後に突如現れて、紙を筒状に丸めたもので彼の頭頂部をコツンと叩いた。
「別に照れてへんわ」
「清瀬ちゃん、キモかったらいつでも言いや。私がこうしてしばいたるから」
「なんでお前にシバかれなあかんねん」
大樹の言葉に、ふんと鼻を鳴らして里帆は去って行った。痛くはないだろう患部を押さえながら「何やねん、アイツ」と大樹が一人ごちる。
どうやら、小スタジオ側は休憩になったらしい。部員たちがぞろぞろと大スタジオの方へと戻ってきた。個人練習中は基本的に各々の判断で休憩を取るのだが、もしかすると金管組だけでセッションしていたのかもしれない。休憩に入った部員たちの空気に当てられたのか、大スタジオの雰囲気も少し緩んだ。
ずっと鳴っていたドラムやベースの音が止み、スタジオ内が人の声で満ちた。クラスのそれと変わらない雰囲気の中に楽器がある。その光景がなんだか不思議で、なめらかな肌触りのネックを掴む手に少し力が入った。音楽がそばにある。きっと中学の頃、バンドを組もうと七海と約束したのは、こんな空気感に憧れていたからだ。
そんな穏やかな日常を裂くように、サックスを抱えた佳奈が外へ向かう姿がみなこの視界の端に写った。みんなが同じ方向へ進む人混みの中を、一人逆の方向へと進んでいくようなその背中をふいに視線が追う。凛と伸ばされた背筋、そこには自信ではなく困惑と憂いが詰まっている気がした。
今しかない。どうしてそう思ったのか分からないけれど、みなこは気がつくとギターをスタンドに立てかけていた。手にはピックを掴んだまま。
「ちょっと出てきますね」
そう大樹に声をかけて、佳奈のあとを追った。
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