ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

一幕14話「花火の灰」

公開日時: 2020年11月12日(木) 20:30
更新日時: 2020年12月3日(木) 12:56
文字数:2,946

「誰かこっちのバケツ片付けてくれるー?」


 両手でダンボールを抱えたみちるが、辺りをキョロキョロと見渡していた。先ほどまで賑わっていたはずの公園に残っている部員たちは少ない。誰からの返事もなく困っているみちるを見かねて、みなこは彼女の方へ駆け寄った。


「私が運んでおきますよ」


「みなこちゃん、ありがとうね。それで運ぶ荷物は最後やから、運び終わったらホテルに戻ってええよ」


 バーベキューのあとは七海が提案していた花火が行われた。部員たちによってすっかり片付けられた公園にその面影はない。まだわずかに、空気に混じっている火薬の匂いとバケツの中に沈んだ線香花火だけに、祭りの余韻が残っていた。


 よいしょ、と声を出しながら、みなこは水の溜まった重たいバケツを両手で持ち上げる。


「みちる先輩のそれもライブハウスまで運ぶんですか?」


「ううん。これはレンタルしたものやから、持ってくのは別のところやよ。みなこちゃん、今日は楽しかった?」

 

「はい、とっても楽しかったです!」


「今年が最後やと思うとちょっと寂しいけどね」


 言葉のわりにその笑顔から寂しさは読み取れなかった。みちるの赤いリボンが夜闇に染められて、黒く濁っている。


「最後ですか……」


 先ほどまで騒がしかった公園が、しんとなっているせいかもしれない。自分が繰り返した「最後」という言葉が、みなこの心に切なく響いた。三年生にとってすべての行事がラストなのだ。そんなこと分かっているつもりだったのに。


「それじゃおつかれー、おやすみー」


「あ、おやすみなさい」


 みなこはバケツを抱えたまま小さく頭を下げる。みちるはニッコリと笑みを浮かべてライブハウスとは反対の方へと消えていった。



 *


 少しくらい公園の水道に水を捨ててくれば良かった。そんな後悔を抱きながら、重たいバケツを休み休み抱え、みなこはライブハウスを目指す。たぷたぷと揺れる灰と紙くずの浮かぶ水をこぼさないよう慎重に。うっかりひっくり返したら大変だ。


「清瀬さん?」


 ライブハウスまで半分ほどを切ったところで後ろから声をかけられた。ひくっと驚いたみなこは肩を竦ませる。ちょうど腕が疲れ、バケツを置いていたタイミングでよかった。みなこはおずおずと振り返る。声の主は横山だった。どうやら、ちゃんと片付いているか確認に行っていたらしい。


 地べたにおかれたバケツを見て、彼女が手を差し出した。


「やけに重たそうやな。持ったるから貸して」


「いやでも私の頼まれ事ですし」


「ほらええから、昼間の練習で疲れてるやろ? 明日も午前中は練習あるんやから」


「すみません、ありがとうございます」


 半ば強引に横山にバケツを取られた。それなりの重さがあるバケツを彼女は涼しい顔で持つ。


「ライブハウスも喫茶店もそれなりに重たいもの運ばなあかんねんでー」


 こちらの心情を読み取ったみたいに、横山は悪戯な笑みを浮かべた。それから彼女はゆっくりと歩き出す。


 ライブハウスのある四番町スクエアまでの路地は、長い石畳が続いていた。立派なお寺の門の前を横切っていく。チカチカと揺れる外灯に、大きな蛾が纏わりついていた。


「川上先生って、学生の頃どんな生徒だったんですか?」


 無性に懐かしくとても穏やかな夏の空気に触発されてしまったのか、意図せず出た質問だった。横山と川上が同級生だという話を聞いてから心のどこかで思っていたことだったのかもしれない。慌てて横山の方を見遣ると、彼女は随分優しい顔をしていた。


「どんな子だったか。うーん、基本は今とあんまり変わらんで?」


 長い友人である横山はそう言うけど、まだ子どものみなこにとって、大人な川上が子どもだった頃の姿を想像するのは容易ではなかった。  


「大学時代はバンドを組んでたって聞きました」


「あー、それは私が無理やり誘ってん。その当時の恵っちゃんはもう楽器のことがあんまり好きじゃなくなってたみたいやけど」


 みなこは昨日の横山が話していたことを思い出す。「器用に色んな弾けるせいで、自分には秀でたものがない」と当時の川上は悩んでいたらしい。それで結局は、楽器を辞めて教師を目指したようだが。


「でも上手だったんですよね?」


「うん。少なくとも私よりも格段に。流石にギターは負けへんけどね?」

 

 辺りの景色が開けて建物の雰囲気が変わった。オレンジ色の外灯も空気もすべてが大正時代にタイムスリップしていく。


「それじゃどうして川上先生は悩んでたんですか? そんなに上手だったなら、自信を持てば良かったのに」


「もっと上手な子が同期にいてなあ。それで嫉妬みたいなことかな。あー見えて、恵っちゃんは子どもっぽいところあったし。そこが可愛らしくてええとこなんやけどな。……もちろん、あの子は真面目で、ちょっと負けず嫌いで。でも意外と周りのことをよく見ていて、人に気を使う。先生には向いてる性格やったんかもな」

 

 たぷっとバケツの水が弾けた。バケツの底に沈んでいた真っ黒な灰がかき回され、上っ面だけが綺麗だった水を汚していく。思い出も同じかもしれない。今この瞬間に花火のように燃えている感情が、いつか灰になり水を濁してしまうのだ。


 そう思ったのは横山が何かを隠しているように思えたからだ。大人な笑みに潜む切なさの正体。それはバケツの中の線香花火みたいに、ボロボロになってふやけてしまっているみたいだった。


「でもさ、楽器が嫌いって話だって、もうずっーと前のことやで。何年経ってると思ってんの? 今のあの子の楽しみはあんたたちの成長を見守ることやねんから」


 横山の声が無理をしたように、ぱっと明るくなる。みなこはその言葉を素直に受けとめられない。きっと川上が自分たちの成長を喜んでくれているのは本当だ。だけど、その背後に潜む過去が、川上の本心を隠してしまっている。だけど、それを問い質すほど、みなこは無神経ではない。


 返す言葉が思いつかず一瞬だけ間が空く。その間を嫌ったのは横山だった。


「あー、みちるちゃんもあんなに大きくなって。私らも歳を取るわけやな」


 夏の空へ投げ捨てられたような言葉は、打ち上げ花火みたいに弾けた。


「横山さん、みちる先輩のこと小さい時から知ってるんですか?」


「あー、そうやけど……」


 つい口が滑った、と横山が動揺する。別にみちるのことを小さいことから知ってることに問題なんてない気がするのに。


「でも、これは私から話すべきことじゃないかもしれんな。……気になるなら本人に直接聞いてみて」


 淡々と告げられた言葉の節々には、僅かな脅しのニュアンスが込められている気がした。あなたに傷つく覚悟があるなら。そう言われている気がして、みなこは唇を噛みしめる。


 気がつけば、すでにライブハウスの前だった。横山がカフェテラスの方のガラス扉の鍵を空ける。


「今からならあと一時間くらいレッスン出来るけど、どうする清瀬さん?」


 ほんのりと珈琲の香りが店内から漂ってきた。甘く僅かに苦い香りがバケツの火薬の匂いと混じり合う。自分が大人になった時に、今の思い出はどんな風に映るのだろう。横山が抱えるバケツに視線が落ちる。だけど、一つだけ分かっていることがある。今はこの花火を燃やすしかないのだ。


 たとえいつか灰だけになろうとも。


 店の中へと入っていく横山に向かって、みなこは頭を下げた。


「お願いします!」

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