まっすぐ家に帰る気にはなれず、鶯の森駅の近くで七海と別れたあと、みなこは一人コンビニへと向った。一定の間隔で設置された白色の外灯だけが続くなにもない大通りの向こう側に夜の街並みが見える。小高くなった森の手前にやけに広い駐車場がり、その奥に青色の看板が灯っていた。
自分はやけ食いでもしに来たのだろうか。二十メートルほど向こうにあるコンビニの明かりを眺めながら立ち止まり、そんな自暴自棄な言葉を浮かべる。やっぱり帰ろう。そう思って、踵を返そうとしたみなこは背中から声をかけられた。
「あれ、みなこやん。おつかれ」
驚きを隠せず、肩を竦ませたまま振り返る。怖がるみなこを見て、ケラケラと笑うその声の主は誰だかすぐに分かった。
「げ、航平……」
「人を妖怪みたいに……。どしたん一人で、腹減ってんのか?」
「そういう失礼なこと平気で言わんといて」
ローファーのつま先で、航平のスネの辺りを蹴ってやる。力が弱かったのか、彼は痛がる素振りもせずに「ごめん」と素直に謝ってきた。
「そんなところで立ち止まってどうしたん」
「別にどうもしてないけど」
「なんか買いに来たんやろ?」
「まぁ……」
やけ食いしようと思った、などとは言えず、みなこは頷いておいた。柔らかく表情を緩めた航平の口元が、通り過ぎるトラックの激しいヘッドライトに照らされる。その口端が少し寂しそうに下がった。
「なんかあったんか?」
「なんで……?」
「なんとなく?」
「別になんもないけど……」
弱々しい声になるみなこに、「ホンマに?」と航平は首を傾げた。白いパーカーの腰元に手を当てながら、彼は小さな溜息を漏らす。
「そのわりに部活ん時から辛気臭い顔してるけど?」
「そ、そうかな?」
じっとこちらを見つめる航平の双眸はやけに真っ直ぐで、なんでもない夜の外灯たちを鮮やかな色で反射していた。
「悩みがあるなら聞くで。ほら、幼馴染やし」
恥ずかしそうに頬を搔きながら、航平の視線がそらされる。歩道の向こう側で連なる車のテールランプと通り過ぎていくヘッドライトが、彼の真っ白な服に絶妙なコントラストを添えた。
幼馴染という響きが、やけに気恥ずかしく、それでいてみなこに安心感を与えた。冷たい色をしたアスファルトの上で、二人分の影が伸びては車の明かりに流されていく。
「実はね――」
花と音楽のフェスティバルあとに起きた出来事を航平に説明した。佳奈と七海が衝突したことや佳奈がソロを断っていたこと。何度か航平には相談していたから、彼はすぐに話の全容を掴んでくれた。
「そっか。井垣がな……」
「今日、クラスではどんな感じやったん?」
「特に変わった雰囲気はなかったで。部活でも普通やったやろ?」
「そうやけど」
あまりの変わらなさに、みなこたちは驚いたくらいだ。それが余計に彼女の気持ちを分からなくしている。
「航平は井垣さんの微妙な変化に気づいてるかなって思ったのに」
「なんで俺が井垣の変化に気づくねん。同じクラスやからか?」
「男の子は、女の子の変化に気づくもんなんかなって。ほら、私が落ち込んでることに気づいたやん」
航平の頬が赤くなる。それを隠すように、大きな手のひらを口元に寄せた。
「それとこれとは違うって。お前は……ほら幼馴染やから」
「ふーん」
彼が何かを隠している気はしたが、その正体は分からず。適当な返しをしたみなこに、航平はスッと肩を落とした。眉尻を下げながら吐かれた彼の吐息が、湿った空気に混ざり合う。
「それで、どうするつもりなん?」
「そうそう。七海は謝りたいって言ったんやけど、それだとまた喧嘩になる気がして……。私が井垣さんに気持ちを聞いて来るって話になってもうてん」
「みなこが井垣に話を聞くんか? でも、それは直接大西が謝りに行くべき……あぁいや、そうか、大西か」
七海が謝りに行くべきというのは真っ当な意見だ。だけど、彼の中でもその後の展望が見えたらしく、額に手を当てながら少し考え込む素振りをした。
「……それでお前は悩んでると」
「私が井垣さんと話してどうにか出来るとは思えないんやけど、それ以上に七海が直接謝りに行くほうが危ない気がして。でも、七海がちゃんと謝るのが一番正しい行動のはずだから、私が間に入ることで、もし井垣さんが怒ったらって考えると……」
七海が謝りに行ってはいけない。それはこちらの一方的な見解だ。佳奈本人がどう思っているのを考慮していない。
スウェットのポケットに手を入れながら、航平が夜空を見上げた。普段から彼を見上げなければいけないみなこは、それにつられてさらに首を上げる。藍色の夜空には、いくつかの星が煌めいていた。
「井垣が大西の行動を怒ってるなら、みなこが仲介役になるのは間違ってないと思う。井垣本人もそれは分かってるんちゃうかな。少なくとも、みなこがちゃんと説明すれば分かってくれるって」
「だといいんやけど」
「お前は大西と違って、人当たりがええから大丈夫」
「みんなにも言われたけど……そうなんかな?」
「みなこは敵対心がないから。向こうも心開きやすいんちゃうかな」
敵対心。七海だってそういう物を持ち合わせてはいないだろうけど、時として尖った刃が無意識のうちに出てしまうことに彼女は気づいていない。人は何を言われたくないのか。そういうことを自分は無意識的に察して、出来るだけ波風が立たないように振る舞っているらしい。人に言われて気づくこともある。自分の性格を自覚するのは難しいのだ。
「でも、井垣さんの心を開けるとは思えんから」
「そん時は大西が素直に謝るしかないな。悪気があったわけじゃないんやし」
「それでも駄目だったら?」
「……先生や先輩に相談するんは違うって思ってるんやろ?」
「うん」
分かりきった質問だった。先生や先輩に相談するのは最後の手段なのだ。だから、やらなければいけないことに、自分はこうして悩んでいる。六月間近のヌルい風が、みなこの夏服を通り抜けていった。
「それと、こういうのは早い内がええかもな。時間が解決してくれることもあるやろうけど、逆に溝を広げることもある。時間が立てば立つほど、言いづらくなることもあるし」
「うん」
自分に言い聞かせるように、みなこは頷いた。航平の言う早いうちとは、明日なのか明後日なのか。いつも悩みを先延ばしにするみなこにとっても、その差は歴然としているように思えた。
「まー、今日はなんか奢ったるからコンビニ行こうや」
「え、いいの?」
「特別やで」
乱雑に髪を搔きながら、彼はコンビニの方へ歩き出す。白いパーカーが揺れるその背中がなんとなく大人っぽくて、みなこは肩にかけたスクールバッグをぐっと握りしめた。
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