回想という名の列車は、いつの間にか終着駅に着いていた。激しく揺すられていた鼓膜は、まだ名残惜しそうにトランペットの残響に酔いしれている。ふと、視線を上げると、航平の唇がマウスピースから離れる瞬間だった。
「中々、良かったんじゃない?」
満足げに口元を綻ばせて、航平は優しい言葉を紡ぐ。みなこが頷けば、彼は少年のような屈託のない笑みを返してきた。
照れてないフリをして、ストラップを肩から外し、みなこは大げさなため息をついてみせる。スカートのポケットに入れたカイロをくちゃくちゃと握って、その温もりを確かめた。
「てか、なんで航平がおるん?」
「やから、みなこのお母さんから朝練してるって聞いたから」
「それは分かったから。朝練してるって聞いたからって来る理由にはならんやん」
それはそうだ、と言いたげに航平の肩が落ちる。観念したような吐息が暖かい部室の中へと溶けていった。
「渡さなあかんなと思ってさ」
「渡す? 何を?」
「ほら、」
少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら、航平はトランペットをケースの中へと仕舞った。それから、彼の足元に置かれていたエナメルバッグのチャックが開いたのを見て、回想の中であったシーンと重なり、みなこは少しだけドキッとした。
「バレンタインにチョコ貰ったからさ」
可愛らしいピンク色に包まれた小さな箱。それを見て、今日がホワイトデーであったことを思い出した。バレンタインにチョコを上げた時は、ホワイトデーのお返しで、四苦八苦する彼が見たいと思っていたのに。無事に渡せた安心感ですっかり今日のことを忘れてしまっていた。
「チョコのことは良く分からんから、百貨店で良さげなやつ買ってきたんやけど。どうかな?」
どことなく航平が照れている気がするのはどうしてだろう。バレンタインは義理のつもりで渡したから、それほど意識する必要は無いのに。けど、もしかしたら溢れ出る思いが伝わってしまっていたのかも知れない。クリスマスの魔法は、二十六日の朝に解けることはなく、それ以降も胸をドキドキと弾ませ続けているから。
だとすれば、彼もまたクリスマスの頃のみなこ同様に、足元に書かれていたはずの幼馴染の線が無くなっていることを戸惑っているのかも知れない。けど、先にそれを超えてきたのはそっちじゃないか。心の中でみなこは少しぶりっ子気味に唇を尖らせる。
「ありがと」
みなこは、あくまで義理チョコへのお返しとして、なんともないふりをしてチョコを受け取った。満足してもらえるか不安そうな航平を見て、みなこは少し満足げに包装を解く。蓋を開ければ、ちょっとお高めの海外ブランドのチョコレートが顔を出した。ハート型とたまご形のチョコレートが四つずつ。カカオの香りがスタジオに広がっていく。
ハート型のチョコを一つ摘んで、みなこは航平の口元に差し出した。
「航平も食べたら?」
「ええの?」
「二人で食べた方が美味しいでしょ」
「違いないな」
かぶりつくのが照れくさかったのか、航平は顔のそばまで来ていたチョコを手のひらで受け取った。口の中に放り込み、「ちょっとビターやな」と渋い顔をする。
「ビターの方が好きやからちょうどええよ」
「そりゃ良かった」
今すぐにどうにかなりたいというわけじゃない。少しずつ、少しずつ。お互いの気持ちを確かめながらで構わない。クリスマスのような刹那の魔法ではない、確かな恋という魔法に自分たちは掛かっているのだから。
――つまり、今はまだ幼馴染から逸脱しないこの関係が心地よい。
『ブルーノート 第四楽章 クリスマスライブ ラブストーリー』 了
第五楽章に続く。
☆あとがき
二年生編を前に本編に入れられなかったクリスマスの出来事を書かせていただきました。みなこの回想の中にあった夏頃の航平から誕生日プレゼントを渡されるエピソードも、同じく本編に入れたかったストーリーなのですが、本筋から逸れそうだったので、今回の第四楽章に収めさせて貰いました。
今回のエピソードの執筆にあたり、「はたして二人は素直に恋愛するだろうか?」と少し悩んだのですが、「中々、お互い踏み込めなさそうだな」というのが私の結論です。航平の行動もどこまで大人びて、どこまで恋愛だと意識していたかは、結局のところ曖昧なままにしています。彼なりのアプローチだったのかも知れませんし、本当に幼馴染としてプレゼントを渡していたのかも知れません。
そして、こういう好きか嫌いか探る微妙な距離感が、青春の心地よさであったと遠い学生時代を振り返り思うのです。学生時代というのもクリスマス同様に、短く儚い魔法のような時間ですから。
さて、肝心の二年生編ですが、現在プロット作りをしていますので、連載再開まで少々お時間を頂きたく思います。
再開の時はまた楽しんで頂けるよう頑張る所存ですので、どうぞよろしくお願いします!
伊勢祐里
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