『第二楽章 特別な文化祭』
夏休みに入った宝塚南高校ジャズ研究会は、文化祭に向けて準備をはじめていた。そんな中、合宿先でみなこは先輩たちのとある会話を偶然、耳にしてしまい……
宝塚南高校ジャズ研究会の特別な文化祭が始まる――
キラキラとした春の陽射しが、学校まで続く長い坂道を照らしつけている。真新しい自分のローファーが軽快な音を鳴らしているのは、憧れだった制服に袖を通しているからだろうか。だけど、杏奈の胸を弾ませているのは、きっとそれだけじゃない。
この学校に入学できれば、ぜひ入りたいと思っていた部活があった。中学生の頃は、吹奏楽部で練習に明け暮れていた毎日だったから、高校では絶対に遊んでやると心に決めていた杏奈の思いをころっと変えてしまう出来事があったのだ。
去年の秋前に行われた宝塚南の文化祭。オープンスクール代わりにと、宝塚南に進学した吹部の先輩からチケットを貰い友達と遊びに行った。その時に観たジャズ研の演奏が忘れられなかったのだ。
杏奈はそれまで、ジャズというものをあまり聴いたことがなかった。ジャズの曲を吹部で演奏することは度々あったが、原曲を聞く機会はほとんどなかった。だけど、たまたま覗いた視聴覚室で行われていたジャズ研のパフォーマンスがあまりに素敵で、「絶対にこの高校に受かってジャズ研に入るんだ」そう心に決めて、杏奈は必死に受験勉強を頑張った。
「皆さんの中に楽器経験者の方はいますか?」
入部初日にそう告げたのは、三年生の部長だった。部長と言えばピリピリとしたイメージがあったが、優しそうな人だった。上級生を前に、一年生が一列に並ぶ。隣に立つ男子が手を上げた。それに少し遅れて、杏奈も元気いっぱいに手を挙げる。
「五人中、経験者は二人か。二人は何の楽器やってたん?」
部長の問いに、男子生徒が答えた。
「中学の時は、吹部でトロンボーンをしてました。でも高校ではギターをやりたいと思ってます」
答えた男子生徒のその奥で、何が気に食わなかったのか、双子と思しき姉妹の片方が少しだけ顔を歪めた。憎たらしさを孕ましたその瞳の奥には、なんとなく優しい感情が潜んでいる気がした。
「それとこっちの事情やけど、今、うちにはベースがおらんくて……もちろん希望の楽器優先で決めるけど、初心者の方の中で希望の楽器がなければベースを希望してくれると嬉しいです」
去年の文化祭ではベースの人もいたはずだが、卒業してしまったのだろう。人数が少ないのはジャズ研の人気がないわけではなく、この学校自体の生徒数自体の問題だと杏奈は思った。楽器の担当者がいないなんて、百人近くいた中学の吹部の頃は考えられなかった問題だ。
「えーと、それじゃもう一人の経験者の子は?」
部長に問われて、杏奈は大きな声で答えた。
「はい。私も東中の時は吹奏楽部に入ってまして、部長もしてました」
「へー部長か。それに東中って言ったら、大会でも毎年かなりのとこまでいってるんじゃなかった? 吹奏楽部じゃなくてええの?」
「はい。宝塚南の吹奏楽部は、人数も少ないですし……それに去年の文化祭で先輩方の演奏を聴いて、ジャズをどうしてもやりたくなったので!」
「そっか。それじゃ、あなたの希望楽器は?」
そう訊ねられて、杏奈は肺の中にたっぷりと空気を吸い込む。スタジオ中に漂う少し埃っぽくてひんやりとした空気が、身体の全身に流れ込んできた。
「希望は、トロンボーンです!」
吹奏楽部を引退した日から頑張っていたのは勉強だけではない。少しでも上達しようと、杏奈はたくさんジャズを聴き、楽譜を買って受験勉強の合間にずっと練習を続けてきた。
文化祭での先輩たちの演奏、それがずっと耳に残っている。あのステージでトロンボーンを奏でたい。それが杏奈の密かな夢だった。
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