ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

一幕9話「混乱」

公開日時: 2020年12月31日(木) 19:10
更新日時: 2020年12月31日(木) 23:57
文字数:3,639

 オーディションの結果が気になってしまっているせいか、いつもより早い時間に目が覚めた。寝転んだまま見つめる天井はまだ薄暗い。カチカチと響く時計の針の音をしばらく聞いてから、みなこは身体を起こした。

 

 結局、めぐからは何の連絡もない。三年生だけの会議に出席していた理由くらい知らせてくれてもいいのに。そんな風に思うのは、佳奈から電話があったせいだろうか。それに、目が覚めたのはオーディションの結果が気になったからじゃない。一年生のグループメッセージは文化祭の時の連絡で止まったままだ。

 

 とはいえ、めぐからの連絡が何も無いということは、会議は無事に終わり選考も問題なく済んだのかもしれない。わざわざ、報告しなくとも結果発表があれば分かることだ。めぐ本人も、まさかここまで心配されていると思っていないのだろう。

 

 支度を整えていつもより早い時間に家を出た。七海に早く行く旨を連絡すると、すぐに既読の文字が付く。どうやら七海も早く目覚めてしまったらしい。

 

「おはよう」

 

 鶯の森で待っていると、しばらくして七海が現れた。大きな欠伸を七海が溢せば、ドラムスティックはカラカラと音を立てる。

 

「おはよう。みなこも結果が気になって眠れんかったん?」

 

「眠れないってことはないけど、気になって目が覚めてもうた。七海は眠れんかった?」

 

「うん。落ちてたらどうしようって考えると目が冴えてもうて」

 

「意外とネガティブなこと考えるんやな」

 

「うちはいつでも色んなことを真剣に考えてるから!」

 

 薄っすらと涙袋の下に出来たクマがピクリと震える。七海は、みなことは反対で問題を先延ばしにされることが苦手なのだろう。待たされることが苦手で辛抱できず、答えをすぐに知りたがる。

 

「それなら、もうちょっとその思考を数学に割こうね」

 

「数学に回せる余力はないですぅ」

 

「分かってる? テストの結果次第では選ばれても大会に出られへんねんで」

 

「あー、今週末の中間が怖い」

 

 明日からはテスト前のため部活は休みになる。再開するのは、テストが終わる金曜日からだ。ただ、土曜日には保育園の演奏会があるため、部活が休止になる期間も一年生は特別に一時間だけ練習の時間を貰えることになっていた。

 

「電車の中で眠っとき。日曜やし座れるやろ。また起こしたるから」

 

「ありがとーみなこー」

 

 欠伸で潤んだ七海の眼には、眩しい朝陽に染まった鶯色の駅舎が映り込んでいた。

 

 

 

 

 昼前、部室に全員が揃ったタイミングを見計らったように、結果発表の紙を持った知子が現れた。今日オーディションの結果を報告するから部室に顔を出すように、という旨の連絡が回ってきたのは、みなこが学校に着いて一時間ほどしてからだった。

 

「お待たせしました。オーディションの結果を発表します」と手を打ちながら彼女は部員を睥睨する。

 

 個人練習をしていた部員たちは演奏する手を止めて、知子の方を見遣った。一斉に集まった視線に、知子は臆することはない。彼女の後ろには、いつもよりも少しだけ暗い顔をしたみちるが立っていた。

 

「昨日はオーディションお疲れ様でした。まずは、今回、合格の発表が遅れたこと。それから一年生と三年生は、明日からテスト週間が始まる中で、こうして日曜日に全員を集めることになってしまい申し訳ありませんでした」

 

 深く頭を下げた知子に一瞬遅れて、みちるも頭を下げた。謝る必要なんてないのに。そもそも、大会のひと月前だから、言われなくとも殆どの部員が出席するつもりだったはずだ。それは部員全員の総意だったようで、謝罪に対してみんな少しだけ困惑した様子だった。

 

ちなみに、二年生は修学旅行の関係で、中間テストは先に行われているため、明日からも部活は継続される。

 

「それでは結果を発表して行きたいと思います。呼ばれた方は、返事をしてください」

 

 部員たちに緊張感が走る。一年生にとっては初の、三年生にとっては最後の大会だ。泣いても笑っても、結果はオーディションでどれだけ力を出せたかだけで判断されているはずだ。それにコンボに選ばれたい気持ちは誰もが同じはず。

 

「まずは、ドラム。大西七海」

 

「はい!」

 

 目に出来たクマに皺を寄せて、七海が元気いっぱいに返事をする。その笑みを見て、みなこは少しだけホッとした。

 

「トロンボーン。笠原桃菜」

 

「はい」

 

 淡々とした返事だった。その落ち着きは、自分の実力をしっかりと認識している証拠だ。例え上級生が相手でも負けない自信、それは彼女が持って生まれた才能と積み重ねてきた努力の賜物だろう。

 

知子は、さらに名前を読み上げる。

 

「ギター、伊坂大樹。トランペット、久住祥子。ベース、谷川奏」

 

 奏の名前が呼ばれた瞬間、みなこの視線は杏奈の方を向く。彼女は朗らかな笑顔で、奏の選出を讃えていた。恥ずかしそうに返事をして頭を下げる奏に、杏奈はくすりと笑ってみせる。その双眸に悔しさは僅かにしか宿っていなかった。けど、そのほんの少しの悔しさだけが、彼女を楽器へと向かわせているに違いない。

 

「サックス、井垣佳奈」

 

「はい」

 

 そう返事をした佳奈の眼差しは、桃菜が持っている自信とはまた別の色合いに感じた。プロになるという未来への期待に照らされた明るい瞳。夢への希望と不安がちょうどいい塩梅で混ざり合っている。ほんの僅かなバランスの差で崩れてしまいそうな天秤の上で揺れる心が、彼女が生み出す音楽の魅力を最大限に引き上げているのだ。

 

「そして、ピアノ。織辺知子」

 

 最後に、知子が自身の名前を読み上げて発表は終わった。

 

奏の選出は少々サプライズだったかもしれないが、基本的には順当な選出が行われた。選ばれなかった部員たちは、悔しさを滲ませているが異論はないはずだ。三年生が二人、二年生が二人、一年生が三人。上級生がいないセクションもあるとは言え、一、ニ年生がしっかりと選ばれているということが、この部活は実力主義であることを証明していた。努力をすれば、しっかりと評価してもらえる。それは間違いなくモチベーションに繋がる。

 

 ――来年こそは自分も。たとえ、彼にとって最後の大会になると分かっていても、大樹からそのポジションを勝ち取りたいと奮い立っている自分がいる。それは勝負と真摯に向き合っているみんなの姿を見ているからだ。

 

 発表の緊張感から開放された部員たちは、ざわざわと騒ぎ出す。選ばれなかったからには、選ばれたものを応援するしかない。未選出の部員も、ビッグバンドでは大会に出場するのだ。より良い成績を収めるために、部を一つにしよう。そんな思いが言葉になって現れ始める。

 

「おめでとう」「良かったね」「来年こそは」

 

そんな言葉が飛び交う中、騒ぎを鎮めるように知子が手を打って、部室はしんと静寂に包まれた。

 

「それと、もう一つ。ビッグバンドの件ですが、伊坂くん、鈴木さんにはこれまで通りトロンボーンをやってもらいます」

 

 それは以前と同じ配置だった。部員の誰もが、これで発表はお終いと思ったはずだ。だけど。――それから。その後に知子が続けた言葉で、部室は再びざわめき出す。それは形容するなら混乱という言葉がよく似合っていた。

 

「……伊藤さんは、今回のビッグバンドは不参加になります」

 

「なんでですか?」

 

 真っ先に声を上げたのは里帆だった。

 

「なんで、伊藤ちゃんがビッグバンド、不参加なんですか?」

 

「昨日の会議で決まったことです」

 

 詰め寄った里帆に、知子は凛とした態度で答えた。しかし、里帆も納得していない様子で、更に食ってかかる。興奮が抑えられないのか、彼女は数歩、知子に歩み寄った。低い二つ結びが激しく揺れる。

 

「いや、普通におかしいでしょう。伊藤ちゃんは、夏前のイベントでビッグバンドに合格してたはずですよ」

 

「確かに、ソリオのイベントでビッグバンドの合格を出しました」

 

「だったら……!」

 

「けど、それと大会は別です!」

 

 いつもとは違う雰囲気の知子の言葉に、部員たちは押し黙ってしまう。あまり部員たちと積極的にコミュニケーションを取らない知子だが、円陣の時の掛け声など、普段から優しいイメージがついている。そんな彼女がこれほど強い言葉で言い切るとは思わなかったのだ。

 

「伊藤ちゃんは納得してるんですか?」

 

 里帆の肩に手をかけて、美帆が小さな声を紡いだ。しんとした部室に、可愛らしいその声はしっかりと通る。視線は知子ではなく、めぐの方を向いていた。

 

「……はい」

 

 俯いたまま、めぐが小さく頷いた。心なしかツインテールが切なく揺れている気がした。

 

「ほんとにそれでええの?」

 

「昨日、話し合いましたから」

 

 本当に納得しているの? そう言いたげに、里帆と美帆は同じ顔つきでめぐを見つめる。下唇をぐっと一度噛み締めて、めぐは「大会頑張ってください。応援してます」と硬い笑みを浮かべた。

 

「大会に向けての発表は以上です。本日は個人練習とします。セッションの再開は、テスト明けの金曜日からです」

 

 知子は、これで話は終わり、と言いたげに三度ほど手を打った。それから気まずい空気から逃げるように、彼女はすぐに部室を後にした。

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