ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

二幕5話「保育園」

公開日時: 2021年1月12日(火) 19:10
文字数:3,643

「みんな今日は楽しかったかなー?」

 

 めぐの呼びかけに返って来たのは、元気いっぱいな子どもたちの声だった。

 

演奏会の序盤は、園児の興味を引くために、子ども向けアニメのオープニングや童謡をジャズ風にアレンジして演奏しつつ、最後は定番のジャズの曲で締めた。知っている曲が流れているという好奇心が、それぞれの楽器の音が美しく調和されていることへの好奇心に上手く変わってくれたらいい。そんな思惑を思って組んだセットリストだった。

 

子どもたちは素直だから、楽しくなければ、すぐに興味を失せてしまうはず。はじめは何が起きるのかと不安と期待が入り混じっていた表情が、気がつくと屈託のない瞳でこちらを見つめていた。

 

つまり、演奏会は大成功だ!

 

「それでは、以上、宝塚南高校ジャズ研究会でした! ありがとうございました!」

 

 めぐの挨拶に全員で頭を下げれば、一斉に拍手が巻き起こる。「みんなお姉ちゃん、お兄ちゃんたちにお礼を言いましょうね」と保育士さんが言えば、「ありがとうございました!」と子どもたちが大きな声で笑みを浮かべた。

 

 無事に演奏会は終了。保育士さんたちに引率されて、子どもたちは別の教室へと移動した。みなこたちは片付けを始める。ギターをケースに仕舞ったタイミングで、制服の裾が急に誰かに引っ張られた。

 

「おっと」

 

 屈んでいたせいでバランスを崩して、危うく尻もちを付きそうになる。振り返ると、可愛らしい桃の形の名札をつけた女の子が、みなこのブレザーを掴んでいた。

 

「とってもかっこよかった!」

 

 あまりに真っ直ぐな感情表現に、みなこは思わずたじろいでしまう。素直な意思表示は七海で慣れていたつもりだったけど。みなこが気付かない間に、七海も七海なりに大人になってしまっていたらしい。子どものそれには遠く及ばない。お礼を言わなくちゃ、と慌てたせいで「あ、ありがとう」と声が上ずってしまった。

 

 下手くそなみなこの笑顔に、一瞬だけ彼女の表情が曇る。せっかく音楽に興味を示してくれていたのにどうしよう。そう思ったタイミングで「あなたも楽器やってみたいの?」と、めぐが女の子の頭を撫でた。

 

「うん! やってみたい!」

 

「そっか! どの楽器がかっこよかったのかな?」

 

 めぐは上品な仕草でしゃがみ込み、女の子に視線を合わせた。ニッコリと優しい笑みを浮かべると、コクリと首を傾げた。少し低い位置に作られたツインテールが揺れる。

 

「このお姉ちゃんのやつ!」

 

女の子もすっかり機嫌が良くなり、頬を赤らめながら、みなこのギターケースを指差した。

 

「このお姉ちゃんが演奏してたのはねー、ギターっていう楽器だよ」

 

「ぎたー?」

 

「そう!」

 

「私も弾けるかな?」

 

「練習すればね。子ども用の小さい楽器もあるはずやから」

 

 女の子の目はキラキラと輝いた。憧れの色に塗りつぶされた双眸は、間違いなく自分の方を向いている。楽器を演奏することで、これほど人の心を動かせるのだと、みなこは初めて実感した。

 

 その目を見て思い出したのは、七海とバンドをしようと約束をした時のことだ。熱心に誘ってきていたあの時の彼女の目もこんな風にキラキラと輝いていた気がする。けど、その話をすれば、七海に「鏡を見てみろ」と言われるかもしれない。音楽の魅力に取り憑かれたのは、みなこも同じだからだ。

 

「私が始めたのはあなたよりもっと大きくなってからやから、今から始めれば私よりずっと上手くなれると思う」

 

「ほんと?」

 

「うん。きっと、どんな曲でも演奏できると思うよ」

 

 みなこの言葉に、女の子は見様見真似でギターを演奏しているフリをした。格好だけは一人前のギタリストだ。

 

「上手い! カッコいい!」

 

 女の子はどんなもんだ、と言いたげにフンと鼻息を荒くした。その動きはジャズではなく、ロックチューンな動きだったけど。どんなジャンルでも自分がきっかけでギターを始めてくれるのは嬉しい。

 

「えーっと、」

 

 一つ、ゴホンと咳払いをして、めぐが女の子を見つめる。「みんな別の教室に戻ってるんちゃうかな? 先生に着いていかないと」と優しく彼女に問いかけた。

 

「ホントだ!」

 

 みんなとはぐれたことに気づいていなかったらしく、女の子は不安そうに辺りを見渡した。この教室には、保育園の人は誰も残っていない。

 

「自分の教室分かる?」

 

「うん!」

 

「それじゃ、お姉ちゃんと一緒に戻ろうか」

 

 そう言って、めぐが女の子の手を取った。彼女は本当に面倒見がいい。

 

「めぐは子どもに好かれるなぁ」

 

 ドラムスティックで肩を叩きながら、しみじみと七海が呟く。

 

「めぐちゃんは誰にでも好かれるタイプやって」

 

「あれ、みなこ嫉妬ぉ?」

 

「嫉妬はしてへんから」

 

 クスクスと七海が口元に手を当てる。七海のからかいは、どういうニュアンスのものだろうか。ただ単純に「女の子にめぐを取られたぞ」と言っているのか、「めぐとは違って、みなこはあまり好かれるタイプじゃない」と嫌味を言われているのか。

 

 七海の発言に神経質になるのは馬鹿らしい。深い意味なんて無いはずで、後者のニュアンスで七海がからかって来るなんてありえないと思う。だけど、ふと頭にその可能性が過ぎってしまうのは、自分がめぐのように誰からも好かれて、面倒見のいい人間なら、今のめぐにちゃんと寄り添えていられると思っているからじゃないだろうか。

 

 自分は、めぐに対して嫉妬心に近い感情を抱いている。けど、今のみなこの中に渦巻いている感情に名前を付けるなら、憧れという言葉になるはずだ。そうでありたいと願う将来の副部長としての自分とめぐを重ねてしまっているに違いない。

 

ゴホン、と佳奈が注目を集めるように空咳を飛ばした。

 

「伊藤さんは頼れるリーダーやけど、みなこもちゃんとやってると思うで」

 

 佳奈は、七海の発言を後者の方だと解釈したのだろう。けど、そんな不穏な意図などない七海は、「うん! みなこも頼れるで! いつも、うちに数学教えてくれるしなぁ」と、お気楽な反応を示す。困った様子で眉尻を下げる佳奈の反応にも気づかない。

 

それから、七海は手に握っていたドラムスティックをスクールバックにしまった。ちなみに、この人数で学校からドラムセットを運び出すのは困難なのだが、保育士の人にドラムをやっている方がいるらしく、その人のドラムセットを毎年借りているらしい。

 

「でも、演奏会も成功してよかったな。佳奈の言うようにまとめてくれためぐのおかげやわ」

 

「そうやな。保育園との連絡事項の確認とかも任せっきりになってもうたしな」

 

 七海の言葉に、トランペットケースを抱えた航平が同調した。それに続くように、奏が申し訳無さそうに言葉を紡ぐ。

 

「今日のMCや曲の最終決定もめぐちゃんに任せちゃったもんね。もう少し私にも何か出来たのかも」

 

「せやから、めぐだけ大会に出られへんのはやっぱり残念やな」

 

 七海の呟きはみんなのため息に飲み込まれていく。みんながそう思っている時点で、自分は在るべき役割を果たせていないんじゃないだろうか。奏がもっとやれることがあったと責任を感じるべきじゃない。それをしなくちゃいけないのはみなこだ。この演奏会で明らかになったことは、自分には副部長なんていうポジションは向いていないという初めから明白だった事実だけだった。

 

「伊藤が戻って来たら保育士の人らに挨拶回って帰ろうか」

 

 航平が荷物を一箇所にまとめ始める。配線などの機材を、学校に一度立ち寄って部室に戻しておかなくちゃいけない。

 

「よし、片付け終わったら打ち上げやー!」

 

 はしゃぐ七海の声を聞きつけたように、「あんたの目的はそれか!」とめぐが叱り口調で入ってきた。

 

「みんなでご飯食べるの楽しいやんかー」と七海は口を尖らせる。

 

「そうやけど。まったく、呑気なやっちゃな」

 

 めぐの表情が穏やかなものに変わったのは、演奏会が無事に終わった安心感からだろうか。めぐが解き放たれた責任感の分だけ、みなこには罪悪感が押し寄せて来た。本来ならば、めぐが背負っていた物の半分くらいを自分が手伝ってあげなくちゃいけいはずだ。

 

「打ち上げはみんな行くんやんな?」

 

めぐの問いかけに、「うん。今日は、音楽教室ないから」と佳奈、「お母さんには伝えてあるよ」と奏。反応のない航平にはみなこが再度訊ねた。

 

「航平も来るやんな?」

 

「俺も行ってええんか?」

 

「そりゃ、一緒に演奏したんやから。仲間はずれにはせんよ」

 

「ほら、女子ばっかやからさ」

 

 女子ばかりだから気を使ってくれたのだろうか。「そんなん気にせんでええやん」とみなこが言えば、「照れるやん」と浮ついたように表情が緩む。

 

「どうせ私だけじゃ照れることはないですよねー」

 

「そんなこと言ってへんやん」

 

 こちらのやり取りを佳奈がなんとも可笑しそうに見ていた。それも相まって腹立たしくて、みなこはふんと鼻息を荒く機材を台車に乗せる。

 

「ほら片付けるで、帰る準備!」

 

 何を怒ってるんだ、と言いたげに航平が肩を落とす。自分でだって、どうして怒っているのか分からない。様々な感情が混ざってしまったせいだ。そしてその主成分は、不甲斐なさに違いない。

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