「あれ、お弁当は?」
黄色い布に包まれたお弁当箱を両手に抱えた七海が、こちらを見ながら不思議そうに首を傾けた。「ダイエット?」と続けて訊ねられ、みなこは頭を振って答える。
「お母さんが朝から用事あって、今日はお弁当ないねん。だから、食堂で食べようかなって」
「ちょうどええわ。うちもおやつ買いに食堂行こうかなって思ってたから! 奏とめぐはー?」
「ええよー、食堂行って食べよう」
カバンからお弁当を取り出そうとしている中途半端な体勢のまま、めぐがこちらに顔を向けて答えた。ツインテールがだらんと床に向かって垂れ下がっている。その前の席で、奏が残念そうにコンビニの袋を胸元に掲げた。
「みなこちゃんもお弁当なしなら、私も食堂で買えばよかった」
普段のお昼は、誰かの席に集まって食べているのだが、誰かが食堂に向かう場合は、お弁当組も一緒に食堂へ行くことが多い。食券を買わずに食堂の座席を利用することは、あまりよろしくないのだろうけど、宝塚南は生徒数がそれほど多くないので、そのことで注意されることはない。
「食堂に行くならフライドポテトの食券、買っとくべきやったな」
めぐの言うフライドポテトは、宝塚南高校の食堂の名物メニューだ。人気で即完売するため、二時間目の休み時間に整理券が配布される。
「ふふふ、これはなんでしょうか?」
「七海、買ってたん?」
「理科室からの帰りに立ち寄っていたのです!」
「あー確かに遅れて帰って来てたな。迷子かと思ったわ」
「学校で迷子になるわけないやろ!」
嫌なこと言うならめぐにはあげない! と頬を膨らませた七海が、フライドポテトの整理券を背中に隠した。「ごめん、ごねん。許してー」とめぐが可愛らしく両手の指先をひっ付けながら甘えた声を出した。
「卵焼きくれたら許してあげる」
「卵焼きくらいあげるって!」
「じゃあ許してあげる! めぐのお母さんの甘い卵焼き大好き!」
コロコロと猫のようにじゃれつく七海の頭を撫でながら、めぐは何気ない笑みを浮かべる。その表情は以前と比べても遜色ない。ビッグバンドを外された采配を納得しているというのは、めぐの本音なのだろうか。その瞳の色は、どこか迷いのある知子や自分の色とはまた違って見えた。
「ほら、みなこは食券も買わなあかんねんから、はよ食堂行こうや」
冬の気配さえ感じさせるひんやりとした冷たい空気が、食堂へ続く渡り廊下を吹き抜ける。まだ十一月の上旬だと言うのに。思わず身震いしたみなこの手に、奏がそっと温もりを重ねる。
「さすがに寒いね」
「奏ちゃんの手温かいな」
「体温は高い方だから」
「私はもうキンキンに冷えてるよ」
「ほんなら、みなこは、うどんかそばを食べなあかんなー」
ケラケラと笑う七海はブレザーこそ羽織っているが、セーターも何も着用していない。子どもは風の子、と過ぎった言葉をみなこはそっと胸の中に仕舞う。きっと、七海は子どもじゃないと怒るだろうから。
「あれ、里帆先輩ちゃう? それとみちる先輩?」
そう呟きながら七海が指を差したのは、テニスコートの向こう側の校舎だった。ちょうど、音楽室やジャズ研の部室が入っている棟だ。一年生の自転車置場が併設されている近くの植木の影で二人が話しているのが見えた。
「七海、遠巻きから良く分かるな」
「へへへー、沖田姉妹の見分けはもう完璧やから」
「すごい、すごい」
どうだ、と胸を張った七海に、めぐが乾いた返事で手を叩いた。指先からぶら下がった可愛らしいお弁当箱が入った巾着袋とツインテールが同じリズムで揺れる。言葉と声の調子の割りに、吐き出されたため息には、随分と感嘆がこもっていた。
「何してるんやろ?」
「さぁ? 部活のこととか?」
見つけるだけ見つけておいて、あまり気に留める様子のない七海は、興味なさそうに食堂へと消えていく。陽気に口付さんでいた鼻歌は、ファストフード店のフライドポテトが揚がった時に流れるメロディだった。
「みなこちゃん、早くしないと座席埋まっちゃうよ」
「あ、ごめんごめん」
奏に握られていた手を引かれて、みなこは食堂へと入っていく。このタイミングで里帆が上級生と話すこととなると、オーディションのことだろうか。やはり、里帆は納得していないらしい。みちるにこの件のことを問い詰めるのは心苦しいのか、その表情はどこか曇っているように見えた。
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