やまない蝉の鳴き声が、降り注ぐ夏の日差しを一層強いものに感じさせる。熱にうねりを上げる自動販売機をにらみつけながら、七海が「あついー」と深く息を吐いた。
「七海ちゃん、もうちょっとだから頑張ろう」
「あーもー、なんで外でやらなあかんの!」
「しゃーないやろ。室内でペンキ使うんは臭いし」
ガチャン、と音を立てて落ちてきたスポーツドリンクを手にとり、七海はくるりとチェック柄のスカートを膨れさせて振り向いた。
「そうやけど! 暑いもんは暑い!」
スポーツドリンクをごくごくと飲み干していく七海の喉元に掻いた汗が、キラキラと光る。そのまばゆさと確かな暑さに顔をしかめながら、みなこは手で庇を作り、騒がしい校舎を見渡した。
夏休みも今日を含め残り三日となり、文化祭の雰囲気が徐々に学校を染め上げていた。廊下にはクラス単位の出し物で使う美品が並び、そこらかしこで生徒たちが準備を進めている。夏休み上旬にはまだ少なかった生徒の数も、先週頃から増え始めて、すっかりいつも通りの賑わいになっていた。
「あとどれくらいやっけ?」
「えーっと。みなこちゃんの分も終わったんだよね? だったら、お城の城壁くらいかな」
顎に指先を当て少し思案してから奏が答えた。みなこたちのクラスの出し物は演劇、『ロミオとジュリエット』だ。校則で模擬店は禁止されているため、大抵のクラスは演劇をするかダンスを披露するか。お化け屋敷や美術の作品展示をするクラスもあるらしいが。せっかくの夏休みの練習時間をダンスの練習や演技の練習で割きたくはない。
とはいえ、何もしないというのは申し訳ないので、個人練習の時間を抜け出し、大道具係として中庭でせっせとペンキを塗っている最中だった。
「えーまだ城壁残ってんのー。めぐやっといてえやー」
「なんで私が一人でせなあかんねん。文句ばっか言ってんと続きするで。とっとと塗って、練習戻ろう」
めぐがうだうだと駄々をこね続ける七海の手を引く。それを微笑ましそうに見つめながら、「あと一踏ん張りだね」と奏が柔らかい表情をこちらに向けた。
杏奈と話してから随分時間が経ったが、結局、奏にはそのことを伝えられていない。どうして杏奈がそっけない態度を取っているのか。その原因は奏には関係のないことだ、と。だけど、それを伝えるには杏奈の退部も告げなければいけないのだ。
きっと、優しい奏はそのことを悲しく思うし傷つくはず。普段の優しい奏の表情がさらに伝えることを躊躇させる。それと同時に、杏奈との距離感に悩み続ける奏の姿を見るのが辛くもあった。伝えようが伝えまいが奏は傷つく。答えの出ない選択肢を前に、みなこはじっと時間が経過するのを待ち続けることしか出来なかった。
「文化祭まで三週間? 夏休み終わったら練習時間減るし、間に合うかな」
「七海は、もう一曲増えたんやっけ?」
「そう。健太先輩の予定やったところ」
「認められてるってことや」
前を行く二人の会話を聞きながら、本番が近づいて来ていることを実感する。今まで以上にある出番数へのプレッシャーや家族が観に来てくれる緊張、それに加えて杏奈の件のタイムリミット。脳内を埋め尽くすいくつもの問題が、みなこの身体をずっしりと重くした。
「あれ、佳奈ちゃん?」
奏に袖を引かれ、みなこは渡り廊下の方へ視線を向けた。
奏と佳奈の距離は気が付かない間に縮まっているらしい。奏が佳奈のことをちゃん付けで呼んでいるのがその証拠だ。佳奈は奏のことを「谷川さん」とまだ呼んでいるけど。
「ホンマや」
家庭科室の方からこちらに向かって来ていたのは、確かに佳奈だった。だけど、少し様子が違う。
制服ではなく、オレンジ色のパーカーを羽織っていた。それにズボンまでオレンジ色のジャージ姿だ。頭から被っているフードには、たてがみのような毛がふさふさと生えている。見るからに暑そうな格好の彼女は、見られていることに気づくと、すんとした表情でこちらに近づいてきた。
「なにその格好?」
「臆病なライオン。『オズの魔法使い』の」
たてがみをふさっと撫でて、佳奈が答える。どう? と手を広げる端麗な顔立ちに、臆病と形容出来る要素は微塵もない。けど、佳奈の内心にあるものは少しだけ可愛く弱いものがあることをみなこは知っている。
「かわいい!」
「ありがと」
奏に褒められて、気の強そうなライオンは照れながらたてがみを指で弾いた。
「佳奈のクラスも演劇なんや」
「うん。係の子に、衣装が出来たから着てみてって言われて試着してた」
何もその格好で出歩かなくても。そんな目をしていたらしいみなこに向かって、佳奈が言い訳のように言葉を続けた。
「今から教室で練習するから。衣装の方がぽさが出るやろ?」
「まあ、そうかもなあ」
不服そうにしながら、佳奈がフードを脱ぐ。
「佳奈ちゃんが舞台に出るなら観に行かなくちゃ! 順番はいつだっけ?」
「一日目の一六時やったはず」
「ほんなら、私らの組の前やん」
「みなこたちのところも演劇なん?」
「そうやで。私らは舞台には出んから、客席で鑑賞するけど」
ふーん、と佳奈が喉を鳴らす。少しホッとしているのは、直後だと準備があって劇が観てもらえないと思ったのかもしれない。
「てか、佳奈って役者するんやな」
「私が役者したらあかん?」
「うーん。ぽくはないかな」
春先の航平の話しだとクラスでも距離をおかれているようなことを言っていたが、時間の経過と共にしっかり馴染めているらしい。喜ばしいことだが、少しだけ胸がモヤモヤするのは妙な嫉妬心だろうか。顕にするとからかわれそうなので、密かに隠しておく。
「はまり役ではあるやろうけど」
佳奈を臆病なライオンに選んだ子はセンスがある。まるでこの春の出来事を知っているみたいだ、とみなこは思った。
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