ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

三幕6話「ラベンダーの花言葉」

公開日時: 2020年10月18日(日) 20:30
文字数:4,581

『花と音楽のフェスティバル』は市内の緑化推進のために毎年開催されている市のイベントだ。園内では、模擬店やガレージセールが催され、花苗や植木を買うことが出来る。食べ物や縁日を楽しむ小さい子どももいれば、植木や盆栽を眺めるお年寄りも、老若男女問わず多くの人でごった返していた。


 その中でメインとなるのが、園内に彩られた綺麗な季節の花々だ。赤、紫、黄色、白、目移りしてしまうほど色とりどりの花が五月の風に揺れて咲き誇る。その正面に、ステージが設けられており、まさに今、他校の吹奏楽部が演奏を行っていた。満開の花たちをステージの上から見下ろすのは圧巻の光景に違いない。


「すごい人やなー。ほんでソースのええ匂いが」


 七海が遠くから香る焼きそばの匂いに舌鼓を打つ。めぐが呆れた様子で七海の背中を指で突いた。


「花の香りを楽しみなさいよ」


「うち花粉症やから」


 やったら仕方ないか、とめぐは納得する。「仕方ないのか?」とみなこは心の中でツッコミを入れる。


「七海緊張は?」


「ちょっとマシになってきたかな」


 そう言って、七海は作り笑顔を浮かべた。どうもまだ緊張しているらしい。みなこの隣では航平がデジカメで何やら写真を撮っていた。


「なにしてんの?」


「写真」


「そら見たら分かるけど。なんで写真撮ってんの?」


「こういうイベントごとの記録は残しておいた方がええかと思って。いつもは川上先生が記録用に撮影してはるらしいねんけど、相談したら今日は俺に任せるって貸してくれた」


 学校のホームページや報告などで使うのだろうか。二人で話しているとみなこの腰元から、ひょっこりとめぐが顔を覗かせた。きっとぶりっ子モードのスイッチが入っているに違いない。


「二人でなんの話してんのー」


「記録用に写真を撮っておこうって。スマホを使ってもええらしいから、みなこと伊藤も写真とか動画撮っといてや。なんかのタイミングで使えるかもしれんから」


 確かにこういう仕事はマネージャーらしい。ぼんやりとした仕事よりも明確な役割が与えられ、みなこは俄然やる気が湧いてきた。


 そんな話をしながら、舞台裏に設置されている控室代わりの仮設テントまで行くと、パンと知子が手を打った。部員たちはその音に反応してすぐ彼女の方を向く。


「今演奏している他校のパフォーマンスが終わり次第、ステージ上で最終リハーサルをするので準備をはじめてください。チューニングは演奏の邪魔になるので、ステージに上がる直前でお願いします。それとここは共同の楽屋なので他の人に迷惑をかけないよう私物はしっかり管理して、あまり物を広げすぎないように」


 はい、と部員たちが一斉に返事する。こういう規律を徹底しているところが彼女らしい。周りを見渡せば、学生から社会人まで幅広い年代の人達が準備を始めていた。学校の名前を背負っている以上、正しく行儀良い行動は最低限のルールとみなこはしっかりその身に刻んだ。


「それでは宝塚南高校のみなさん、まもなくリハーサルですので移動お願いします」


 スタッフの人の声がかかり、部員たちが一斉に移動を始めた。みなこは撮影時のアングル確認の為に、スマホを手にステージ正面へ向かった。



 *


  リハーサルを終え、部員たちがテントの中へ戻ってきた。いつもよりも少しだけ余所行きな服装の川上が出迎えて声をかける。


「しっかり準備出来てるみたいやな、この調子で本番もしっかり頼むで。まだ時間に余裕あるから、模擬店にお昼ご飯を買いに行ってきてええよ。荷物は見といてあげるから。それとゴミはちゃんと持って返って来ること」


 スマホの時計を見れば、本番まではまだ二時間以上あった。三十分前に集合という知子の指示を受け、部員たちは各々好きなところへ散らばっていく。


「みーなこ、なんか買いに行こう」


 七海と奏を引き連れて、めぐがこちらに寄ってきた。


「うん、ええよ」


 机の上に置いたバッグから財布を取り出そうとした時に、ちらりと佳奈の姿が目に入った。そばにはみちると里帆がいる。サックスセクションで行動をするのかもしれない。それは一年組で仲良く出来ていない佳奈へのみちるなりの優しさだろうか。どうしてか湧いてきた罪悪感の水源を塞ぐ方法が分からず、もやもやとしたものが胸に立ち込める。


「リハーサルの時、舞台の正面にいたけど、みなこちゃん撮影係?」


 ふと意識の外から話かけられ、思わずピクリと肩が跳ねた。恐る恐る振り返ると、奏が不思議そうな顔をして首を傾けていた。


「そう、撮影係。ステージ正面から動画撮ることになってん」


「そっか、可愛く撮ってね」


 そう言いつつ、奏は撮影されることが恥ずかしいのか、頬を染めた。心配しなくとも奏ならどこから撮っても可愛く映るよ、とみなこは思う。


 奏の傍らで七海にもたれかかりながらめぐが腹部を擦った。


「もう、はよ行こうや」


 すっかり空腹らしい。学外のイベントとあって今日の彼女はトレードマークとも言えるピンクのセーターを着ていない。今日の衣装はブレザーで統一されていて、同校と分かりやすいように出演しないみなこたちも同じ格好をしている。五月も終わりとあって少しだけ暑い。


「ごめん、ごめん」


 みなこはスマートフォンをブレザーのポケットに入れて、スクールバッグのファスナーをしめた。若干気になる佳奈のことを意識的に忘れようと、思考のすべてを空腹に向ける。


「んー何食べようかな。七海は何食べるん?」


「私は食欲が……」


「焼きそばのええ匂いとかさっき言ってたんやん?」


「匂いはええと思うけど、口に入るとなったら話は別……」


 リハーサルで舞台に立ち、緊張感が増したらしい。七海の食欲不振には、「相当緊張してるんやな」と流石のめぐも心配そうに眉根を下げた。



 *



 焼き鳥、焼きそばにかき氷。唐揚げ、ホルモン焼き、揚げパンにカレーライス。魅力的な誘惑が並ぶ中、カロリーとお財布事情を考慮した食事を終えて、まだ少し時間に余裕のあったみなこたちは公園内をぶらぶらと散歩していた。


「もう心臓が飛び出しそう」


 フラフラと危なっかしい歩き方をしている七海の身体をめぐが支える。奏が心配そうに、「ほら舐めて」と、七海の口元に町内会が出店していた林檎飴を差し出していた。


「みなこちゃん、昔から七海ちゃんって緊張する方だったの?」


「うーん。そういうイメージはないんやけど」


「この子の性格やったら、すぐ人前とか出そうやのに」


 しっかりしなさい、とめぐの小さな手のひらが七海の背中をパシリと叩いた。いつもなら大袈裟なリアクションをとって見せるだろう七海は、「痛い」と虫の鳴くような声でつぶやくだけだ。


「七海って人前には良く出てたと思うけど。そういうのって友達の前とかばっかりやったかもしれん。まったく知らん人の前っていうのがあかんのかも?」


 差し出された林檎飴を舌先でぺろりと舐めながら、みなこの推測を肯定するように七海は頷いた。


「ステージに立ったらめっちゃ人が見えてん……」


 ステージ正面には、スタッフ用の通路があり、その先は会場全体に広がる大きな花壇になっている。その花壇の左右に仮設テントの店が並び物販が行われているため、ステージを見つめるお客さん自体は少ない。しかし、ステージからは公園全体が見渡せる形になっているので、舞台上からはかなり人の目が気になるのかもしれない。


 いいアイデアを思いついたのか、奏が「そうだ」と声を出した。


「七海ちゃん、みなこちゃんが正面で動画を撮ってくれてるから、そこをじっと見つめておけばいいんだよ」


「みなこを?」


「それええかもな。他の人じゃなくてみなこにだけ見られてるって意識してれば、緊張和らぐかもしれんな」


 めぐがナイスアイデア、と手を打つ。そんなこと上手くいくのか、とみなこは思ったが、意外にも七海は「そうか!」と表情を明るくした。


「こっち見てんのが、みなこやったら緊張せえへん」


「そんな単純な……」


 呆れたみなこに、七海が白い歯を見せた。それでもその笑顔は、いつもよりほんの少しだけ硬い。無理にでも緊張をほぐそうとしているのかもしれない。それとも優しくしてくれている奏への思いやりだろうか。彼女の視線はスッと上を向き、奏の顔を見つめる。


「奏は緊張せんの?」


「ちょっとはしているよ……でも、しっかりやらないと選ばれた責任があるから」


「責任か……失敗して迷惑かけたらあかんもんな……。そう思うとまた緊張が……」


「奏、余計なこと言ったらあかんー」


 せっかく緊張をほぐしたのに、とめぐが可愛らしく頬を膨れさせた。その頬を指で突いてしまいたい衝動にかられるが、みなこはぐっと堪える。


「って言うてる間にもうすぐ時間やん」


 遅れないようにと、みなこはスマートフォンで集合時間の十分前にアラームをかけておいた。ブレザーのポケットからブルブルと振動が伝わる。


「ほんまや、もうこんな時間や」


 そう言って、めぐが腕時計に視線をやる。「そろそろ戻ろうか、」みなこが七海にそう声をかけると、彼女はぼんやりと正面を見つめていた。


「なぁみなこ、ここめっちゃ綺麗やで」


 トボトボ歩いているうちに、メインの広場から外れて人気の少ない隅の方へ来ていた。会場のざわめきが白いテントの向こう側から聞こえ、武庫川の静寂が河川敷の方から押し寄せる。七海が見つめていたのは、一面紫の美しいラベンダーの花壇だった。


「ほんとだ、綺麗だね」


 パチャリ、と奏がスマートフォンで写真を撮った。段差をつけた花壇がいくつも重ねられ、ラベンダーたちは胸元くらいの高さまでの山を成している。


「ラベンダーの花言葉は『期待』やな」


 そう、ぼそっと呟いたのはめぐだ。「めぐちゃんって花言葉詳しいんだ」と奏が目を輝かせる。


 少し照れためぐの髪に、辺りを飛び交っていたモンシロチョウがそっと羽を休もうと近づいてきた。細い足がめぐに髪に触れそうになった瞬間、初夏をつげる温かい風が川の方から吹き付ける。蝶は慌てて羽を羽ばたかせ、すっと遠くへ消えていく。


「うちのお婆ちゃんが昔、花屋やってたから」


 恥ずかしそうに、めぐはツインテールを指に巻き付けた。奏は花屋という言葉にすっかりうっとりしていた。


「えーいいなぁお花屋さん。めぐちゃんも似合いそう」


「残念ながらもうやってないから」


 奏は少し残念そうに口をつぐんでみせた。がっかりした表情が可愛らしく、みなこは手に持っていたスマートフォンでその表情を収める。


「あ、それで小さい頃よく来てたんや」


「そうそう。店を閉めたんはもう五年くらい前やったかな。お客さんも減ったし、お婆ちゃんも歳やったし」


 店は畳んだが、元花屋だけあって、めぐの家には花がたくさん飾ってあるそうだ。みなこの家は、玄関に造花を飾ってあるくらいなので羨ましい。 


「ねぇ戻る前に、みんなで写真撮っておこうよ」


 奏は指でシャッターを切る素振りをしてみせた。「撮るのはスマホやろ」とめぐがケラケラと笑う。


「伝わるからいいでしょ!」


 可愛らしい素振りで怒った奏は、七海とみなこの腕をぐっと引き寄せた。


「ほら、もっとみんな寄ってー」


「ほら七海、もっと笑いなよ」


「今はこれが限界やー」


 めぐが奏のスマートフォンを奪い、インカメでこちらに向けた。紫色の背景と楽しそうな四人組の顔が画面に映り込む。「ハイ、撮るよー」、めぐの掛け声と同時に自然と浮かんだ笑顔。その中で、七海の表情はまだ少しだけ硬かった。


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