月曜日になって、どの学年も平常運転に戻って授業が始まった。今日から本格的に部活も再開される。
淡々と進んでいく時計の針を目で追いかけながら、終業の時をみなこは待っていた。気合でなんとかまぶたを上げているが、歴史の授業はまるで子守唄代わりに昔話を聞かされているように意識が遠くなっていく。普段はそんなはことないのに。昨日の本番の緊張と打ち上げの疲れが残っているせいだ。
「なぁ、みなこ」
突然、声をかけられて、自分が一瞬だけ夢の中へ落ちていたことに気がついた。振り返ると、「寝てた?」とめぐが口元を緩めながらツインテールを揺らす。
「ちょっとだけ」
チャイムがなる一分前までは、ちゃんと意識はあった。みなこは、慌ててまだ写せていない板書をノートに書き始める。
「そんなに慌てんでも後で見せたるよ」
「最後の二行だけやから」
こんなところを七海に見られたら、餌を見つけた獣のように飛びついてくるに違いない。本当に今日、寝てしまったのはたまたまなのだ。今日の今日まで、授業中に昼寝や内職などしたことはない。幸運なことに七海は、奏と一緒に話をしていた。こちらが寝ていたことに気づいていないようだ。
それに、部活の面で何も手伝えていないのに、これ以上めぐに世話を掛けるのが申し訳なかった。
「昨日、本番やったもんな。それに打ち上げも盛り上がったし! もしかして、みなこ疲れてる?」
「ううん、大丈夫やで。それで何?」
「そうそう。本番の日までのセッションに参加できる日を予め確認しとこうと思って。みなこは当日まで用事もある日ある?」
「特に用事はないで。全日参加するつもりやし……。てか、そういうのは書記の私がまとめるから」
「ええって、ええって」
こちらに向かって手のひらを揺らすめぐの袖からピンク色のセーターが覗いていた。身長のわりにめぐの手のひらは大きい。細く長い綺麗な指は、鍵盤を弾けば綺麗な音の粒を生み出す。それは知子に比べれば、まだまだ未熟で弱々しいものかもしれないけど、ビッグバンドから外されるほど劣っているものではないと思う。
だってそれなら、みなこはギターとして参加出来ないはずだ。大樹ほどの実力はみなこにはまだないから。
「けど、演奏会の時もめぐちゃんに任せっきりになってたから」
「それは私が学年リーダーやから」
「やったら私はそれを支える役割やんか」
「そうかもしれんけど。でも、今回の大会はみなこには練習に集中して欲しいねん。私はマネージャー的なポジションに回るから」
そう言われれば何も言い返せない。今回の采配には誰も納得してないよ。そんな言葉をゴクリと飲み込む。めぐは本当に今年の大会に出られないことを納得しているのだろうか。恐る恐る覗き込んだ彼女の双眸は、嘘の色には染まっていなかった。
「何か困ったことがあったら言ってな。いつでも手伝うから」
「そりゃ、何かあれば、副リーダーに相当するみなこには助けを求めるって。でも、みんなのスケジュールを把握したり、練習のサポートするだけやから。そない大層なことちゃうけど」
そう言って、めぐはくるりと踵を返す。ツインテールがふわりと宙で弧を描いた。今度は真っ直ぐに七海と奏の方へと向かっていく。
めぐから助けを求めるサインは一切出ていないように見える。それは彼女が本音を隠すのが上手いからだろうか。こちらが意図的に気づかないフリをしているだけだろうか。それとも本当にめぐはなんとも思っていないのか。少なくとも、いつもの自分なら気づかないフリをするんだろうと思う。めぐはなんともなさそうなんだから、この問題は先延ばしにしよう、と。
けど、今回は珍しく、みなこはめぐのことが気になっている。彼女だけが、ビッグバンドから外されるというのが納得できないのはもちろん。それ以上に、この不信感を誰に向ければいいか分からないことが恐ろしかったからだ。
脳内に浮かぶのは知子の顔で、航平が言うような嫌な想像ばかりをしてしまう。そして、少なくとも一年生は、それが原因で演奏なんてまともに出来ないはずなのだ。
この不安を払拭するためには、めぐが外された本当の理由を知らなくちゃいけない。そして、一年生の中で、当事者のめぐを除けば、自分が動くべき役職にいるのだ。これが自分の動くべき最大の理由だ。
この問題の真相を知ることがめぐにとってどうなのかは分からない。彼女を助ける結果となるかもしれないし、逆に嗅ぎ回わった結果、めぐはこの問題をなんとも思っておらず迷惑をかける可能性だってあるから。けど、それはやっぱりめぐが外された理由を知らなくちゃ判断できない。
そして、これはめぐのために動くわけじゃないことを肝に銘じておかなくちゃいけないのだろうとも思う。これから自分が動くのは、一年生が大会でちゃんとした演奏ができるためにでなくちゃいけない。もし、この問題を詮索した結果、予期せぬ方にことが進展してしまったら、「自分の問題のためにみんなに迷惑をかけてしまった」とめぐが傷ついてしまう。だからこそ、これは自分たちがちゃんとした演奏をするためのエゴとして動かなくちゃいけないのだ。
もちろん、佳奈も航平も奏も、みんなめぐのことを心配してくれているし、みなこもめぐのことが心配なのは間違いない。だから、やれるだけのことはやってみようと思う。
ささやかな決意を胸に見上げた黒板はすっかり綺麗になってしまっていた。
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