枕木に支えられた電車の振動で、窓際に置いたペットボトルのお茶が小さな波を立てた。少し離れたところに見えている新幹線に追い抜かれて、みなこの乗る電車は長閑な田畑の中を進んでいる。ここに来るのは二度目だけど、この景色を見るのは初めてだ。あの日のみなこは、七海の横でスースーと心地の良い寝息を立てていた。
アウターのポケットに仕舞った切符がしっかりあることを確認して、みなこはぐっと唇を噛みしめる。思えば、一人でこんなに遠出をしたのは初めてだ。少しだけ大人になった気負いと、無鉄砲なチャレンジに怯える子どもが、みなこの心の中でせめぎ合いをしていた。
みなこが向かっているのは、今年の夏にジャズ研の合宿で訪れた滋賀県の彦根だ。知子がかばっている相手がみちるだとすると、彼女のことをもっと深く知らなくてはいけない気がしたのだ。本人に聞くのが一番早いのだろうけど、答えてくれる保証はない。……というよりも答えてくれない可能性の方が大きいはず。
だけど、みちるのことを答えてくれそうな人をみなこは一人知っている。
合宿の二日目、みんなでバーベキューと花火をしたあと、バケツを運んでいた時に、横山から聞いた話をみなこはしっかりと覚えていた。
――――みちるちゃんもあんなに大きくなって……。
横山は、どういうわけか小さい頃からみちるのことを知っているらしい。あの時は、事情を聞くなら直接本人に聞くべきだ、とはぐらかされてしまった。だけど、部活の現状を説明すれば、横山は答えてくれるんじゃないだろうか。そんな期待があった。
鼻にかかった車掌さんのアナウンスが流れて、電車はゆっくりと減速し始める。確か、七海に起こされたのはこの辺りだったはずだ。見覚えのある町並みに少しだけ安心感を覚えたところを見ると、どうやら軍配は怯える子どもに上がっていたらしい。
ホームに降り立って、スマートフォンで時計を確認する。午前九時。普段なら部活が始まる時間だ。けど、今みなこは部室にはいない。休みの連絡を知らされたのだろう。佳奈や奏から心配のメッセージが届いていた。
ちょっと用事があって。打ち込んだ文章を送信するか迷い、アプリを落とす。説明は帰ってからいくらでも出来る。今は、横山に聞くことだけを考えよう。そんな決心を胸に、みなこは横山がいるライブハウスを目指す。
駅からライブハウスまでの道はしっかりと覚えていた。あの日は、一列に並んで進んでいた道を、今日は一人で辿っていく。
四番街スクエアの一角にある小洒落たカフェテリアに着いて、中を覗き混む。十時のオープンまでまだ時間があるため、スタッフが開店準備に追われていた。視線を落とした入り口横の看板には、今夜のライブハウスのスケジュールが書かれていた。今日は、ガールズバンドのライブがあるらしい。
部外者は勝手に入るべきではないと分かりつつ、みなこはおずおずとカフェ側の扉を開ける。まだ薄暗い店内の奥にある厨房の明かりに向かって、「すみません」と声を飛ばした。
「ごめんなさい。オープンは十時から……」
顔を覗かせた若い女性スタッフが、こちらを見遣って言葉を詰まらせた。合宿で来た時も働いていたスタッフの人だ。向こうもこちらに気づいたのか、「あ!」と驚いた声を出した。
「えっーと、確か宝塚南高校の生徒さん? 夏休みに来てたやんな?」
「そ、そうです。横山さんに会いたくて」
「オーナーに?」
「は、はい。でも、アポイントメントは取ってないんですけど……」
「アポイントメントなんて大げさな。どっかの社長さんじゃあるまいし」
女性スタッフが、ケラケラと笑い出す。恥ずかしくて頬を染めたみなこを見て、彼女は慌てて口元を片手で塞いだ。
「横山さんなら――」
女性スタッフは、そう言って厨房のさらに奥の方を振り向く。
「オーナーって今日、何時に来はるんやった?」
「開店までには来るんちゃう? ライブハウスの方の準備もあるし」
「りょーかい。……らしいよ?」
彼女の言葉の後半は、またこちらに視線を向けてのものだった。「少しだけここで待たせて貰ってもいいですか?」と、みなこが訊ねれば、彼女はニッコリと笑みを作った。
「もちろん。テーブルに乗ってる座席、適当に下ろして座っておいて。今飲み物出してあげるから」
「いえ、飲み物は悪いですよ」
「お客さんに飲み物くらい出さないとオーナーに怒られるって。ミルクティーでいい?」
「は、はい」
みなこは言われるがまま、テーブルの上に乗った木製の椅子を一つ床に下ろす。いきなり来るのはやはり迷惑だっただろうか。横山さんが来るまでお手伝いします! ミルクティーを持って来てくれた彼女にそんな言葉もかけられないまま、みなこはじっと横山がやって来るのを待っていた。
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