「全員、揃った?」
ミーティング用に椅子の準備をしていると、小スタジオから出てきた里帆にそう声を掛けられた。
「いえ、美帆先輩がまだです」
「あーあの子か、」
低く一つに結んだ髪を揺らしながら、里帆は平たい声をため息と一緒に漏らす。綺麗な首筋に手のひらを押し付けて、「まだ部活の時間ちゃうから仕方ないけど」と、スタジオの中央に配置されたホワイトボードの方を見遣り嘆くように呟いた。
ホワイトボードでは、大樹が黙々と今日の板書をしている。『クリスマスライブ』と書かれた文字は、ゴツゴツとした丸みのない男の子っぽい書体だった。
「遅れて、ごめん」
そうこうしていると、少し息を切らした美帆が部室に入室してきた。手に掛かったコートがくしゃくしゃになっていることから、相当慌てていたことが伺える。
「まだ時間になってないから大丈夫やで」
杏奈が時計ではなくホワイトボードを指差す。どうやら準備が整っていないということを伝えたいらしい。
美帆は、「良かったー」と安堵の声を漏らしつつ、「でも、もう集まってるみたいやったからさ」と手に掛けていたコートを畳み直し、椅子の上へ置いた。
「中村先輩?」
「ううん。委員会があって」
「美帆は風紀委員やっけ?」
「そ、」
「わざわざ後期もせんでもええのに」
「一度やりだした仕事やし、ちゃんと全うしたいから」
「そういうところは姉妹で同じやなぁ」
杏奈のその言葉に渋い顔をしたのは、美帆ではなく里帆だった。細く綺麗な眉根の先にぐっと皺が寄る。わざとらしい空咳を飛ばし、「揃ったな。それじゃ、そろそろミーティング始めるで」と丸めた指の関節で、ホワイトボードをコツコツと鳴らした。
今日、開かれるのは、昨日のような定例ミーティングではなく特別ミーティング。特別と銘打ってはいるが、大げさなものではなく、定例外の招集というだけの定例ミーティングと中身は変わらないものだ。里帆が部長になってもジャズ研の基本方針は変わっておらず、定例セッションの日以外は、参加不参加は自由であるため、話し合うことがある時に部員を集める手段となっている。
「今日は、昨日話したクリスマスライブの件についてです。今朝、川上先生に話を通した所、昨日話し合いで出た意見が承認されたので報告します」
「ということは、ジャズバーオッケーってことです?」
口をすぼめてとぼけた声を上げる七海に、「そういうこと」と里帆は優しく笑いかけた。その笑みが何となくみちるのものと被って、みなこの胸に切なさを宿した風が吹いた。まだ先輩は卒業もしていないのに。引退と書かれた一本線は、卒業よりも明確に、向こうとこちら側を隔てている。
「けど、やっぱり出せる食べ物は限られるみたい。袋菓子を詰め合わせたものやソフトドリンクを無料で提供する形になるかな、って」
「何を出すかはまだ決まってないんですか?」とめぐが質問を投げる。
「予算がなぁー。イベントは無料でやるつもりやし、食べ物でお金を取るわけにもいかん。お客さんの人数で用意するお菓子の量も変わってくるから」
なるほど、という声が部員全体から漏れた。五十人に提供するのと二百人に提供するのとでは金額の桁も変わってくる。まずは集客人数をおおよそ確定させてからということだろう。
「それと、入場はチケット制で、ドリンクフリーとお菓子セット付きにするつもり。来週から校内に宣伝のポスターも貼るけど、みんなも友達とか家族に宣伝よろしくお願いします」
部員は一斉に返事をした。知子のリーダーシップのせいで癖づいているのもあるけど、里帆が頼りのないリーダーだったなら、こうはいかないはずだ。癖付けが継続されているのは、里帆自信の人を引きつける素質のおかげだ。
「それじゃイベントの詳細は、副部長の伊坂の方から」
副部長の箇所がやけに強調されていた。里帆に促されて、大樹がおずおずと会釈をする。「えーっと」と戸惑う様子を見せると、すかさず里帆が「ホワイトボードひっくり返す!」と激を飛ばした。
「お、おう」
鈍い音を立ててホワイトボードがひっくり返る。一つ、咳払いをして大樹が説明を始めた。
「昨日、アイデアとして出ていましたが、当日は一年と二年に分かれて二回公演ずつ、計四公演を行います。演奏をしていない学年が、バーの接客と舞台演出をする感じです。一公演は一時間、客の出し入れで公演間は三十分設ける予定です。演奏曲に関して、こちら側から注文は特にないので、このあとそれぞれの学年で話し合って貰おうと思います。お客さんも全公演で入れ替えるので、曲の被りなども気にしなくて問題ありません。……質問はありますか?」
「はい!」
真っ先に手を上げたのは杏奈だった。拙い司会をしている大樹をからかうつもりなのか口端がわずかに緩んでいる。
「お客さんの出し入れの指示は誰がするん?」
「接客する学年が担当やな。客出しのあと、客入れのタイミングでバトンタッチって感じ」
「接客は衣装のまま?」
「どっちでもええんやけど。……個人的には、コンセプトがバーやから雰囲気作りのためにも、男女共々、制服のシャツにネクタイ、下は黒のパンツスタイルがえんちゃうかなって思ってる。どう?」
「ええんちゃうかな。持ってるもので済ませられれば、舞台衣装の方にお金回せそうやし」
しっかりと説明出来たことに安堵したのか、大樹がホッと息を吐く。彼は人前であがるタイプでもないのに。みなこは不思議に思ったが、その視線が里帆の方に向いたのを見て、「あー、彼女のプレッシャー」かと一人納得した。同時に、杏奈が大樹を煽ろうとしていた理由も何となく察する。杏奈が里帆の方へ目配せを飛ばしていたから。
「衣装はもう考えてるん?」と今度は美帆が手を上げた。髪は降ろされているが、手首にはヘアゴムが付いていた。二年生はこういう会議に慣れているのか進行が早い。
「ステージのことに関しては、衣装や構成も含めて学年単位でこれから決めてもらうつもり」
美帆の問いに答えたのは里帆だった。りょうかーい、と明るい声を出して、美帆の視線は宙へ浮く。衣装のことを思案しているのだろうか。美帆はそういうことが好きなのかもしれない。
仕切り直すように、里帆は部員たちを睥睨して一つ頷いてみせる。
「それじゃ、学年別に分かれての打ち合わせに移ろうと思うけど、一年生は質問大丈夫?」
大丈夫かと訊ねられると少し不安だ。二年生が主体で決めてくれると思っていたのに、まさか自分たちで一時間のライブの構成を決めることになるとは。そう思ったのは他の一年生も同じだったらしく、代表する形で「全部自分たちで好きに決めていいんですか?」と航平が訊ねた。
「もちろん、コンセプトがジャズバーっていうのは崩されへんから、逸脱しないようにそこからイメージを膨らませてもらう形にはなるけどね」
「MCとかも自分たちで決めるんスよね?」
「そういうこと。大会前に保育園に演奏に行ったやろ? あの時みたくみんなで話し合って、曲順から演出から決めて欲しいわけ」
任せてくれるということは信頼されている証だ。それは同時にプレッシャーにも変わる。一年生全体のそういう雰囲気を察したのか、大樹が朗らかな笑みをこちらに向けた。
「照明だとか、演出のことで分からんことあったら何でも聞いていてくれてええから。まずは自分たちのやりたいライブをイメージして」
部長と副部長の前身である学年リーダーと書記。去年、そこに里帆と大樹を任命したのは、引退した三年生たちだ。どういう意図を持って、大樹がそのポジションを与えられたのか、いまの大樹の姿を見て、みなこは何となく分かった気がした。
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