ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

三幕4話「ソロ」

公開日時: 2020年10月16日(金) 20:30
文字数:1,677

 それからあっという間に時間は過ぎ、テスト期間に入った。この一週間は校則により部活が出来ない。本番まであと十日ほど。考査前最後の練習では、部活が出来ない焦りと中間考査への不安とが入り混じった空気感が漂っていた。


 今回、ビッグバンドへの参加が叶わなかったみなこの意識は、中間考査の方へ向けられていた。それに自主練が主のギターは家でも出来る。テスト勉強の合間を縫って、練習も欠かさなかった。上手くなりたい気持ちとテストに集中しなければならない義務感が、みなこの中で天秤のように揺れ動く。


 赤点は確実に回避出来ているだろう、というそこそこの手応えを感じ、無事テスト期間は終了した。再びいつも通りの時間が動き出す。


 日直としての仕事を遂行するため、みなこはギターとノートの山を抱えて数学準備室を目指していた。早く部室に行きたい思いで荷物を全て持ってきたが失敗だった。限界間近の腕は先ほどからプルプルと震えている。


 やっとの思いで数学準備室に着いたのだが、自分の手がふさがっていることに気づく。扉が開けない。すみません、と声をかけようとした時、中から声が聞こえてきた。


「東先輩も沖田先輩もいる中で、私がソロっていうのがちょっと……」


「でも、決めたのは織辺と東やろ?」


 話しているのは、佳奈と川上だった。盗み聴きするつもりはなかったが、ドアが開けられない不可抗力だ。


「そうです」


「ほんなら、沖田が井垣にソロをせんように言ってきたんか?」


「いえ、そういうわけでは」


「それじゃ、どうして?」


「それは……」


「……沖田に何かは言われた?」


「はい。……頑張ってって」


「やったら何も気を使う必要はないでしょ? その言葉は沖田の本音やと思うで」


「でも、先輩たちの方が適任だと思うんですけど」


「それは私が判断することちゃうからな……」


 少し間が空いて川上が続けた。


「基本的に、このジャズ研は部長と副部長に判断を委ねてる。イベントの曲目だって、東と私が二人で選んだって聞いてるやろうけど、私はアドバイスをしてるだけ。最終決定は東に一任してる。ソロの決定だって、私は一切関わってない。だから、その決定が気に食わないなら、本人たちと話し合うべきや。私が割って入っていけば、解決はするやろうけど。それじゃ意味がない。なんで、私があんたらのことに深く口出さんか、井垣なら分かるよな?」


 はい、と短い返事が聞こえた。それから足音が迫って来ているのが分かった。逃げなくては。そう慌てた瞬間にドアが開いた。


 準備室から出てきた佳奈とふいに目が合う。少し曇っていた少女の目は、こちらを見て驚いた。「ご、ごめん」とっさに謝罪の言葉が口について出る。盗み聴きをしてしまった罪悪感のせいだ。みなこは慌てて一歩足を引いた。その瞬間、透明な膜が張られた佳奈の瞳の中で、みなこが抱えていたノートがぐらっと傾く。力の抜けた手から、バサバサとノートが床に散らばった。


「ごめんさない」


「ううん。私の方こそ、こんなとこに突っ立ってたから」


 床に散らばったノートを佳奈が拾い集め始めた。腕の上に数冊だけノートが残ったせいで、みなこは漠然とその様子を眺めていた。集めたノートを、佳奈がみなこの腕の上に乗せる。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがとう」


「うん。また部室で」


「あ、また部室で」


 佳奈は表情を変えないまま、数学準備室をあとにした。七海とのことで、少し関わりづらいと思ってしまっている自分がいる。意識的に作った笑顔は少し引きつっていたはずだ。


 ――――私がソロっていうのがちょっと。


 実力者は自分の力を過信しない。それにしても佳奈は少しストイック過ぎる。みなこの想像しうる孤独な音楽家のイメージが佳奈とピタリ重なった。七海や航平が言うように、彼女が上手いことは確かだ。だけど、それがみちるや里帆以上の力なのか、今のみなこには分からない。


 どうしてソロをやりたくないなんて言ったのだろうか。そんなことを考えていると、ノートの重みが再び腕を襲い始めた。もう落としはしまい、と限界に達しそうな痛みを堪え、みなこは準備室内に見えた一番手前の机までノートを運んだ。


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