あっという間に、オーディションの日を迎えた。朝もかなり早いというのに、梅雨入りしたせいで廊下にはジメジメとした空気が漂っている。「湿気、最悪ー」と愚痴をこぼす七海の髪は、いつもよりぴんとハネていた。
「七海は、髪型大変そうやんなぁー」
「そうやねん、みなこはよく分かってる! いつものハネにちゃんとならんねん」
「いつものハネ?」
めぐが不思議そうに七海の髪を見めた。大袈裟にハネた髪を両手で抑えながら、七海は「ほら」とめぐの方に顔を向ける。
「うーん。あんま変わらんけどなー」
「一緒ちゃいますぅー」
拗ねた素振りで七海が唇を尖らせた。「めぐが女心の分からん子やったとはな」とそっぽを向く。
「そういうこと、あんたにだけは言われたくないんやけど!」
めぐが七海のハネた髪を指で掴み左右に広げた。「いやー、お許しを」と泣き叫ぶ七海の声が静かな廊下に響き渡る。
相変わらず二人は仲がいいなぁ、とみなこは苦笑いを浮かべつつ、隣を歩く奏の髪に視線がいった。
「奏ちゃんは、髪綺麗やんな」
「でも、くせっ毛だから毎朝セットが大変だよ」
ほら、とこちらを向き、奏はほんの少しだけカールした髪を手ぐしで梳いてみせる。細い指の間を滑った髪が、やんわりと弧を描いた。
「えーそうかなぁ。奏ちゃんは、それくらいがかわいいって」
「うーん。私的には、もう少しだけ真っ直ぐになって欲しいんだけど」
溜息をもらした彼女は、「それに」と言葉を続けた。
「雨の日だと楽器を運ぶのにも気を使うよね!」
「あー確かに」
楽器を持ち運ばないめぐや七海と違い、みなこと奏は共に弦楽器を背負って登校している。雨の日は、傘を差す角度や風向きを常に気にしなければいけない。
「みなこちゃんは雨の日、ビニールで巻くだけ?」
「そうやねんなぁ。んー、私もギター用のカッパ買ってもらおうかなー。奏ちゃんが使ってるみたいなの」
奏のベースケースは専用のカッパに包まれていた。「便利だよこれ!」と、奏がぴよんと跳ねるように肩を揺らす。
その奏の肩越しの窓から見える空は、陽もすっかり昇っている時間だというのに、じわじわと暗くなってきていた。昼から雨の予報だ。イベントは七夕当日。屋内の予定だが、晴れてくれるに越したことはない。
部室へと向かう階段の手前に差し掛かったところで、ふと前を行く七海の足が止まった。
「あれ、佳奈やん」
そう、七海が声を発する。廊下の反対側から佳奈が歩いてきていた。集合時間よりまだ随分早いため、職員室に鍵を貰いに行っていたらしい。佳奈の手に持った鍵がカランと音を立てた。
「おはよう」
「おはよう」
みなこがそう返すと、佳奈はこちらを睥睨しながら少し悪戯っぽく表情を緩めた。
「大西さんは緊張大丈夫?」
「うん! うち、オーディションはそこまで緊張せんから!」
「オーディションの時は、めぐちゃんだよね」
「やばっ、部室近づいてきたら緊張してきた」
七海、奏、めぐの掛け合いに、佳奈はクスクスと笑みをこぼした。あれから徐々に、佳奈はみなこたちの輪の中に入ってきている。話す機会も増えたし、帰りも一緒になることだってある。ちゃんと佳奈と向き合った結果、こうして佳奈と打ち解けられたことがみなこはとても嬉しかった。
「次のイベント、全員で出れるとええな」
みなこのしみじみとした呟きに、七海がへらりと笑みを浮かべる。
「そんじゃ、みなことめぐが頑張ってくれななぁ。私らはもうビッグバンド受かってるしー」
「プレンシャーかけんな」
めぐが七海の背中を小突いた。七海が「痛いっ」と大袈裟にリアクションを取る。
「でも、みなこの言う通り全員で出れたら嬉しい」
佳奈の澄んだ声が廊下に溶けていく。佳奈のその言葉に、廊下のジメッとした空気がほっこりとしたものに変わった気がした。こうして仲良くなれば、佳奈はちゃんと本音を伝えてくれるいい子なのだ。
「よし、今日のオーディションに向けて、いっちょ声出しとこう!」
そう言いながら、七海が満足げな顔をして順に全員を見つめた。有無を言わさないまま、掛け声が始まる。
「みんな、オーディション頑張るぞ!」
おー、そう叫んで振り上げられた拳は五つだった。
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