「おつかれー」「また休み明けなー」「明日、遊びにいこうか」
そんな部員の声がスタジオに木霊する。お盆休み前、最後の練習を終えて、部員たちはゾロゾロと帰路に着き始めていた。
「みーなこ、帰ろう」
「ちょっと待って」
七海が軽く弾みをつけて、こちらに寄ってきた。その後ろには奏とめぐ、それに佳奈の姿もある。みなこは、丁寧にクロスで弦を拭いてから、ギターをソフトケースに仕舞った。
「みなこってそういうところ細かいよなー」
「七海が気にしなさすぎなだけやろ」
父に買って貰ったギターは、とても高価なものというわけではないが、決して安価なものでもない。十数万円なんて、少なくとも高校生のみなこにとっては天文学的数字にも思える金額だ。
廊下の方へ流れていく七海たちに続こうとみなこが歩き出すと、シャツの肘の辺りを引っ張られた。振り返ると、奏がシャツを掴んでいた。その目は少しだけうるうるとしている。
「どうしたん?」
「みなこちゃんはお盆休み何か予定あるの?」
「えーっと。みんなで遊びに行く予定以外は、明日、おじいちゃんの家に行くくらいやけど」
「そっか」
「とはいえ、日帰りやで。おじいちゃんの家、京都やから」
二秒くらい無言の時間があって、奏は「分かった、ありがとう」と頷いた。杏奈のことだろうなと直感的に分かる。みなこがそれを問いただそうとしたところで、「早く帰ろーや」と扉付近にいた七海から声が飛んできた。
「七海ちゃんも呼んでるし、みなこちゃん帰ろう」
「う、うん」
奏に手を引かれて、みなこは七海たちの方へと向かう。本当に悪い癖だ。あと一歩が踏み出せない。奏が何度かアプローチをしてくれているはずなのに。そこに踏み込むことが出来ない。七海と佳奈の件もあって、本当に自分なんかが口出ししていい問題なのだろうか、と懐疑的になってしまうのだ。
廊下へ出たところで、音楽準備室の前で美帆と健太が話をしていた。二人を見て、みなこの手を引いていた奏がうっとりとした声を出す。
「やっぱりいいよね」
「いいって何が?」
奏の言いたいことが分からず、みなこは首を傾げる。すると、会話を聞いていたらしい七海がこちらに近づいてきた。
「何がって、みなこ気づいてないん?」
溜息を漏らし、七海はやれやれと言いたげに肩をすくめる。カランと彼女のスクールバックから覗くドラムスティックが鳴った。
「気づくって?」
訳知り顔の七海に向かいみなこは目を細める。一体何に気づいていないというのか。答えたのは佳奈だった。
「美帆先輩って中村先輩と付き合ってるんやろ?」
「えっ、そうなん?」
「ほんまに気づいてなかったん?」
佳奈の呆れた声がジメッとした廊下の空気に溶けていく。佳奈もこんな表情をするんだとみなこは少し驚いた。奏が少し離れたところにいる美帆たちに聞こえないように囁く。
「毎日、二人で帰ってるみたいだよ」
「へぇ……全然気づきませんでした」
「ほんまに、みなこは鈍いなぁ」
七海にだけは言われたくない。ぐっと眼光を鋭くしたみなこに、七海がケラケラと笑いをこぼした。
合宿の時のめぐと佳奈にも思ったことだが、意外とみんな女子っぽい。みなこはそういうことに関してどうも疎いのだ。恋愛感情は、なんとなく面倒なものな気がしていた。そりゃ、好きな男子がいたこともあるけど。それは小学校の時の淡い思い出にしか過ぎない。
「井垣さんは彼氏とかおったこと無いん? 綺麗やし、告白とかされそうやけど」
めぐが、カランと喉を鳴らした。佳奈は恥ずかしがることもなく平然と答える。
「告白されたことはあるけど、彼氏はおったことない。伊藤さんこそ、可愛いしモテそうやけど?」
めぐの顔が分かりやすく赤くなる。率直に褒められて面映いのだろう。ツインテールがふさふさと揺れた。
「めぐちゃんは、モテモテですよねぇー」と、七海の声はからかい声だ。
「そんなことないから」
本人は否定しているが、めぐがモテるのは事実だろう。ぶりっ子な性格は、決して嫌味ったらしくなく好印象を与えている。慣れるとツンとしたところが出てくるけど、表向きは人懐っこく男子からの人気もありそうだ。
「でも、めぐちゃんはモテそうだよ」
「奏まで私をからかうなー」
「からかってないよ!」
奏がいたって真剣な顔でそう返した。めぐの顔はさらに真っ赤になっていた。
「てか、佳奈って告白されたことあるんや」
「そりゃまぁ……みなこだってあるやろ?」
「無いですよ」
中学生の頃の佳奈がどんな子だったのか分からないが、告白する男子の勇気には感服だ。綺麗なのは間違いないけれど、春先の雰囲気が続いていたようなら、話しかけづらかっただろうに。佳奈が男女問わず、友達と仲良くしているところはあまり想像できない。
「何、その目は?」
佳奈のまん丸とした目が、すっと細くなった。中学の頃あんまり友達いなかったでしょ? なんて聞けず、みなこは乾いた笑いで誤魔化しておく。
「いや、別に何でもないけど」
そらした視線の先では、七海がめぐの頬を悪戯っぽく突いていた。絡んでくる七海を、めぐが鬱陶しそうに払いのける。
「もう恋愛の話はええから帰るで」
「話を広げたんはめぐやろ?」
「知らんし!」
足早に階段の方へと向かうめぐを、みなこたちは追いかける。七海はめぐの反応に唇を尖らせていたが、その表情はいつもの掛け合いをした満足気なものだった。
「お疲れ様です」
階段の踊り場で、前を行くめぐがふと足を止めた。「あ、おつかれ」と、里帆が階段から降りて行くこちらを一瞥する。
「みんな今から帰り?」
「そうです」
揃えたように頷いたこちらを見て、里帆は少し逡巡した様子で視線をそらした。それから、オレンジ色のシュシュで束ねられた髪を揺らす。
「清瀬ちゃん、ちょっといい?」
「え、なんですか?」
驚いたみなこに、彼女は「体育館裏に集合」と悪戯っぽく笑ってみせた。
冗談めいた言い回しではあったが、思わず心臓がドキリとした。体育館裏だなんて、後輩を締め上げるためか告白のためだけに存在している場所でじゃないか。
「みなこなんかしたん?」
「別に何もしてないけど」
七海の耳打ちに、そう首を振ってはみたが、里帆の呼び出しの理由はなんとなく想像出来る。きっと、合宿中のあの会話のことだ。
「ちょっと清瀬ちゃん借りるなー」
柔らかく口端を持ち上げた里帆に手を取られた。長くなるかもしれない。みなこはそう思い、階段を降りながら「先に帰ってていいよ」とみんなに手を振った。
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