「伊藤ちゃん、照明はどういう感じがいい?」
「奏にスポットライトが当たる感じが良いです」
「これくらいかな?」
「うーん。当日は黒のドレス風のワンピースで合わせるつもりなので、もう少し明めの方が良いかも知れません」
「了解ー」
相槌を打ち、里帆が当日の曲目を印刷した紙にメモを記入していく。「恥ずかしいから、もう少し暗くても私はいいけど」と奏がぼやいていたのを、めぐは聞こえていないふりをしていた。
リハーサルでは、照明などの演出面の確認を行う。今回は急遽のイベントだったのでOBやOGの方の協力は難しく、店番をする学年が照明などの演出を行うことになっていた。一年生の間で話し合った演出プランを実現するべく、そのイメージを、めぐを中心に担当の上級生へ伝えている。
ちなみに一年生の公演の照明担当は、里帆と大樹、二年生の公演は奏と航平だ。必然的にそれ意外のメンバーで接客を行うことになっている。
「女子はドレスなら、高橋くんは本番何着るん?」
話を聞いていた杏奈が、ステージの脇で椅子に腰掛けたまま、声を飛ばした。
「黒で統一したいみたいなんで、トラウザーに黒のシャツを合わせてって感じです。冬やからジャケット羽織ろうか迷ってるんですけど」
「おっ、カッコイイ感じやなぁ。せっかくガタイもええし、ネクタイもせずに胸元をちょっとくらい見せびらかしたらー?」
「いやいや、勘弁してください」
ケラケラと笑った杏奈の目がこちらを一瞬だけ見遣る。なんだ、どうしてこちらを見るのだ。ぐっとギターのネックを握り込み、いらだちを眉根に乗せたが、杏奈の視線はすっかりこちらから逸らされていた。
「伊坂、確認するところはこんな感じかな?」
「ざっと流れは確認したし、明日からのゲネプロで通しリハしながら微調整する感じかなー」
大樹は記録用のビデオカメラを三脚に立て、画角の調整をしていた。どうやら後日、You Tubeへアップロードするらしいが、七海や奏に伝えると余計なプレッシャーになりかねないので、その情報はとりあえず学年リーダーと書記のところで止めてある。
「それじゃ二年生と交代やな。えーっと、演出担当の二人以外は、店番のマニュアルとお客さんの入れ出しの確認しといて、桃菜が資料持ってるはずやから」
里帆の言葉を受けて、カウンターの方で接客の確認をしていた二年生部員がステージの方へやって来た。無愛想な表情のまま接客の練習をしていた桃菜から、めぐがマニュアルを記載した紙を受け取る。
接客かぁー、とみなこは独りごちる。奏と一緒に演出に回れば良かったと、ちょっぴり後悔した。
*
「お店の名前とかどうするんですか?」
七海がそんなことを言い出したのは、翌日の放課後。一年と二年のリハーサルの交代のタイミングで取っていた休憩中だった。
「あー、お店の名前か」
そう言えば考えていなかったと、奏用のカウンターチェアに腰掛けた里帆が、わずかに浮いた足を揺らす。
「すぐに決めれば看板くらいぱぱっと作れんちゃう? そういうのってあった方がええやんな?」
「確かに」
楽器を片付けていた杏奈と美帆がそう言って顔を合わせた。視聴覚室とアナウンスしているから迷うことはないだろうけど、入り口に看板があった方がわかりやすいし、雰囲気が出るのは確かだ。
「伊坂は、なんかアイデアある?」
「無難に宝塚南ジャズバーとか?」
揺らしていた足をピタッと止めて、里帆の双眸が大樹を睨む。「ちゃんとした意見出しただけやのに、なんでそんな目で俺を見る」と大樹が言葉に爪を立てた。「あまりに無難やったからつい」と里帆も同じように爪を立てて見せた。
じゃれ合う猫同士みたいだな。二人のやり取りを見るのが、近頃微笑ましくなってきていた。他の部員もみなこと同じようで、にこやかな雰囲気で話題が続く。
「他にアイデアなんかある?」
椅子に座ったまま腰を回して、里帆がカウンターの方を向いた。こちらには、みなこと佳奈しかいなかったため、自然と佳奈が問いかけに答えた。
「このイベントって定番化していくつもりなんですか?」
「どうやろ? 来年、私らは卒業してるから、みんな次第って感じやけど」
「定番化するなら、印象に残るような、……ちゃんとした名前で継承していく方が良いですよね?」
「そりゃそうかもな」
佳奈の横顔を見ながら、みなこがふと思いついた店名は「BLUE NOTE」だった。佳奈の憧れであるそのステージの名前を拝借出来ないかと思ったのだ。けど、容易にそのアイデアを口に出来なかったのは、佳奈がそれを望んでいるのか? と冷静な自分が釘を刺してきたせいだ。
「みなこなんかある?」
「うーん。急には思いつかんなぁ」
嘘っぽい言葉が、カウンターの上に準備した透明なプラスチックのコップの中に溶けていく。「ふーん」と佳奈は喉を鳴らし、埃が被らないように、白い布をコップの上にかぶせた。
「桃菜は?」
ステージの上で、美帆が桃菜の肩に抱きつくように手を掛けた。鬱陶しそうな顔をしながらも、拒否する素振りもなく桃菜は棘ある声色で答える。
「スピークイージーとか?」
「おぉ、なるほど」
細い首筋に頬を近づけながら、美帆がコロコロと声を出す。こちらはじゃれ付く猫と煙たがる犬だ。
「なんですか? スピークイージーって?」
七海が首を傾げたのを見て、ここぞとばかりに、里帆と美帆が同時に「ゴホンッ!」と咳払いをした。
「良い質問や大西ちゃん! スピークイージーっていうのは、以前も説明した禁酒法時代にお酒を密売していたバーのこと」
と、里帆が勢いよく立ち上がれば、
「ニューヨークやシカゴで栄えて、みんなそこで隠れてお酒を呑んでいたってわけ。有名なのは21クラブとかかな」
と、美帆が桃菜の耳のそばで声を張り上げる。煩いと言いたげに両手で耳殻を押さえて、桃菜は渋い顔をした。
「私が説明してるんですけど?」
美帆の方に向けて、里帆の眉根に皺が寄る。言い合いをしている割に、セリフが綺麗に分かれているから面白い。それを口にすると飛び火しそうで、みなこは喉元まで出かかったことばを飲み込んだ。
「私と桃菜の会話やったやろ! あと入りは里帆!」
「解説を始めたのは私やろ!」
「結局、それと今回のジャズバーは何の関係があるんです?」
言い合いで解説が途中で打ち切られ、七海がぽっかりと口を開けて不思議がる。呆れた口調で大樹が補足をした。
「ジャズが発展していったのは、そういうお店で演奏をしていたから。お酒を呑みながら踊ってたって話を前にしてたけど、そのお店がスピークイージーやってわけや。まぁ、いまでこそ、レトロなバーくらいの意味しか残ってへんけどな」
「なんであんたが解説しとんねん!」
里帆と美帆の声が綺麗にユニゾンする。「お前らが喧嘩しだしたからやろ」と大樹は強めの口調を吐いたが、表情は少しだけたじろいでいた。
「でも良いじゃないですか、スピークイージーって」
「私もええと思う」
みなこと佳奈の反応を見て、里帆が「ほぉー」と顎を擦った。
「どうするん? スピークイージーで決定? 看板必要なら作るけど?」
美帆にそう訊ねられて、里帆は全員の様子を睥睨した。反対の意見が出る様子はなく、「ほんなら、看板頼んでええかな?」と美帆の方を見遣る。先程まで言い合いをしていたのに、表情はすごく穏やかだ。
「オッケー。そうや、桃菜ぁー、一緒に作ろうや」
「なんで私まで」
「桃菜が発案した店名やろ?」
「まぁそうやけど」
しゃーないなぁ、と聞こえるため息を漏らしながら、桃菜が首を縦に振った。
未だにみなこは桃菜という人間を掴めていない。もちろん入部した時よりも少しは彼女という人間性の輪郭を捉えることは出来ているけど。
身体は細く折れそうでガラスのような印象を受けるのに、神経はやけに図太く我儘。悪く言えば、利己的。暗く思えるのは、人と余り関わろうとしないからというだけで、決して寡黙で清楚なんていうわけでもない。それが分かったのは、杏奈の退部の問題が表面化し、その原因が桃菜にあったと分かって対話した時のことだった。
――なんとも思ってない。
桃菜の杏奈に対する評価は、ライバルでもなく同じ部活の部員、それ以上でも以下でもない存在だった。
桃菜には、サバンナで王として君臨するライオンのような風格があって、杏奈は威風堂々とするライオンに憧れるハイエナだ。ハイエナは自分の弱さを隠すために明るく振る舞い自分を偽っていたけど、ある日、ライオンになれない自分に心が折れてしまう。
みなこはライオンに問うた、「ハイエナは、あなたに勝てずにこのサバンナから去ろうとしています」と。
そう考えると、ライオンに責任や落ち度は何もない。無関心なのは非情にも思えるが、勝負の世界に身を置いている以上、そこに優しさや思いやりなどを持ち込むべきではないということも分かっているつもりだ。だから、桃菜がひどい人間だと非難することは出来ない。
それに桃菜は自ら意見を発信する方じゃなく、部の枠をはみ出すようなことをするタイプではないのだ。天才という認識をジャズ研の誰もが彼女に抱いているが、桃菜の振る舞いは傲慢さを前に出していない。その妙な奥ゆかしさが、彼女の第一印象を誤認させるのに一役買っているのかもしれない。
「どんなのがええかなぁ?」
「美帆の好きなようにすればええやん。私は指示された通り手伝うから」
「えぇー、桃菜もちょっとは意見だしぃや」
「ほんならカワイイって感じじゃなしに、シンプルな感じで」
「木のパネルみたいなのに白のペンキって感じ?」
「ええやん。そこに黄色系の照明当てたら雰囲気出るかも」
どうやらライオンの手綱は美帆が握っているらしい。一瞬だけ手綱の先に将来の健太がいることを想像したのは秘密にしておこうと思った。
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