ブルーノート

~宝塚南高校ジャズ研究会~
伊勢祐里
伊勢祐里

前編1話「クリスマスライブ」

公開日時: 2021年4月9日(金) 19:07
文字数:5,267

前編(Pretend not to notice)

「クリスマスですか?」


 ホワイトボードに書かれた文字に、みなこは思わず声が漏れてしまった。こちらの反応を見て、里帆が口端を釣り上げる。


「清瀬ちゃん予定あり?」


「そういうわけじゃないですけど」


「ほんまかなー」


 細くなった双眸から視線を逸らせば、隣に座る佳奈が白々しい顔つきでこちらを見つめていた。なんだその目は! 本当に予定なんてないのに。そう言い訳がましく佳奈に伝えようとしたところで、「私語ー」と副部長である大樹から優しい叱咤の声が飛んだ。


「あんたが書くの待ってるんやろ!」


「書いてる間に挨拶から始めたらええやんか」


 里帆は反論するかと思ったが、「まぁ、それもそうか」と納得した様子でツインテールを揺らした。今日は、可愛らしいさくらんぼのゴムで髪が低めに結ばれている。


「それでは、定例ミーティングを始めたいと思います」


 大会から一週間が経過した十二月の初旬、新体制が始まって二回目のミーティングが行われていた。以前は不定期だったものが、里帆の部長就任から週に一度の定例へと切り替わった。大げさに言えば、君主が変わり制度が変更された。それは権力の象徴だ。もちろん、そこまでの深い意味合いはないけれど。それでも里帆が部長として、どういう部にしていきたいのかという指針にはなっていた。


「先週は簡単な就任の挨拶をさせて頂きましたが、本日は今後の予定についてです」


 里帆を言い表せば、強気ながらきちんとした性格。頑固そうに見えるけど、存外思慮深く、それでいて大胆な行動が出来る。付け加えるなら人の上に立てる存在だ。


 思い出されるのは、今年の夏にあった杏奈の退部騒動、それから大会前の知子とめぐの選抜問題だ。問題の解決は、みなこの手柄のようになっているが、あれらは間違いなく裏で動いていた里帆のおかげなのだ。


 里帆という人間は、したたかさも兼ね備えていることを忘れてはいけない。


「板書はこんなものかな」


「ありがとう」


 書き終えた大樹に、里帆は素直にお礼を伝えた。気恥ずかしそうにする大樹を他所に、里帆はボードに張り付いた赤いマジックペンを掴む。


「まずお伝えしたいのは、この時期のジャズ研は春の新歓ライブまで、基本的に目標となる決まったイベントはありません」


「ないんですか!」


 七海の驚く声は以前よりも良く部室に響いた。三年生が引退したせいで、部室は少しだけ広く、寂しく感じる。こうしてミーティングで椅子を並べて座っても、一列分少なく、まるでポッカリと心に穴が空いてしまった気分になった。それが未だに慣れないのは、まだ名残惜しさを消化し切れていないからだ。部の体制は一瞬で新しくなっても、心の切り替えには時間が掛かる。秋から冬へと移り変わっていくように、心とは穏やかに変化していくもののはずだから。


「ふふふ、例年はね」


 里帆がそう微笑みを返せば、「ということは、今年は……!」と七海が熱せられて昇っていく気球の如く立ち上がった。もちろん、動力源は期待だ。


「クリスマスライブを開催したいと思います!」


「おぉ!」


 感激に溢れた瞳を輝かせながら、七海は拍手を送った。七海の瞳を輝かせているのは、ライブへの高揚感だろうか、はたまたクリスマスという行事への世俗的な浮かれだろうか。


「ホワイトボードに書いてん見たのに、よぉそんなリアクション出来るな」とめぐが呆れた様子で肩を落とせば、「大西ちゃんはいつも楽しそうやな」と杏奈が軽快な笑いを飛ばす。当の七海は、「クリスマスライブやぁ」とはしゃいでいるので聞こえていないけど。


 注意を集めるように、里帆が空咳を一つ飛ばした。一瞬、手が動いたのは、知子の仕草を真似てしまいそうになったからだろう。ピクリと弾んだ肩の動きを、みなこは見逃さなかった。知子は手を打って、みんなの注目を集めるのが癖だった。


「というのも、さっきも言ったように、大会から春までの時期には、決まった目標が無いねん。たまにイベントに呼ばれたりして演奏することもあるけど、待ってるだけやと決まるものも決まらんやろ? それなら、今年は自主的にイベントを企画してみようと思って」


 里帆らしいと思った。積極性は彼女の持ち味の一つだ。


「どこでするんですか? ライブハウスとかです?」


 訊ねたのは航平だった。この人数で手を上げているのは、彼の律儀さがよく出ている。大樹がマジックペンのキャップの先を爪でこすりながら答えた。


「ライブハウスを借りたいところやけど、……そうなると場所代にお金が掛かってくるし、クリスマスっていうのも今から箱を抑えるには日程的に厳しいから。チケット代のことも考えなあかんようになるし」


 ジャズ研は決して人数の多い部活ではなく、部費も限られていた。金管楽器は吹奏楽部との共用なので、維持費は折半だけど。部室には、ジャズ研保有の楽器や備品で溢れている。なるだけ節約しなくてはいけないのだろう。


「それじゃ、どこでするんですか?」


「クリスマスイブに、視聴覚室を使わせて貰えることになってる」


「思ったより広めの会場ですね」


「それは里帆の交渉のおかげやな」


 それを聞いて「どんなもんだ」と里帆が胸を張った。恐らく部員からツッコミを期待していたのだろうけど、就任早々の里帆の働きっぷりに感心した面々から彼女の望む言葉は出てこず、少し恥ずかしそうに肩を竦ませた。垂れた低めのツインテールが乱雑に肩の上で広がる。


「視聴覚室ってことは、お客さんは学内の人間だけ?」


 里帆と同じ形に作られた低めのツインテールが揺れる。縛っているゴムの飾りは、さくらんぼではなく真っ赤な木苺。美帆は里帆の双子の妹である。


「そこらへんも含めての話し合い。学内の人間だけでどれだけ埋めれるか分からんから」


「時間は?」


「一応、午後はずっと、下校時間まで抑えてある」


 書き忘れていたのか、二人の会話を聞きながら、大樹がホワイトボードに追記していた。慌てているのか、先程までの文字よりも少しだけ汚い。彼は自分の書いた文字が納得にいかないのか、眉間に皺を寄せていた。


「イブの日は確か日曜日やっけ?」


 肩に着きそうな髪を指先に巻きつけて、杏奈が甘い声を漏らす。まん丸とした双眸が美帆の方を向いたのは、彼女ならクリスマス前後の曜日を把握していると踏んでだろう。


「確かそうやったはずやで」


 杏奈の意図を読み解いてか、美帆がツンと尖った声で答えた。美帆は、引退した三年生のトロンボーン奏者、中村健太と恋人付き合いをしている。


「美帆先輩は、イブなのに大丈夫なんですか!」


 悪気もなく単刀直入な質問をする七海に、「昼間にライブなら、別に夜会えるやろ」と美帆が嘆息を漏らしながら答えた。 


「夜ですか! なんだかアダルティーですね」


「どういう意味?」


「深い意味はないですよ?」


 本当にないのだから恐ろしい。頬を赤くした美帆を見て、七海は不思議そうに首を傾げていた。ツンと横にはねた髪が天井の方へ向く。


「時間に縛られへんなら、うちは公演の回数増やして沢山の人に来て欲しいな」


「そうそう、そういうことを聞きたいねん」


 話を脱線させてしまった責任からか、杏奈が仕切り直すように意見を述べれば、そのアシストを里帆がしっかりと受け取った。


「何回くらいが妥当ですか?」とめぐが訊ねる。姿勢が前のめりなのは、次期部長としての責任感だろう。


「学内だけの人間を呼ぶなら、多くて二回公演が限度かな」


 視聴覚室は文化祭でもステージとして利用した。立ち見であれば、百人ほどを集客出来る。ジャズの演奏をするには最も適した人数と言えるが、なんせ宝塚南は生徒数がそれほど多くはない。座席を容易して五十人ほどのキャパにしても、里帆の言う二回公演が限度に思えた。


「学外から人を呼べば、それよりも公演回数を増やせるってことやな」


 大樹が腕を組む、その表情は少し渋いものだった。意図を察した杏奈が自嘲気味に笑って返す。


「さすがに三回、四回はキツイ? 人をたくさん呼べるにこしたことはないけど」


「会場が体育館とかなら、学外を考えても良かったかもしれんけど。もしくは一年と二年で別れて演奏するとか?」


「あー、それならそれぞれ二回公演でふた回しって感じになるな」


 里帆が名案だと言わんばかりに手のひらに拳を重ねる。甘く締まっていたのか、拳に握られていたマジックペンのキャップがカチッと音を立てた。


「もちろん、どこまで集客できるのかってこともあるけど。ただクリスマスにライブするだけで四回公演分もお客さん来てくれるかな?」


「今年は大会でそれなりの結果も出したから関心は持たれてると思うんやけど」


 里帆が小さな顎に指をさすりながら呟く。「俺もそうであって欲しいと思ってる」と大樹が肩を竦ませた。どこか語尾を濁らせていた物言いが気になったのか、里帆は眉根に皺を寄せる。


 大樹の言いたいことを、みなこはなんとなく察していた。彼は少しだけ不安なのだ。期待だけを膨らませたけれど、あまりお客さんが来てくれなかった……というのは、あまりに残念だ。むやみに気概だけを振りまいても、それらは結果には直結しない。


「宣伝の段階でより沢山の人に知って貰いたいってことですよね?」


「そういうことやな」


「まぁ、そこを怠る理由もないからな」


 鋭さを持って大樹を見つめていた里帆の視線が、穏やかなものに変わった。同時に、みなこは上手く仲裁出来たと安堵する。別に二人は喧嘩をするわけじゃないけど。見ていてヒヤヒヤするのはどうしてだろう。どの感情のボタンか分からないけど、掛け違えてしまっているような。微笑ましいと際どさの合間を見ているのは、心臓にあまり良くない。


「それならコンセプトを決めるっていうのはどうですか?」


 提案したのは奏だった。おずおずとした様子なのは、先輩を恐れているわけではなく、彼女の自身の性格のせいだ。だからこそ、文化祭で杏奈と対峙した時の自分の意見をはっきりと述べた奏の姿がとても印象的だった。


「コンセプト?」


 そう聞き返した大樹に、「例えばですね……」と奏の弱腰な双眸が宙を見つめる。


「みんながサンタのコスプレを……っていうと可笑しなことになりますけど。テーマを決めると言いますか。上手く言えないですけど、クリスマスってだけだと弱いと思うんです」


「確かに奏ちゃんの言うのも最もかもなー。イブの日は、他にもイベントがあるわけで。それで、わざわざうちらのとこに足を運んで貰うとなると、普段のジャズ研のライブ以上に特別感のあるものを準備せなあかんのかもしれんな」


「言いたいのはそういうことです!」


 大げさに頷く奏に、杏奈が白い歯を覗かせる。杏奈がこの部に留まる理由は、その笑顔なのだろうか、と思うと少しだけ胸の奥がチクリと傷んだ。


「なるほどコンセプトか」


 里帆は呟きながら、赤いペンでその五文字をホワイトボードに書き記し、何度か丸で囲った。


「なら、ジャズバーがやりたいです!」


 みんなの視線が一斉に七海の方へ向いた。臆することを知らない彼女は、堂々と意見を続ける。


「食事を楽しみながら、演奏を聴いて貰えるってすごく良くないですか? だって、ジャズって元々そういう場所で演奏されてたんですよね?」


「七海ちゃんよく覚えてたねー」と杏奈が仔犬を撫でるような手付きで、後ろの座席に座る七海の頭をちやほやと撫でる。


 七海の言う通り、ジャズは酒場などで演奏されて発展していった歴史がある。それに、ジャズバーという響きは、実にお洒落でクリスマスにピッタリだ。「ええんじゃない?」という声がちらほら周りから漏れ始める。


「でも、食べ物の提供ってして大丈夫なん?」


「あー、それは少し問題あるかもな」

 

 大樹と里帆がそう言って顔を見合わせた。思い返せば、宝塚南高校は、文化祭でも食べ物の模擬店は禁止だった。そもそも視聴覚室では調理は難しい。


「でも、お菓子とかジュースを出すくらいなら問題ない気もするけど」


「うーん。先生に確認してみななんとも言えんな」


 部長と副部長が頭を抱えてしまったところで、今日のミーティングの内容は先生に精査してもらうことになった。ジャズ研の提案としては、ジャズバーで報告を上げるつもりだという。


「明日もまた今日のことを踏まえてミーティングすると思うから、用事ある人も始めの方は顔を出してください」


「はーい」


 部員は揃った返事をして席を立つ。このあとは個人練習になっていた。それぞれが座っていた席を抱えて片付けを始める。


「ジャズバーってええアイデアやったな」


「やった! めぐに褒められた!」


「まだ承認されるかは分からんけどな」


 離れていくめぐと七海を視線で追いかけながら、みなこも自分の座っていた丸椅子を抱えた。


「もしオッケーなら、どんな食べ物出せるかな?」


「調理は難しいやろうからな。伊坂先輩も言ってたけど、お菓子くらいちゃうかな?」


「バーやねんからお酒も出したり!」


「お酒はダメやろ」


「もしや、禁酒法ってやつ!」


 もしかしなくても、高校生なのだからお酒は禁止だ。心の中でツッコミを入れて、みなこはいくつか重なっている丸椅子に自分が座っていたものを重ねた。

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