僕の家が難破した。値段の安い旧式の住居船を使っていたツケが回ってきたようだ。どんどん浸水していく我が家を眺めながら、僕はただ布団が濡れないようにと右往左往していた。
時は2XXX年。地球温暖化の影響で日本は沈没した。標高の高い地域を除けば軒並み海に沈んでしまった。そして、多くの人々は船型住居で暮らすようになったのだ。
船で暮らすのだから、ご近所付き合いなんてものもない。仕事はほとんどがテレワークだし、大半が機械化されている。僕も、今日は午後から通信会議があるだけで、後は家で仕事をする予定だった。しかし、まさかこんなことが起こるとは…
難破の原因は、建物との接触にあるようだった。今航海している領域は、昔は「シブヤ」と呼ばれる地域だ。やけに先端の尖った電話会社のビルと接触してしまったらしい。それが原因で船側面が一部破損、今に至る。
船の浸水対策機構が働いて、入ってくる水は止まった。しかし動力部が動かなくなってしまった。こうなると電気は使えなくなるし、水の浄化設備も動かない。あらゆるコンセントは漏電防止の為に電気の流れをシャットアウトしてしまっているのだ。
しかし、電気が無くても携帯電話で連絡を取れば良いのだ。そう思い携帯を水の中から探し出す。昔は電気製品は防水加工が施されていないことが殆どだったそうだが、今は真逆だ。こんな世界なのだから、防水は基本スペックに含まれている。
水の中から携帯を取り出し、電源ボタンを押す。だが、画面は一向に付かなかった。
バッテリー切れである。
なんで昨晩充電して寝なかったのか?と悔やみに悔やみ、同時に実はかなりヤバい状況なのでは?と感じ始めてくる。
仕方なく、部屋に溜まった水をかきだしながらどうするかを思案した。
そもそも、この海域に来てしまったことが不運だった。昔読んだ過去の日本の記録では、この「シブヤ」という地域は「ナンパ」が頻繁に起きていたらしい。それも毎回、男女が関係するそうだ。一切面識のない男女がこの地域で出くわすと、難破する恐ろしい海域…それが「シブヤ」なのだ。
といっても、今僕は1人だ。独身だ。この時代で出会いと言ったらSNSくらいのもの。人と人が直接会う時代は遠の昔に終わっている。
人の顔は画面越しくらいでしか見ない。冠婚葬祭の時くらいしか生身で人と会うことはないだろう。ましてや男女の出会いとなれば、少しお金を積めんで陸地でやってる婚活パーティーや船上パーティーに参加するでもしないと生身で会うことはない。僕の様な普通の人にはあまり縁のないことだ。
そうは言っても、両親は僕に「早く結婚しろ」とうるさい。「私たちはSNSで会ったのよ。あなたもSNSで良い感じの子を見つけなさいよ」と母は耳がタコになるくらいに言い続ける。会社の同期もSNSで知り合った女性と書類上では結婚したらしい。そして今は一緒に住める船を買う為に二人で頑張ってお金を貯めているとか。
水をかきだしながら思う。こんなことならば、太陽光充電の可能なバッテリーを買っておけばよかった、と。太陽光発電自体は家の屋根に基本スペックとして搭載はされているけれども、それはあくまで家の電源としてだ。携帯の充電には使えない。何せ、あらゆるコンセントが漏電防止の為に電気の流れをシャットアウトしてしまっているのだから。
部屋の水をかきだし、掃除を済ませようと戸棚から掃除用具を取り出す。モップで水を拭き取り、外で絞る、という動作を何度も繰り返していると、ちょうど東の方角に一隻の船が見えた。同じような住居船だ。
この機会を逃してはならない!!!と水から逃れた防災グッズセットの中から発煙筒を取り出し、空に撃つ。後は…これを向こうの船が確認してくれるのを待つだけである。
チラチラと何度も窓の外を眺めながら部屋を掃除する。モップが終わったら部屋の隅の水気をしっかり雑巾で拭き取り、それから乾拭きをしていく。
船は来なかった。どうやら気が付いてくれなかったようだった。僕はまた途方に暮れた。
冷蔵庫を開けるとぬるくなったペットボトル飲料が目に留まる。同時に冷凍庫を開けることが怖くなる。ペットボトルの蓋を開け、口に含む。喉の渇きは、これでもうしばらくは耐えられそうだった。
太陽は真上に昇り、流石に腹が減ってくる。防災グッズセットの中から乾パンを取り出し、ベランダでもさもさと食べる。なんだか無性に悲しくなってくるのだった。
いっそ泣いてしまおうか、と思う。泣いたって誰にも見られないのだ。何せ、周りは青海原が広がるだけで見られるとしてもお魚くらいのものだ。
そう思った時だった。
『あのー!!!!大丈夫ですかー!!!!?』
メガホン越しの声が耳に飛び込む。それはちょうど今向いてるベランダと反対側、西側からだった。
急いで西側の小窓を開けて外を見る。
一隻の住居船が見えた。ベランダにはメガホンを持った女性が見える。
「難破しちゃってー!!!!助けてくれませんかー!!!!!」
ありったけの大声で応える。
『大変ですねー!!!今行きますー!!!』
先ほどは悲しくて泣きそうだったが、今度は嬉しくて涙が零れそうになる。
しかし、同時に「あれ?さっきの人女性だったよな」と思って変な緊張感が生まれるのだった。
しばらくして女性の船が僕の船の横に付く。
「すみません…電気が止まっちゃって…携帯の充電も切れてて…」
「あぁ~、災難でしたね…救助、今呼びますね?」
そう言って女性は携帯電話で救助を呼び、位置情報を送信するのだった。
その時だった。
グゥ~、と何とも気の抜けた音が僕のお腹から鳴る。流石に乾パンだけでは物足りなかったようで、僕の腹は更なる食べ物を欲していたのだ。
「あ、す、すみません…」
何とも恥ずかしくて顔を隠す。
「い、いえ!大丈夫ですよ!?電気止まっちゃってると料理できませんもんね…」
何故だか女性の方も少し恥ずかしそうだった。
「そうなんですよ。電気が止まったせいで冷蔵庫の中も大変で。冷凍庫とか開けたくないですよ…」
と、なんとか話をつなげる。
すると、女性の方からこんな申し出が上がった。
「だ、だったら~、うちで調理しちゃいましょうか?」
「え、え!?」
「…お腹も空いてるみたいですし、救助もまだ来ませんし…ね?」
「いや、いいんですか!?…是非お願いしたいです…」
「は、はい!大丈夫です!」
なんともぎこちない会話だと思う。しかし、このご時世…人と人が顔を合わせて会話をするというのは…なんとも珍しいことなのだ。
幾つかの食材を持って女性の船に移る。「なんとも女性らしい部屋だ」という感想しか出てこない自分がなんとも憎たらしい。けれども他に思いつく言葉があるわけでもないので
「他の人の船って、乗ることあまりないので新鮮です。凄く女性らしい部屋ですね」
などと言うのだった。相手も緊張しているのか
「私も、他の人を船に乗せるの初めてなので…あんまりわからないんですけどそう言ってくれると嬉しいです」
などと言うのだった。
女性は美味しいパスタを作ってくれた。トマトとシーフードのパスタだ。バジルの自家栽培をしているらしく、摘みたてのバジルが何とも香りが良い。冷凍庫に入れてあったシーフードミックスはすっかり解凍できていたので具も豪華だ。
「凄く美味しいです!!」
「ありがとうございます!!」
そうこうしているうちに、救助の船が来て同時にその場で船が修理された。難破保険に入っていたお陰で費用はそこまでかからなかったのが不幸中の幸いだろう。
修理の間も僕は女性の船で過ごさせていただけた。その間色々な事を話した。お互いの趣味、好きな映画、仕事の事etc…僕と女性は驚くほど趣味が似ていて、話せば話すほど会話が弾んだ。
とても楽しかった。刺激的な時間だった。
しかし、楽しい時間にも終わりはある。日が暮れる頃には船の修理が終わり、僕は自分の船に戻ることができた。
帰り際、改めて先程までの時間を思い出す。とても楽しい時間を思い出す。そして、僕は意を決して彼女に言うのだった。
「あの、もしよかったらなんですけど…明日も一緒に過ごしても良いですか?…てか連絡先交換しません?」
彼女は赤面した。
それから彼女はいつも、僕の隣で言うのだ。
「まさか、シブヤでナンパされるとは思わなかったよね~」
と。
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