ヨハネと獣の黙示録

〜黙示録事件篇〜
上崎 司
上崎 司

乃呑の記憶

公開日時: 2020年9月30日(水) 12:00
文字数:1,854

私は幼い頃から、父親の暴力が酷い家庭環境で育った。母親への暴力は次第にエスカレートしていき、私にも及ぶようになった。


その後、相談支援センターの介入によって、私たちへの暴力は無くなった。だけど今度は、家で飼っていた黒猫のミントやシロフクロウのバジルに暴力を加えるようになった。


小学校を卒業した春休み中、見兼ねた私はミントとバジルをこっそり連れて、家を飛び出した。


警察に保護された私は、児童保護施設で預かられ、新しい両親の養子になった。新しい両親は、私を本当の子どものように受け入れてくれた。でも、一つだけ問題があった。


それは、マンションが動物を飼うのを禁止していたこと。管理人に、私は選択を迫られた。ミントとバジルをマンションから出すか、私が出て行くか。


ちょうどそんな時だった。『秘宝』という存在を、TRG社が産み出したのは。


陽光中学校に入ってすぐ、私は学級委員になった。周りにはとにかく明るく振舞っていたけど、誰一人として心を許せる存在はいなかった。


人間関係なんて、所詮は上辺だけ。虐待を受けて育ったからか、私は人間不信に陥っていた。


愛歌と出会うまでは……。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


一年前の七月、体育の授業のことだ。いつも組んでいる私のペアと、愛歌のペアが欠席だったから、私は愛歌とペアで体育をすることになった。


その日の授業内容は五十メートル走。私の得意な種目だ。私がスタート地点に着いて隣を見ると、一緒に走るのは眼鏡をかけた、文化系の女子。なんだ、つまらないな……。


エアガンの銃声が鳴った。私は最初から全速力で走った。隣の子を引き離していく。


走りながら、心の中でタイムを数える。よし、間違いなく新記録だ。私は五十メートルの線を超えると、愛歌に向かって叫んだ。


「タイムは!?」


愛歌はぼんやりとどこかを見つめていた。ストップウォッチは止まっていない。七秒、八秒と刻まれていく。


「ちょっと、何ボーっとしてるの!?」


「ひゃうっ……。ごめんなさい」


私が声を荒げると、愛歌は小動物のように体を震わせていた。


せっかく記録更新だったのに、最悪……。そう思いながら私がスタート地点に戻ろうと歩いていると、私と同時に走り出した文化系の子が、途中で膝を抱えていた。


そっか、この子を見てたから、ストップウォッチを止められなかったんだ……。って、手元にあるストップウォッチくらいすぐ止められるじゃん。


私は先生に諸事情を告げて再計測を求めた。膝を擦りむいた文化系の子の隣を素通りして、私はスタート地点に着いた。走ろうと思ったら、ストップウォッチを持った愛歌の姿が見当たらない。


「大丈夫? 保健室まで送るよ?」


「ありがと、愛歌ちゃん……」


愛歌は、持ち場を離れて文化系の子を介抱していた。……くだらない。所詮は傷の舐めあい。


「転んだ子を助けてあげる私優しいでしょ?」


そう周りにアピールしているように感じた。馬鹿馬鹿しい。愛歌は戻ってくると、私に笑顔を向けた。


まぁいいや。計り直すチャンスはもらったんだから、さっきより早く走ってやる。私はそう決意して、走り始める姿勢に入った。


エアガンの銃声と共に、私は前のめりに走り出した。早く。もっと早く。五十メートルの線が目前に迫った時、私は足を捻って転倒し、白い線を超えた。


愛歌は、私に駆け寄ってきた。


「大丈夫、菜の花さん?」


「そんなことより、ストップウォッチ止めて!!」


愛歌は、私に手を差し出していた。だけど私は、その手を突っぱねた。


「そうやって私を利用して、周りからの評価を上げようとしてるんでしょ!?」


感情的になって、つい叫んでしまった。愛歌の瞳から涙がこぼれ、クラスメイトの女子たちはヒソヒソと小声で話し始める。ああ、こんなつまらないことのせいで、私の今まで積み上げてきた努力が台無しだ。泣きたいのは私の方だよ……。


「大丈夫……。怖がらないで」


愛歌は涙をこらえて、もう一度私に手を差し伸べてきた。


「私も人が怖いよ。でもね、そう思っている気持ちってみんな一緒なんじゃないかなぁ。菜の花さんは、いつもみんなに気を遣っていたんだよね。でも、一人で抱え込まないで。楽しいことも辛いことも、みんなで分け合えばいいんだよ」


気が付くと私の瞳にも涙が溜まっていた。私は誰にも自分の弱みを見せないように虚勢を張っていた。私は泣いている姿を見られたくなくて、そっと愛歌の膝に顔を埋めた。


「ううっ……、うぇぇん……」


「よしよし、大丈夫だよっ」


この日から私は、愛歌みたいな『優しさを与えられる人』になるんだと決意したんだ。

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