美しく死ね。

クラスみんなで異世界迷宮に飛ばされました。生きてゴールしないと帰れないってそれ、性格悪すぎません!!?
ふきのとう
ふきのとう

二十四話

公開日時: 2020年9月6日(日) 07:29
文字数:2,519

 新界への怒りが収まらないまま、俺たちは歩き続けた。さっきから、恐怖が脳裏にちらちらとその影を映している。怒りを失えば、激情を失えば恐怖が胸を埋め尽くしてしまいそうだった。それに薄々気づいていたから、俺は怒りを収められなかったんだろう。


 俺たちのグループは、全員で八人。俺、石堂、和田が先頭を歩き、足の悪い来栖が最後尾、来栖を支えるように宇垣と湯島がいて、大森と染川の二人が中央を陣取る。


 大森は、バレー部のやべえ奴という印象だ。生まれつき逆立った髪の毛を茶色に染めた巨漢。かなりの猫背で、近寄りがたい風貌だ。その上、やることがどうも常識から外れていることがある。だが、言うことは聞くし大問題を起こす訳でもないから、まだ御しやすい。新界なんかよりは全然ましだ。


 染川は少し苦手だ。外見はクールで、ミステリアスな奴だが、その実何も考えていないなと感じることが多々ある。何しろ、こいつは周りに合わすことしかしないのだ。恐らく、加賀にとっても苦手なタイプだったろう。加賀は、自分で何もしないくせに周りからの恩恵にあやかろうとする奴が嫌いだった。


 これまでの戦闘には、染川はそれほど協力的だった訳ではない。染川の『風を起こす能力』は蛇戦でも使われたが、加賀の指示がなければ何もしようとしなかった。そのせいで加賀が少し苦労していた。


 そして、最後の一人。宇垣が一番分からない。眉にかかるくらいの真っすぐな黒髪からは、手入れしていることが俺でも分かる。俺なんかとは違って、根っから優しい奴なんだろうとは思う。だが、俺は根本的に宇垣みたいな全然喋らねえ奴とは折り合いが悪い。俺と宇垣とでは人種が違う。性別すら違うんじゃないかと思うことすらある。仮に残り全員助かったとして、こいつと関わることは今後もないだろう。


 そう言えば、宇垣は自分の性別に違和感があると聞いたことがある。まあ、俺には関係のない話だが。


 宇垣と大森の能力は把握していない。だが、確かまるで使えない能力だったはずだ。実際これまでの戦闘には一切関わっていない。戦闘に使えねえなら覚えておく必要もないだろう。


「今んとこなんも起きねえな」


 石堂の言葉に、頷いて返す。これまで通りなら、そろそろ何かが起きてもおかしくない。何も起きないということは、俺が選んだ道が正解だったってことだろうか。静木が悔しがる顔は全く想像できないが、鼻を明かせたんなら胸がすく思いだ。


 この時、一瞬気が緩んだ。さっき親父の幻影を見たからだろう、昔の記憶が蘇ってきた。


 加賀がいる施設に行く前のことだ。俺の家庭は、崩壊していた。


 親父は最低の暴力男だった。毎朝だらしなく着崩したスーツで出かけて行って、毎晩飲みつぶれて帰ってくる。持っていく鞄にはほとんど何も入っていなかった。本当に働いていたのかどうかも怪しい。親父は母が働きに出かけるのを許さなかった。だから、母は親父がいない間家で編み物をして、それを売って金にしていた。だがそれも大した金にはならなかった。俺の家はいつも貧乏だった。


 そして、親父は帰ってくると、毎日俺と母を殴った。体が痛まない日はなかった。あざがない日はなかった。顎が噛み合わないのを放置された。学校に行くのは許されなかった。どんなに辛くても、病院には連れて行ってもらえなかった。あれでいて外面は気にしていたらしい親父だ。家庭内暴力がばれるのは避けたかったんだろう。


 母は、俺を守ろうとはしなかった。自分もひとしきり殴られた後で、俺にいっつも謝ってきた。ごめんね、でもパパも私たちを思ってのことだからね、と。俺はその言葉に愛を感じられなくなっていた。親父も母も、ただただ疎ましかった。俺にとって家の中が世界の全てで、世界の全てが敵だった。


 死にかけたことも何度もあった。夏だろうが冬だろうが、俺はゴミだらけの部屋に押し込まれ、ずっと放置された。エアコンなんて見たこともない。真冬は新聞紙にくるまり必死に寒さに耐えていた。風呂にしたって、いつ換えたのかも分からない、虫の浮いた湯舟に三日に一回入れられたくらいだ。


 そんなんだから、俺は強くなるしかなかった。部屋の中の物を無茶苦茶に殴った。自分の手から血が出ようが、気にしなかった。痛みには慣れていた。ただひたすらに、強くなることを望んだ。


 そんな無茶苦茶な特訓方法で、本当に強くなれたのかは分からない。それでも、徐々に自信はついていった。少しずつやり返せるようになっていった。やり返した分、更に激しく殴られたが。


 そうやって痛めつけられながら、俺は成長した。そして、いつか起きるだろうと予想していたことが起きた。


 ある夏の日の晩のことだった。悲鳴を上げる母を追いかけまわし、親父が母を殴りつけていた。いつもなら、その後俺に標的が移るところだった。だが、その日はそうはならなかった。


 母を殴るのに満足せず、親父が包丁を持ち出したのだ。邪悪な笑みを浮かべ、親父がゆっくりと荒々しい息と共に母に近づいていく。


 さすがの母も、ここまで追い詰められては、反撃しないではいられなかった。近くにあったものを手当たり次第に親父へ投げ出したのだ。しかし親父は気にする様子もなく、むしろ興奮したように笑みを絶やさない。


 到頭親父が母の前に立った。親父の腕が大きく真上に振りかぶられる。母の目は固く閉じられ、腕が顔の前に備えられた。俺は、それを黙って見ていた。目の前で起きていることに対して、何の感情も抱かなかった。


 親父の腕が振り下ろされた。鮮血が飛び散る。断末魔の叫びとは、ああいうのを言うのだろう。母の泣き叫ぶ声が響き渡る。親父の腕が何度も上下する。俺は飛んできた血しぶきをぬぐいもしない。


 そして気づけば、母は声を上げなくなっていた。そのことに気づき、初めて親父が、自分のしたことを認識した。ただ茫然と、母の上に跨っていた。


 家の外から、サイレンが聞こえてきた。隣人が俺の家での異常事態に気づき、通報したと聞いた。そこから先はなされるがままだったんで、あんまり覚えていない。たくさんの大人が入ってきて、抵抗する気のない親父を抑え込み、どこかへ連れて行った。


 俺が施設に入れられたのは、それから間もなくのことだった。

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