疲れ切った体を座席に押し付け、俺は車窓を流れる景色を見ていた。歩道を人が歩き、住宅街に光が灯る。ありふれた景色が、本当に帰ってきたのだと実感させてくれる。
見知らぬ人と乗る車中は、少し気まずかった。用意されていた車は間違いなく高級車だし、運転手もどこか執事然とした人だ。一般人の俺には合わない。そう思っていたが、運転手が気を使ってか何も喋ろうとしないおかげで、疲労も相まって体はすぐに馴染んだ。
実に刺激的な経験だった。迷宮でのことを思い出す。今までにない興奮の連続だった。一生忘れることはないだろう。
ずっと刺激に飢えていた。友情だの愛だの、くだらない薄っぺらなものに夢中になる奴らばっかの、日和った世界に飽き飽きしていた。だからこそ、迷宮に送られた時は喜びに打ちひしがれた。退屈な奴らが悲鳴を上げ絶望するのは気分が良かった。
自ら死ぬ奴がいた。志半ばで死ぬ奴がいた。世界を恨みながら死ぬ奴がいた。それを見ることができた。俺自身も死を覚悟した場面もあった。あの緊張感は、この国で味わうことはできない。できた俺を幸せと言わず、誰が幸せなのか。
そして、あの迷宮が魅力的すぎたために、また元の生活に戻るのが少し心苦しい。精神的にも肉体的にも疲労した。一度味わえば十分だ。それでも、帰れなくとも、いっそあの世界で死んでもよかったのではないかと、そう思ってしまう。こんな俺が死ななかったのは、どんな因果だろう。
あのクラスを知っている人間なら、加賀が生存することを望んだだろう。あいつは道徳を平然と振りかざし、自分の正義を押し付けながらその自覚を持たない最悪な奴だった。それなのに、完璧に操作された外面がカリスマを生み、その魔性の性格を霞ませる。自分の本性を欺くあいつを、誰もが憧れる。そして、本性のままに生きる俺が隅へ追いやられる。あまりにも理不尽だ。こんなだから、退屈なんだ。
そんなことを考えながら、俺は子供の頃を回想した。俺は小さい頃から、死が好きだった――。
俺は、親の顔を覚えていない。生まれてすぐの頃に、箱に入れられ捨てられていたらしい。殺されなかっただけましだ。捨てられていたのが施設の前でよかった。どうせろくな親ではなかっただろうが、その心にわずかに残った情けには感謝したい。
親がいなかった俺にとって、施設の大人たちが親代わりだった。けれど大人たちだって、いつも俺につきっきりでいられる訳じゃない。物心ついた時にはすでに、俺は孤独だった。その孤独が、俺を本性に正直にさせた。
五歳の頃、初めて故意に虫を殺した。蟻を踏み殺した。踏んでも踏んでもなかなか死なないことを面白がって、夢中になった。最終的に体が折れた蟻がみじめで滑稽で、たまらなく魅力的だった。それから、虫を殺すのが好きになった。
色んな虫を殺した。蟻を水攻めし、蝶の羽をむしり取った。カマキリにバッタを食わせた。トンボをかごに入れて振り回した。蚊を最も残酷に殺す方法を研究した。虫たちがもだえ苦しむのを見るのが、無性に楽しかった。
しかしある時、虫を殺しているのを大人に見られ、こっぴどく怒られた。何が悪いのか理解できなかった。こんなに楽しいのに、どうして止めなくてはいけないのか。子供ながらに理不尽を感じた。そしてこの時、生き物はこっそり殺さなきゃいけないと学んだ。
十歳になる頃、釣りを始めた。釣れた時の快感も悪くなかったが、それよりも釣った魚が死んでいくのを見るのがたまらなく好きだった。餌が生きたまま喰われるのを想像するのも堪らない。ただ残念なことに、俺には才能がなかった。時間がかかるうえに大した成果も得られないので、すぐに飽きてしまった。
中学生に上がって、猫に手を出した。猫を殺すのは難しかった。暴れ回って俺まで傷だらけになるし、鳴きわめくから人の注意を引きやすい。おまけに、他の猫まで寄ってきて威嚇してくるのでかなりうっとうしい。初めは公園の目立たないところで首を絞めて殺そうとしたが、うまくいかず諦めた。その後、溺死を試したところうまくいったが、期待以上の快感は得られなかった。後始末も面倒だったので、それ以来猫は殺していない。
この頃になると、俺は感情を隠し通せるようになった。常に無表情でいると気味悪がられたが、人と関わりたくない俺にとっては好都合だった。そして俺の殺害衝動も隠せるようになっていた。
だが、殺害衝動を隠さなければならないことには納得していなかった。今でもそうだ。世の中には、趣味で動物を殺す奴がいる。魚にしろ鳥にしろ獣にしろ、快楽で殺してる奴がいる。なぜそいつらがよくて俺だけが駄目なんだ?
それに、俺たちは何かを殺して生きている。殺さなければ食糧を得られない。殺さなければ害される。俺を叱る大人だって、直接手を下すのを他人に任せているだけだ。家畜どもを飼育しているのは人間だ。人類の手は等しく血で汚れている。すでに汚れているなら、汚しつくしたって別にいいはずだ。
昔から不満だった。自分に正直に生きることが許されない。偽りの自分でなければ他人と接することを許されない。ありのままの自分が、異常だと糾弾される。こんな世界、間違っている。
この世界は、異質であることに不寛容すぎる。普通であることを強要し、普通でいられないものを隅に追いやる。醜いもの、汚いもの、見たくないものを見えないところに追いやって、上辺だけを取り繕っている。根本的な解決は他人に丸投げだ。解決しようとする人を異質なものとしてしまう奴もいる。異質は救われない。ただ黙殺されるのみ。
迷宮の、加賀が死んだ幻覚の間で、俺はこの世界を見た。苦痛なほど普通な世界で年老いて死んでいく幻覚を見た。悲鳴を上げそうだった。そんな普通は、求めていないのだ。
あの迷宮は、俺の異質を救ってくれた。退屈に狂いそうになっていた俺に刺激をくれた。殺害衝動を認めてくれた。
普通を取り繕った退屈な奴ら、異質を糾弾する奴らを閉じ込め、愚弄するのがあの迷宮なのだとしたら、あの迷宮はある種の象徴かもしれない。俺のような異常者の、世界に対する反乱の象徴。今はただ、あの迷宮が愛おしい。
高山と別れようとした時、俺を呼び止めて、高山は言った。あなたも委員会の一員になりませんか、と。委員会に入ることは、もう普通の生活を送れないことを意味していた。
俺の答えは、決まっていた。
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