美しく死ね。

クラスみんなで異世界迷宮に飛ばされました。生きてゴールしないと帰れないってそれ、性格悪すぎません!!?
ふきのとう
ふきのとう

二十九話

公開日時: 2020年9月6日(日) 19:41
文字数:2,290

「くそがあ!!!」


 叫びつつ、怪物の牙が開いた瞬間を見て再び走り出した。あの巨体で追いかけられたらたまったもんじゃない。体なんて壊れてもいい。とにかく今は逃げなければ。


 ここにきて、また最速を更新した。死が間近に迫っている。その恐怖が、俺に死力を尽くさせる。


「郷原!!!」


 上で声がした。和田の声だ。くぼみに摑まったまま、俺を見ている。焦っているのが見て取れた。


「じっとしてろ! すぐ行く!」


 後ろがガサガサうるさい。だが、迫ってくる感じはなかった。勇気を出して、ちらりと後方を確認する。怪物の気持ち悪い足がうじゃうじゃ動いてやがる。だが、怪物は自重に耐えられずに登ってこれないようだ。


 それなら、怪物が一番上までやってくることはない。逃げ道はある。

 

 しかしたとえ上ってこれなくとも、怪物は触手を自由に動かせる。鞭のようにしなる触手が、俺めがけて飛んできた。すんでのところで横に避ける。バシンと音がした。すぐ隣の床が削れていた。相当強い攻撃のようだ。喰らったら骨が折れるだけではすまないだろう。傾斜のきついここでは避けにくい。早く怪物から離れなければ。


 触手を避けるため後ろを確認しながら、順調に床を登っていった。和田の姿が近づいてくる。あの高さならギリギリ触手も届かないはずだ。これならどうにかなりそうだ。


 また触手が俺を襲う。どうにか身を躱すが、触手が削った床の破片が胴をかすった。血と汗が服に滲んで気持ち悪い。


「郷原! 頼む早く来てくれよ! もう腕が限界だ!」


 またしても和田の声。悲痛さが声に表れている。


「弱音吐いてんじゃねえ! すぐ行くって言ったろ! どうにか耐えろ!」


 急ぎたくても、今の速度が俺の全力だ。触手の動きもも確認しなければいけない以上、これより早く動くのは無理だ。


「ああああああああ!!!」


 やかましい声が聞こえてきた。今度は和田じゃない。何事かと上を見れば、宇垣だ。何しろ和田と違って他の三人は何かを掴んでいるわけでもない。体がもたなかったのだ。むしろ今までよく耐えたものだ。


 宇垣が、床を下へと滑り落ちていく。すぐに俺の横を通り過ぎて行った。


 その先にあるのは、当然死だ。


 パシ、と音がした。


「嫌だあああ! 死にたくない!!!」


 宇垣の声がやたら耳につく。だが俺がどうにかできるはずもない。むしろこれは逃げるチャンスだ。俺は必死に手足を動かす。


「だから嫌だったんだ! こっちについてくるんじゃなかった! 男なんて大っ嫌いだ! 郷原なんか大嫌いだ!!!」


「うるせえな」


 思わず声が漏れる。今は宇垣なんぞの声に構っている場合じゃない。そんなのは理解しているが、胸の中に黒い靄が生まれるのはどうしようもない。


 そしてどうにか、和田の隣に至った。また床を削って穴を作り、体を固定する。


「待たせたな。動けるか?」


「正直しんどいぜ。石堂は大丈夫か?」


「分かんねえ。でも息はしてるみたいだ」


「まあ生きてんならどうにかなんだろ。七瀬が治療してくれるだろうし」


 和田がにかっと笑う。こういう時でも笑える和田の豪胆さは凄いし、こっちも多少気が楽になる。


「どうだか。女子が協力してくれるとも思えねえが。まあいい、行くぞ。こっちに身を寄せてくれ」


 そう和田に声をかけた時だった。


「がああっっっ」


 苦しそうな息が、後ろで漏れた。さっと後ろを見る。宇垣の体が、触手に締め上げられていた。


 それでも宇垣は抵抗していた。だがそんな抵抗虚しく、触手がしなり、宇垣の体が放られる。軌道の先は、怪物の口。


 宇垣は最後まで暴れていた。その体が怪物の体内へ消える。怪物の口が閉じられた。


「死んだか……」


 そう呟いた瞬間だった。ガタン、と床から音がした。そして、床が跳ね上がった。


「嘘だろ!!?」


 床の傾斜がさらにきつくなる。ほぼ垂直に近くなった。


 悲鳴が聞こえた。大森だった。その体が、真下へ落ちていく。染川の姿もあった。染川の顔は絶望でゆがめられていた。茫然と、声も出さずにただ静かに落下していく。


「郷原! 助けてくれ! もう耐えられない!!!」


 隣を見れば、和田の体が宙づりのようになっていた。その体が、徐々に下にずれている。


「こっちに手を伸ばせ!」


 咄嗟にそう叫んだ。俺もくぼみを掴んでいない方の手を差し伸べる。一呼吸分の間を空けて、どうにか和田が腕を伸ばしてきた。その手を取ろうとした瞬間。


 ガタン、ガタンと、またしても床から音が鳴った。今度は二回。床が動き、傾きが大きくなる。もはや床は反り返り、腕一本で体を支えるしかなくなった。


 そしてこの時、和田の腕は限界を迎えた。ずるりと和田の手が滑り、窪みから離れた。和田が、下へと、落ちていく。俺にはそれが、ひどくゆっくりに見えた。


「おい、待てよ」


 ぽつりと呟く。和田のために伸ばした手が、何もない空間を掴む。何が起きているのかを、理解したくない。


「俺たち、仲間だろ?」


 そう尋ねたところで、誰も答えやしない。その事実に、茫然とするしかない。


 ゆっくりと落ちていく和田が、絶望した表情の和田の肉体が、静かに、怪物の口腔へ、抵抗むなしく、なすすべもなく、落ちていった。耳が詰まったように聞こえなくない。脳が、現実を受け入れるのをやめた。


 そしてまた、床が鳴った。無機質な音を立てた。もはや床は天井のようになりつつあった。


 その傾きが、新たな悲劇を生んだ。


 背負っていた石堂の体が、背中からずり落ちた。慌てて石堂の腕を掴もうとする。だが、遅かった。手は空を切った。俺はまた、仲間を救えなかった。


「嫌だ」


 こんな状況でも、俺の口は饒舌だった。無能な俺は、喋ることしかできなかった。


「俺を置いてくんじゃねえよお前ら。俺を一人にしないでくれよ」

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