「なあ、郷原」
先頭を歩いていると、声をかけられた。坊主にちょっと毛が生えたみたいな、長身細見の男がそこにいた。和田だ。このクラスでは唯二人の俺の仲間のうちの一人。石堂と和田が俺の仲間だ。
「この後どうすんだ?」
「どうするもなにも、先に進むしかねえだろ」
「そりゃそうなんだがさ。今は疲れてっから文句言うやつもおらんが、そのうち進みたくねえとか言う奴ぜってー出てくるぞ」
「そんな奴ほっとけ。ついてくる奴以外がどうなろうが知らねえよ。だけどまあ、クラス全員で生きて帰るっていうのが加賀の願いだったからな。ついてくる奴は守ってやろう」
「……ま、それはそうだな」
納得したように、和田は頷いた。和田がこんなことを言い出すとは意外だった。和田は文化部を蔑む節がある。文化部の絡み方がどうも許せないらしい。俺たち三人以外はほとんどが文化部だ、気にすらかけないと思っていたが、何か思うところがあったのだろう。
長い間歩いて、ようやく突き当たりの壁に辿り着いた。声をかけ、全体に歩くのを止めるよう指示する。
全体を観察する。どうも全員疲労がたまっているようだ。特に来栖の顔色が悪い。額に脂汗が浮いている。自慢のオールバックが乱れて、余計に老けてえ見える。
来栖の能力は『体の一部を補強する』。俺の下位互換な上に、来栖は生まれつき足が悪い。足の補強で精いっぱいだ。かなり周りに対し遅れをとっていた。ただこれでも戦意だけはあるようで、どうにか戦闘に参加できないかと加賀に相談していたのを、少し前に見かけた。
視線をずらして、はっとした。日比谷が何食わぬ顔で立っていた。無表情だが、ちゃんとついてきている。泣いてもいない。妙なくらい普通だ。一体静木は日比谷に何を言ったんだ? ぞっとしてしまう。
なにか不気味なものを感じるが、そこで全員が俺を見ているのを気づいた。俺がリーダーだと認めてくれているらしい。それは助かる。
「あー、何言えばいいんだ? まあ、とりあえず休憩だ。たっぷり休んだら、また出発する」
「進むって、どっちに」
七瀬の質問。もっともだが、どっちに進めばいいかなんてわかる訳ない。
「あの……それ、見て」
覇気のない声が聞こえてきた。湯島だ。傷は完治しているが、表情を作る元気もないらしい。疲労しきっている。湯島が指さす先を見て、一枚のプレートに気づいた。足元、壁の一番下に、鋼のような銀色の板がある。何か文字が書かれている。
「死か生か、だあ?」
随分苛立つことを言ってくれる。つまりは、右か左かどっちを選ぶかで生き残れるかが変わるということか。
「これ、間違った方を選んだら死ぬ、ってことでしょ。ねえ、よく考えて進む方選ばない?」
静木だ。自分から意見してくるとは思わなかった。
「考えてどうする。考えたらどっちが正解か分かるのか?」
「なら、直感で選ぶわけ?」
「そういうこった。心配しなくても、俺がいればそうそう死ぬことはねえよ」
「どうだか。そういうことなら悪いけど、私たち女子は別行動させてもらうから」
「はあっっっ!!?」
思わず変な声が出た。ここに来てこいつ、なぜクラスの統率を失わせるようなことを。訳が分からない。
そこで、ある事実に考え至った。こいつは今、私たち女子と言った。要は女子は静木に賛成しているということだ。前もって静木が根回ししていた可能性がある。
俺の頭はすでに悲鳴を上げている。もう面倒ごとを増やしたくない。今から女子を説得するなどもっての外だ。自分から、俺の保護を捨てたんだ。そんな奴らは放っておこう。女子連中を含む集団行動は諦めることにした。
「わかった。もういい。男連中は俺が連れていく」
誰か、文句を言うような気配があった。男子たちを睨みつけ、黙らせる。これで俺についてくるならよし、これでも俺から離反しようとするなら何を言っても聞かないだろう。
結局、男子からは反対意見は出なかった。全体に、休憩を取るよう指示する。
険悪な空気は直らないまま、おそらく一時間以上が経った。静木のせいで冷静になれない心を、無理やり静めなければならなかった。こんな状態では、体も休まらない。ただでさえ怪物どもの相手で疲れているのに、なんだって味方に疲労させられなければならないのか。
そして終いには、じっとしていることに耐えられなくなって立ち上がった。注目が集まる。俺はただ一言、行くぞ、と言った。呼応するように石堂と和田も腰を上げる。
重苦しい緊張感の中で、周りの奴がひそひそ話しだした。不安なのが見てわかる。それを見かねてか、和田がでかい声で呼びかけた。
「おい、お前らも行くよなあ! 郷原がいるんだぜ! これ以上ないほど安全だろうが!!!」
幾人かの肩がびくっと跳ね上がった。元々自分じゃ何も決められない奴らだ。誰かに強く言われりゃあ――。
予想通り、恐る恐る立ち上がる影があった。湯島だ。中腰になって、他の男子と俺とを交互に見ている。どうやら他の奴が立ち上がるのを待っているらしい。
そして、湯島につられるように他の奴も続々と立ち上がり始めた。染川、宇垣、来栖、大森だ。これで男子全員が立ち上がった。
「よし、出発だ」
そう言って、歩きだす。左右のどっちが正解かなんてわかりゃしない。俺は直感で左を選んだ。進んだ先には、これまでと同じうす暗い通路が続いていた。
しばらく歩いて、何も変化が起きないことに安堵する。何か異常事態が発生しても、和田と石堂を助けられる自信はあった。だがそれでも、何も起こらないに越したことはない。
「まさか男全員来るとは思わなかったぜ」
重たい空気を取っ払おうと、隣の和田と石堂に話しかける。
「マジでそれな。ま、こいつらがどうしようが、俺は郷原についていくだけだけどな」
石堂が、当然と言わんばかりに賛同してくれた。こういう時仲間がいるっていうのは、素直に嬉しいもんだ。
ところが、和田は石堂とは少し違った。
「盛り上がってるとこ悪いんだけどよー、新界のこと忘れてねえか? あいつ来てねえぞ」
「なに?」
そこでようやく、新界の存在を思い出した。慌てて確認する。確かに、新界がいなかった。
「くそが……。待っててくれ、俺が連れてくる」
そう言って戻ろうとする石堂を引き留める。
「まあ待てよ。そんな奴ほっとけ。いてもいなくても分かんねえような奴だ」
そんな俺の言葉に、渋々という感じで石堂は納得した。だが、その顔は不満そうだ。かく言う俺も、苛立ちを隠せない。空気の読めない新界という存在が、ただただ疎ましかった。
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