10分ほど歩いて、新たな扉の前に立った。その扉もやはり巨大で、とても人が開けそうなものじゃない。けど、多分さっきみたいに触れれば開くんだろう。
「よし、行こう」
意を決した表情で、加賀くんが扉に触れようとした。けど、伸ばした腕はすぐに動きを止めた。何事かと思って見てみたところで、僕からは背中しか見えないから、加賀くんが何を考えているかは全然わからない。
じっとそうしているので、加賀くんの傍にいた真坂くんが我慢できずに声をかけた。
「どうした――」
「静かに」
加賀くんが指を口に添えた。張り詰めた静けさが僕たちを覆う。全員が耳をそばだてている。
しばらく経った。でも、僕には何も聞こえない。
――いや、聞こえた。何かをひきずるような、重たい音。大きい何かが這うような音が、扉の向こうから聞こえる。扉の向こうから、威圧感がびりびりとやってきた。
「化け物、か」
加賀くんの独り言に、何人かが息を呑んだ。覚悟はしていたことだ。でも怖いし、信じられない。
それは加賀くんも同じはずだった。けれど、やはり加賀くんは落ち着いていた。
「みんな、今怖いと思ってると思う。確かに怖い。僕も怖いよ。この先に何がいるのか分からない。それがこんなに怖いなんて、思ってもみなかった。でもね、案外大丈夫なものだよ。勇気があればね」
加賀くんの言葉は、僕ら全員に言っているようにも、加賀くん自身に言っているようにも聞こえた。それでいて、僕たちの恐怖をどんどん溶かしてくれた。
「芹さん、ちょっと来て」
加賀くんに呼ばれ、一人の女子が前に進み出た。ほとんど白みたいな金髪の、背が低くてふわふわした雰囲気の人。芹さんだ。能力は確か、『障壁を作る』。
「お願いがある。僕が扉を開けたら、まず芹さんが前に出て、障壁を張ってほしいんだ」
「うん、わかった」
「ちょっと待って、なずなに真っ先に危ない目に会えってこと?」
芹さんをかばうようにもう一人女子が出てきた。七瀬さんだ。出てくる勢いが強くて、茶髪のお団子が少し揺れてる。七瀬さんもあまり背が高いわけではないけど、すごく存在感があった。
「大丈夫だよ、ななちゃん」
「大丈夫な訳ないでしょ。怪我したらどうするのよ」
「その時は、ななちゃんが治してくれるでしょ?」
「それは、そうだけど……」
七瀬さんの能力は、『傷を癒す』。
「自分勝手なお願いなのはよく分かってる。でも、なるべく危険を減らすためだ。許してくれないかな」
いつになく真剣な加賀くんを前に、七瀬さんは少したじろいだ。
「いや、まあ、なずながいいならいいんだけど……。でも私はなずなと一緒にいるから。いいよね?」
「うん。その方が僕も助かる」
加賀くんはにこりと笑って、また扉に向き直った。その手が扉へ伸びる。芹さんが身構えた。
加賀くんの手が、扉に触れた。重たい音を立てて、扉が向こうへ開いていく。向こう側からまばゆい光が差し込んできた。
扉が半分くらい開いたところで、目が慣れた。芹さんが中へ飛び込んでいく。芹さんの前にシャボン玉のような、半透明の壁が現れた。
次の瞬間、視界が真っ暗になった。何かが障壁にぶつかり、轟音が鳴り響く。障壁に伝わった衝撃が、僕らまで伝わってきた。思わず後ずさってしまう。障壁に壊れる気配はないけど、ビリビリと音を立てて振動していた。
砂煙が晴れていく。そして、障壁に激突したものの正体が明らかになった。ひっ、と息を洩らす音が聞こえた。もしかしたら、僕自身の息かもしれない。すでにパニックになりかけていた。多分加賀くんがいなかったら、後ろを向いて逃げ帰っていたと思う。
障壁の向こうにいたのは、一匹の大蛇だった。地球上に存在するはずのない、巨大な生き物。全長はそこそこ大きなビルくらいあると思う。蛇は、障壁に攻撃が効かないとわかったのか一旦引き、こちらを威嚇するように睨んでいる。
緑の鱗が不気味に光り、恐ろしい。さっきから卵が腐ったようないやな臭いもする。もう見たくないはずなのに、圧倒的な存在感が僕の視線を捉えて離さない。
蛇のさらに向こう側にまた扉があるのが見えた。あそこが出口のはずだ。あそこまで行ければ。
「芹さん! そのまま前に!」
加賀くんの声で、呆けた様子だった芹さんが気を取り直し、前進を始めた。それに合わせて障壁も前へ動いていく。障壁と部屋の壁との間に、人が通るのに十分な空間ができた。
加賀くんがすかさず次の指示を出した。
「戦える人は障壁から出て! 怪我をしたらすぐに障壁の後ろに戻って、七瀬さんが治療! 怖い人は無理しなくていい!」
そんな無茶苦茶な、と思ったけど、でもそれしかない。倒せるかどうかはわからないけど、話せばわかる相手じゃないのは確かだ。どうにか無力化して、この部屋から出ないといけない。
「郷原君! 行けるか!!?」
「当たり前だ!!!」
そんなやり取りを後に、加賀くんと郷原くんが真っ先に飛び出していった。すぐに蛇が二人に狙いを定め、凄いスピードで飛びかかっていく。
蛇の口が二人に迫る。その時、多分郷原くんが能力を使った。郷原くんの能力は『身体能力の増強』だ。郷原くんの動きが不自然に速くなり、蛇の攻撃を避逃れた。
幸い蛇は、郷原くんの方を狙って攻撃したようだった。おかげで加賀くんは、自分の反射神経を活用してギリギリのところで身を翻し、どうにか避けることができた。蛇が攻撃の勢いのまま壁に激突する。轟音とともに白煙が立ち込める。煙に巻き込まれて、加賀くんの姿が見えなくなった。
固唾を飲んで見守る。蛇は壁にぶつかったまま、まだ体勢を直せていない。
これまでの人生の中で一番長い数秒の後、加賀くんが煙の中から走り出てきた。その後ろで、蛇の頭が上に跳ね上がる。ぱっと煙が晴れた。蛇が倒れていた場所に郷原くんがいるのが見えた。郷原くんが蛇の頭を殴り飛ばしたみたいだ。郷原くんの能力の効果は絶大らしい。
二人の活躍のおかげで、僕らにも闘魂が湧き上がってきた。蛇はまた頭をもたげこっちを見ている。その眼は怒りの色で染まっていた。でももう、怖くない。
「行くぞ!!!」
誰かが叫んだ。それが皮切りとなって、みんなが飛び出していく。ただ、僕は行けない。僕の能力は戦いに使えるものじゃない。それに加賀くんみたいに動けるわけでもない。足手まといにならないためには、他の数人と同じように障壁の後ろに留まるしかなかった。膨れ上がる戦意を抑えながら、障壁の先を見る。負傷した人がいたら、僕が絶対に救出する。それぐらいのことはしよう。
蛇の口が開かれる。その喉奥から、甲高い声がほとばしった。思わず耳を塞いでしまう。叫び続ける蛇。その頭に、火の玉や氷の矢が次々にぶつかって爆発した。耐えられずに蛇の叫びが止み、一瞬蛇の体が傾く。その頭を灰色の煙が纏う。蛇の視界は奪えたはずだ。
郷原くんが蛇を殴るのが見えた。とぐろを巻く胴体が真横へ吹っ飛ぶ。分身している那須くんの姿も見える。あれなら蛇を撹乱できる。
戦いは僕たちの優勢に見えた。
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