残念なことに、扉の先は元の世界じゃなかった。かと言って、これまでと同じかというとそうでもなかった。
素早く辺りを見回す。しかし、怪物の姿はなかった。念のためじっくりと見るが、私たち以外に動く者はいない。
「なに? あれ」
紀本が問いを発した。そう言いたくなるのも分かる。怪物がいない代わりに、部屋の構造が特殊になっていた。私たちの数十メートル先から、床がなくなっている。その先は谷のようになっていて、下には暗闇が広がっていた。部屋の奥に目を走らせると、再び床が現れ、扉がある。そして、こちらから向こう側へ、五つの石の橋が伸びていた。
「とにかく、進みましょ。化け物はいないみたいだし、少し気が楽ね」
そう言って、先頭を歩いた。私の目は、床の、中央の橋の付け根付近に埋め込まれたプレートを見逃していなかった。私が一番初めに内容を確認し、内容によっては隠さなければいけない。
突然私が早足で歩きだしたので、皆驚いたようだ。だけど、そんなことは気にしない。
すぐにプレートの傍に立った。皆に悟られないように素早く内容を確認する。思わず息を呑んでしまう。ばれないように、すぐにプレートを踏んで隠した。
「なんか見つけた?」
秋月の質問に、首を振る。間髪入れず言葉を返した。
「なにも無いわ。見たところ、橋に罠があるわけでもなさそうね。ここで止まっていたって仕方ないし、進むしかないわ。芹さん、来てもらえる?」
芹と七瀬が反応して、一緒に近づいてきた。用があるのは芹だけだけど、まあいい。
「芹さんは、真ん中の橋を渡ってくれる? 多分、障壁を張ったら両側の橋まで届くと思うの」
「うん、分かった」
二つ返事で芹は了承した。物分かりがよくて助かる。
「みんなも聞いて。みんなには、ばらばらに橋を渡ってほしいの。何が起こるか分からないでしょ? もし全員が同じ橋にいて、何かが起きたら人数が多いから戻ってこれないかもしれない。でも一人なら、すぐに逃げられる。それに、芹さんの障壁があるから怪我をすることもないはず。お願いできる?」
少し声を張って、全体に呼びかけた。私の能力のおかげか、全員異論はない様子。気になるといえば新界だけど、こいつはこの際無視。橋は五つ、私以外の女子は五人。ちょうどいい。
「葵はどうするの?」
秋月の問いに、頭を働かせる。正直に本当のことを言う訳にもいかない。その場しのぎで、渡らない理由を作った。
「私は後ろで様子を見ておくわ。少なくとも一人は、全体の様子を見ておかないといけないでしょ。何か異変が起きたらすぐに声をかけるから、安心して」
私に能力がなかったなら、不信感を抱く人もいたと思う。でも、私の能力によって皆私の言葉が絶対になっていた。だから、私が橋を渡らないことに反対の声は上がらなかった。新界に関しては、そもそも会話に入ってこようとしていない。
「じゃあ、みんなお願いね」
そう言って、前を指し示す。皆が頷いて、前へ進み出た。真ん中に芹、その右隣りに七瀬、左に日比谷。両端に秋月と紀本という布陣だ。
残った一人、新界は、相変わらずの気だるげな無表情で、所在なさげに立っていた。私に見られているのに気づき、じろりとにらみ返してくる。こいつは無表情なせいで、私の能力が効いているのかどうか分かりづらい。
「新界くんは、そこで待機していて」
一応声をかけておく。新界が黙って頷いたので、とりあえずは満足して前を向いた。ちょうど、五人が橋に足をかけたところだった。
「ていっ!」
一声あげて、芹が障壁を張った。ちょうど、両端の橋までの幅がある。これなら、少なくとも前からの攻撃は防ぐことができるだろう。
芹が最初の一歩を踏み出し、四人がそれに続いた。まずは様子を伺う。特に何かが起きる様子はない。ほっとしたような空気になる。五人は、ゆっくりと前進していった。
このまま何も起きず、無事に向こう側へ行けたらいいのに。けれど、私はそうはならないことを知っている。プレートの内容が、私に現実の厳しさを教えた。同時に、私の運の良さも教えてくれた。
後ろにはまだ新界がいる。プレートを見せる訳にはいかない。その場を動くことができなくなった。
やはり、新界の能力が気になる。新界の能力さえ分かれば、対処の方法も分かるのに。
「ねえ、新界くん。そろそろあなたの能力、教えてくれてもよくない?」
そんな風に尋ねてみた。すると、新界は面倒くさそうに口を開いた。
「俺の能力は他人に知られると効果を失う。何を言われようが、教えることはない」
「誰にも言わないって約束する。お願い」
「駄目だ。お前が言うか言わないかは関係ない。誰にも教えはしない」
「……そう」
ここまで強く言われると、閉口するしかない。仕方なく、私は再び前を向いた。
芹たちはどんどん先へ進んでいく。間もなく橋の半分を越えようとしていた。異変もなければ、ひんやりとした空気による緊張感も変わらない。
しかし、芹たちが半分を越えた瞬間だった。
ぞわり、と悪寒が背中を這った。空気が一変する。何かに命を狙われている。自分が獲物であることを、実感させられた。
それは私だけではなかったようだ。芹たちも突然変わった雰囲気に戸惑い、怯えている。進むのを止めてしまっていた。指示を出そうと声を出す。
「みんな! こっちに戻って――」
最後まで言うことは叶わなかった。それが、現れたからだ。
橋の下から、四本の触手が飛び出てきた。吸盤がびっしりついた、タコのような触手。障壁の高さを優に超えて伸びあがる。触手は芹たちの真横から出てきたせいで、障壁で防ぐことができない。
触手が、芹たちに襲い掛かった。四人の体に巻き付く。障壁が解除された。四人の体が奈落の底へ消えていった。七瀬だけが、橋の上に取り残された。
「嫌あああああああああ!!!!!」
七瀬の絶叫が響いた。私はただ、茫然とその光景を見ていた。
プレートには、『唯一つの道が命を繋ぐ』と書かれていた。生きて向こうへ行けるのは、たった一人だったのだ。
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