美しく死ね。

クラスみんなで異世界迷宮に飛ばされました。生きてゴールしないと帰れないってそれ、性格悪すぎません!!?
ふきのとう
ふきのとう

二十八話

公開日時: 2020年9月6日(日) 19:39
文字数:2,667

 石堂に注目しすぎた結果、怪物のもう一本の触手の動きに気づけなかった。


 バシン、と凄まじい音がして、床が震えた。振動で、ずるずると下へ滑り落ちてしまう。だが、その音のおかげで気を取り直すことができた。すかさず床を殴りつけ、くぼみを作って体を固定する。


 足元から聞こえてきた轟音の主を、まじまじと見た。視線の先で、触手が気味悪くうねっていた。その先に、湯島が摑まっている。もはや意識はないらしい。ぴくりとも動かず、ぐったりとしている。


 二本の触手が、ゆっくりと怪物の口元へ近づけられていった。石堂はまだ死んでいない。でたらめに暴れまわって、逃れようとしている。意識を失わないように、声を出し続けて気合を入れているようだ。


――諦めるな。


 俺の中で、誰かが言った。俺自身か、幻想の加賀か、あるいは別の誰かか。何者かが、諦めるなと叫んでいる。仲間を救えと叫んでいる。


「当たり前だ……」


 ふつふつと力がみなぎってきた。覚悟ができる。俺がリーダーだ。仲間を救えるのは俺だけだ。戦えるのは、戦うべきは俺だ。


「待ってろよ石堂!!!」


 一言叫び、再び床を殴る。何度も何度も拳を叩きつけ、強引に穴を掘った。生まれた穴に腕を差し込む。出せる最大の力を使って、思い切り横に力を加えた。床はぴくりとも動かない。それでも、力を加え続ける。


 加え続けた力によって、間もなく願っていたことが起きた。床が盛り上がり、ぼろぼろと崩れていく。亀裂が入り、人の頭サイズの石塊がいくつか生まれた。


 腕を引き抜き、体を上へと持ち上げていく。穴に片足をかけて、体を固定した。これで両手が空いた。


 生まれた石塊の一つを手にとる。これでどのくらい怪物の気を引けるか分からないが、やれるだけのことはやろう。


「おいクソ虫!!!」


 呼びかけたところで、怪物が俺を気にかける様子はない。そもそも音を認識できるのだろうか。今は石堂と湯島に夢中のようだ。


「これでもッ……喰らいやがれ!!!!!」


 そう言って、石塊を全力投球。石は吸い込まれるように怪物の体へ飛んで行った。能力も相まって弾丸のような速さだ。そして、失速しないまま怪物の体に直撃。どこが頭部か分からないが、口の下あたりに当たったから多分頭だろう。


 怪物の体に比べれば随分小さい石塊だった。しかし、投球速度が豪速だったために、石が直撃した瞬間、怪物の体が傾いたように見えた。石塊が体内へめり込んでいく。

 

 途端に、ガチガチッ、と嫌な音が鳴り響いた。怪物が歯を鳴らす音だ。なんとなく、怒っている気がする。虫に感情があるかどうかは知らないが。


 よく考えてみれば、あの図体の化け物からしてみれば俺たちの方が虫けらみたいなものだ。到底倒せる相手じゃない。それでも、逃げることはできるはず。


 怪物は、さっきのが誰の攻撃か分かっていないようだった。でたらめに触手を動かしている。触手の先には石堂が捕まったままだ。意識を失わなきゃいいが。


 そう思っていた矢先。ずっとそうやって暴れているのかと思ったが、化け物が行動を変えた。たぶん触手の先の異物がうっとうしくなったのだろう。石堂と湯島をパッと解放したのだ。当然、石堂たちは床目がけて落ちることになる。石堂たちはかなり高いところにいた。あの高さから落ちたら確実に死ぬ。


 考えるべくもない。俺は移動を開始していた。重力に任せて、落ちるように走る。再び、床が凄まじい速さで後ろへ流れていった。


 気づいてはいたことだが、能力の長時間使用で体に限界が訪れつつあった。対ライオン戦は気づかないふりをして誤魔化したが、体は正直だ。そもそも人にできない動きをも可能にする能力だ。そのうち耐えられなくなってもおかしくはない。体が壊れるのも時間の問題だ。


 今なら分かる。七瀬の治癒能力は万能じゃない。怪我なら治せるが、疲労は完全には除去できていない。俺は一度ぶっ壊された肩を治してもらった。確かに完治はしたし、肩の調子は怪我をする前よりもむしろよかった。それなのに、体には妙な倦怠感が残った。


 つまり対ライオン戦での疲労は、依然肉体に残っているということだ。なるほど確かに休息も取った。けれど、この迷宮に入ってから食事をとっていないし、睡眠もしていない。完全回復など望めない。


 石堂を受け止めることができたとして、俺は耐えられるのか?


 そんな問いが、頭をもたげた。深呼吸をし、大丈夫だと言い聞かせる。不安になっている場合じゃない。それに、弱音を言える立場にいない。


 恐らく今までで最速の移動によって、俺はどうにか石堂の真下までやってきた。石堂が落ちてくるのを待つ。石堂がまだ生きていることを、そして俺の体が衝撃に耐えられることをただただ祈った。


 しかしその時。ぞわり、と悪寒が背筋を這った。思わず怪物の方を見る。なぜか、ぴたりと動きを止めていた。


 突如、床が振動しはじめた。いや、迷宮全体が振動している。不穏な空気を感じ取る。逃げ出したくなるほどの威圧感が、怪物から滲み出る。


 そして、怪物がゆっくりと動き始めた。坂の上に向けて。


 怪物が上ってくるにつれて、その体が露わになっていく。長い胴体についた無数の細長い脚が、気持ち悪く蠢いている。見ただけで嫌悪を覚えてしまうその風貌に、鳥肌が立つ。


 あれが全身を地上に出したらどうなるのだろう。床を這い上って一番上まで来やしないか。そうなったらますます逃げ場がなくなる。絶望で視界が真っ暗になりかける。


 だが、そんな絶望では俺の心は折れない。


「諦めんな!!!」


 己を叱咤する。再び上に意識を向けた。石堂の胴が目前にある。


「よし来い!!!」


 その一声とともに気合を入れた。石堂が俺の腕に収まる。直後、凄まじい衝撃が俺を襲った。耐えきれず、地面に倒れる。どうにか頭は打たずに済んだが、石堂の体で俺の胸が潰されるような錯覚に陥った。パキパキと音が体内から聞こえる。だがもう、痛みにはもう慣れた。


 石堂を受け止めた衝撃が、またしても俺の体を滑り落とす。踵でどうにか減速し、無理やり滑るのを止めた。素早く石堂を背中に背負い、獣のように四足で上へ走り出す。可能な限り早く、上へ、上へ。間もなく、体が限界を迎えて動かなくなるだろう。その予感がある。俺は必死になって、早く走ることだけを考えた。


 だが突如、嫌な予感がして、俺はすかさず動きを止めた。本能に従ったその動きは、正しかった。


 そのまま移動していればいただろう場所を、化け物の二本の歯がガチンと貫いたのだ。嫌々ながら、ちらりと後ろを見る。


 怪物の全身が、地上に出ていた。その平たい口が、俺の背後に迫っていた。

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