「おい、あれ見ろよ!」
和田の声に促され、下を見た。坂の下には、暗闇が広がっている。だが、俺の本能が何か不気味な気配を感じ取っていた。
来栖も見つけた。下へずるずると滑り落ちているが、どうにかこらえている。かなり俺たちから離れた場所にいた。
おい来栖、と呼びかけようとしたところで、気配の正体が見えた。
何か巨大な、得体の知れない生物が、じわじわと暗闇から姿を現した。触手のような黒いものが、怪しく蠢いている。固い外皮に覆われた全貌が、徐々に露わになる。カチカチ、と嫌な音が迫ってきた。巨大な二つの歯が鳴る音だ。
「あれもしかして、アリジゴクって奴じゃねえか……!!?」
和田の絞り出すような声。あいにく俺はアリジゴクを知らないが、こんな触手みたいな気持ち悪い触角は、多分ついていないだろう。なんにせよ、ろくでもないやつなのは間違いない。
「とにかくずらかるぞ!!!」
そう言って、頭上を見た瞬間。床が震えるほどの衝撃と爆音が俺たちを襲った。立ち込める砂塵を片腕で払いながら、前方を確認する。
「なんだよ!!?」
巻き上がった砂煙が徐々に晴れてくる。俺たちが来た側の通路を、巨大な壁が塞いでいた。
「そんなのありかよ!!!」
逃げ場がなくなった。あとは滑り落ちて下のバケモンに食われるだけ。そんな絶望的な考えが脳裏をよぎる。
だが、諦めるという選択肢は俺にはない。石堂と和田、二人だけならなんとか助け出せるはずだ。来栖は諦めるしかないだろう。それでも、他の奴も何人かは助けられるかもしれない。突然現れたあの壁。あれがどれだけ厚いか分からないが、俺の能力で殴り続ければいつかは壊せる。
そう思い、和田と石堂に声をかけようとした刹那。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
誰かの絶叫が俺の鼓膜を貫いた。嫌な予感がして下を見る。
声の主は来栖だった。怪物の触手のような触角が、来栖の胴に巻き付いている。来栖が暴れまわって逃れようとしているが、触角が離れる様子はない。触手がうねり、来栖の体が浮き上がった。
次の瞬間。
触角が、ぎりぎりと締まっていくのが見えた。一気に腹を締め上げられ、来栖が声を出せなくなる。
間もなく、来栖が何かを吐いた。服がびしゃびしゃと濡れていく。赤みも交じってるように見えた。もしかしたら、内臓が破裂したのかもしれない。来栖の悲鳴が呻きに変わり、そして声が消える。びくん、と跳ね上がるように体が動き、来栖はぐったりと動かなくなった。
そして、触手の先がゆっくりと怪物へ近づいていく。その先にあるのは、はさみのように鋭い、二本の牙のようなものと、グロテスクな平たい口。
突如、触手が鞭のように振り払われた。来栖が空中高く舞う。恐らく来栖は意識を失ったまま。体が最高点に到達し、急降下を開始した。その先に、開かれた口が待つ。
そして、来栖の体は風切り音とともに、怪物の口へ吸い込まれていった。助けを求めることもできないまま、声もなく来栖の姿が消えた。
ここまで、ほとんど時間はかからなかった。あまりに呆気なく、来栖は死んだ。
その事実に茫然としている暇もなかった。突如としてガタン、と床が震え、更に傾きが大きくなったのだ。上にいた連中がずるずると滑り出す。俺と石堂は無理やり床を掴んでいるので耐えられているが、いつか腕力にも限界がくる。早く脱出しなければ。
「石堂! 俺の脚に摑まれるか!!?」
どうにか片脚を石堂に差し出し、尋ねる。片腕で和田を抱え、片腕で二人分の体重を支えている状態だ。さらに石堂も上へ連れて行くとなると、足に摑まってもらうしかない。
石堂は逡巡するそぶりを見せたが、すぐに意を決したように表情を改めた。くぼみを掴む腕に体重を預け、体を傾ける。そして、吐いた息を後ろに残して飛んできた。その手が、ぎりぎり俺の足首を握る。
突然増加した重量に耐えきれず、肘が伸び切ってしまう。手が窪みから離れかけた。だが、能力のおかげか、どうにか耐えた。指に力を込め、どうにか体勢を整える。
「ふうぅぅぅ……」
ゆっくり息を吐く。これからやることがうまくいくかは分からない。だが、成功させないと死ぬ。俺たち三人の命は、俺にかかっている。
「しっかり摑まっとけよ、石堂!」
その声を合図にして、俺は片脚をたわめ、力を全身に蓄えた。くぼみを掴んだ片腕とたわめた片脚の力を解放し、上に飛び上がる。
体が浮き上がった。石堂と和田ごと、斜面に沿って上昇していく。能力のおかげで、かなり距離を稼げた。床に着地。空いた片腕で思い切り床を殴りつけ、体を固定する。
固定した衝撃で、石堂の手がずるりと下に滑った。石堂の握力が弱まってきている。
「大丈夫か石堂!!!」
「大丈夫だ、耐えた!!!」
石堂が俺の脚を伝って登ってきた。体勢を立て直したようだ。
うまくいった。この調子で登っていけば、上の壁に到達できる。石堂と和田は救える。
そう思った。そう油断した。そこで、予想だにしないことが起きた。
「うわああああああ!!!」
声がした。頭上だ。上から誰かが滑り落ちてきた。筋力が持たなかったのだ。それは湯島だった。
「ほっとけよお前ら」
小さく呟く。湯島の場所から考えて、ぎりぎり俺たちの横を通り過ぎていくはずだ。湯島を助けていては、無駄な体力を使ってしまう。
ずるずると滑っていく湯島。こらえようとしても、うまくいっていない。体が限界なんだろう。俺の横をゆっくりと通り過ぎて行った。その顔は、絶望に塗りつくされていた。俺は何も言わずに湯島を見ていた。
そのまま落ちていくんだと、確信していた。だが、死にたくないという思いがそれを可能にしたのだろうか。湯島はただでは落ちなかった。
突然、、ぐっと俺の腕に更なる負荷が重くなった。くぼみを手放してしまいそうになるのを必死に耐えた。
慌てて下を見た。湯島が、石堂の脚に摑まっていた。
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