施設に入ったところで、世界が敵だらけなのに変わりはなかった。
俺はまだ、人に頼ることを知らなかった。人を信用することを知らなかった。誰かが優しさを見せても、それを素直に受け取る術を知らなかった。大人は全部、俺を傷つけるためにいるんだと思っていた。子供は皆、汚い俺をあざ笑っているように思えた。だから俺は、毎日喧嘩した。誰かを怪我させた。それ以外に、人との関わり方を知らなかった。
そんな最低な俺だったのに、見捨てずにいてくれた奴がいた。たった一人だけ、味方になってくれた。俺が喧嘩する度に仲裁しにきて、場を丸く収めようとしてくれた。周りを信じてみろと、言ってくれた。俺はそいつだけは殴る気になれず、いつも悪態をついてその場を離れた。
それでも打ち解けられずにいたある日。
年下のガキが、突然ぬいぐるみを無くしたと言い出した。どうもお気に入りだったらしい。皆で探した。俺も探すのを手伝ったら、もしかしたらみんなの仲間になれるかもしれない。そう思った。そう思えたのに、素直じゃない俺は一人こそこそ探すことしかできなかった。
小一時間くらいだろうか。大人も出動して探し回って、結局ぬいぐるみは見つかった。だが事態は、それでめでたしめでたしとはならなかった。
そのぬいぐるみが、無くしたガキでは手の届かないところにあったのだ。しかも、意図的に誰かが隠したような場所に。誰が隠したのか、犯人を見つけ出そうという流れになるのは、まだガキだった俺たちにとっては必然だった。
そして、誰かが言い出したのだ。俺が犯人に違いないと。普段の俺を見ていたら、一番納得できる答えだ。一人を除いて誰もがそれを信じた。俺は必死に否定した。それでも指をさされ、糾弾され、追い詰められた俺はまた暴力に頼ろうとした。
助けてくれたのは、またあいつだった。
証拠もないのにそんなことを言うなと叱ってくれた。他のガキを敵に回してでも、俺を救おうとしてくれた。そいつはガキたちのリーダーで、でもそんなことをすればリーダーではなくなるかもしれなくて。俺の中によくわからない感情が沸いて、俺は涙を流してた。
結局、犯人は別の奴だった。俺を犯人に仕立て上げて、施設から追い出してしまおうと考えたらしい。実に子供らしい考えだが、子供にしてはよく考えた方だ。俺を救ってくれたあいつは、そいつを滅茶苦茶に叱った。
そして、俺も叱られた。お前が他人を信用しないからこうなるんだと。いい加減僕を信用してくれと。素直になれない俺はどうにか反論しようとして、そいつの目を見て反抗するのをやめた。
そいつの目は、真剣だった。心の底から俺を叱ってくれていた。それは、初めての経験だった。そして、それまでの俺の短い人生の中で一番、嬉しいことだった。
そして俺は初めて、家族以外の人の名前を覚えた。そいつの名前は、加賀といった。
それから俺は、ずっとこいつに付いていこうと決めた。加賀の右腕になろうと決意した。その後だって何度も加賀とは喧嘩したが、俺の尊敬する奴であることに変わりなかった。なのに――。
今更ながら、加賀が死んだことを実感した。人との別れが、こんなにも胸を痛めるものとは知らなかった。母が死んだときでさえ、こんな風にはならなかった。改めて加賀の存在の大きさを知る。
だが、だからといって加賀の後を追う訳にもいかない。今では俺にも仲間がいる。仲間だけは守らなければならない。
加賀の考えの中で、賛同できなかったことがある。加賀は、たとえ自分を慕ってるやつじゃなくても仲間だと思う節があった。自分と関係を持つ人間全てがあいつが守る対象。だから、このクラスの全員があいつにとっての仲間だった。
だが俺は違う。俺にとっての仲間は、互いのことを心底知り合った奴だけだ。このクラスで俺の仲間は、加賀と石堂、和田くらいのものだ。加賀が死んだ今、俺は石堂と和田さえ守り抜ければそれでいい。一応、大森たちも助けるようにはするが、危なくなったらすぐに切り捨てる。それが俺の信条。
「おい郷原」
石堂の声で、ふと我に返った。
「あそこ、なんか光が見えねえか?」
石堂の指さす方を見れば、確かに白い光が見えた。外につながる出口のような。
「ありゃあ出口じゃあねえか? こっちが正解ってことだよな!!!」
和田が興奮した声を上げる。その声につられて、周囲が騒がしくなった。かくいう俺も、口角が勝手に上がってしまう。
「ざまあみろ、静木。生き残るのは俺たちだ」
思わずそう呟いてしまう。はやる気持ちを抑えられない。我慢できず、走りだそうとしたその時だった。
ガタン、と大きな音がした。内臓が浮き上がる感触。地面に足がついていない。咄嗟に下を見れば、床が降下して急勾配の坂になっていた。
「嘘だろッ!!?」
坂となった地面に落ちるまで、そう時間はかからなかった。すぐに着地し、体勢を整えようとする。だが、急勾配がそれをさせてくれない。俺は能力を解放し、床に腕を貫通させて無理やり落下を止める。
すぐ隣にいた石堂は、どうにか首根っこをつかんで落下を食い止めた。床を殴ってできたくぼみを掴ませる。
下を見れば、和田が坂を転がり落ちていた。俺もくぼみを手放して落下し、和田の元へ向かう。
和田に追いついた。和田のでかい胴体を抱え、床を殴りつけて落下を止める。能力をフル活用して、どうにか石堂にいるところまで登っていき、体を固定する。
上を見た。後ろにいた奴らは落下距離が短かったからか、落下の衝撃に耐えてどうにか坂を転がるのを免れたようだ。全員必死な顔で坂を落ちるのを耐えている。
いや、一人足りない。来栖がいない。
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