「天野君!!!」
僕の叫びも空しく、くそったれの蛇は天野に飛びかかっていった。蛇が壁に体当たりし、壁が陥没する。埃か何かが舞い上がって、何が起きているか分からなくなった。天野が避けた様子はない。けれど、天野がどうにか生き延びていることを願ってしまう。
目の前で起きたことが信じ難く、思考が停止した。ただ呆然と天野がいた場所を見つめる。
天野の能力を聞いた時、これは使えると思ってしまった自分がいた。本当に怪物がいて、僕たちが窮地に陥ったとしたら、この能力は奥の手として使えると考えてしまった。そんな自分が嫌だから、天野は絶対に戦闘に参加させないと誓った。なのに。
壁にぶつかった後も、蛇はしばらく体をうねらせていた。しかし唐突に、動きがぴたりと止まった。身じろぎひとつしない。
そして次の瞬間、蛇の体に変化が起きた。蛇が頭から、どんどん灰色になっていったのだ。石化しているのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。色の変化がどんどん尻尾まで進んでいく。
10秒も経たないうちに、蛇の全身が石になった。もはや威圧感は全く感じられない。すでに息の根は止まっている。天野の能力は確かに効いたようだった。
その石の体から、ぱらりと砂が落ちてきた。蛇の体に亀裂が入っていく。
「マズい……皆、避けて!!!」
どうにか指示を出して、自分もその場を離れる。幸い、他に部屋の中にいた人は全員壁際にいてくれた。天野が蛇を引き付けてくれたおかげで、壁際にいればぎりぎり助かりそうだ。
そして、僕たちの目の前で、蛇の体が轟音を立てながら崩れ去った。巨大な石の塊も、地面に落ちるまでに崩れて砂となった。蛇が消え、後に残ったのは大量の砂山だけ。
「死んだ……のか?」
まだ、信じられなかった。あれほど恐ろしかった蛇がこうもあっさり死ぬなんて。
しかし、僕がいつまでもぼんやりしているわけにはいかなかった。そうだ、天野。天野のいたところへ足を急がせる。天野が生きているはずがないことくらい、理解していた。けれど、どこかで期待してしまっている自分もいた。
天野がいたところは、床も壁も陥没していた。その部分だけ、砂が赤く染まっている。
辿り着いて見た光景に、思わず目を瞑った。この部屋にいるのが僕一人だったら、吐いてしまってたはずだ。
「天野君……」
そこには、ちぎれた片脚しかなかった。太ももの代わりに、血管か筋線維と思しき赤い糸が伸びている。濃い血の匂いが鼻に届き、むせそうになった。
背後で足音が聞こえた。振り返ると、いたのは二人。郷原と日比谷だ。
「おい加賀、大丈夫かよ。顔色悪いぜ」
そのまま近づいて来ようとしたので、手で合図して静止させる。郷原なら大丈夫だが、日比谷にこの光景を見せるのはまずい。
正直、こんな場面でまで日比谷に気を使うのは面倒だった。日比谷は僕のことを彼氏だと言っているが、僕が付き合うのを了承した覚えはない。日比谷が勝手に妄想し吹聴しているだけだ。こういうタイプは妄想を壊すと厄介だから放っているが、真実に感づいている奴もいる。静木は間違いなく気づいている。静木がなんとかしてくれないだろうか。
「あんまりこれは見ない方がいい。それより、怪我をしている人を助けないと」
軽く頭を振って気合を入れなおし、二人にそう声をかけた。クラスメイトが一人死んだ。それを悲しむ時間も後悔する時間も僕にはない。誰もが僕にリーダーであることを望んでいる。皆の期待を裏切ることはできない。
部屋は凄惨な状況だった。壁や床のあらゆるところが陥没している。倒れている人もいた。死んだのが一人だけだったのは、不幸中の幸いかもしれない。そう考えて、気を紛らわせようと試みる。
「みんな! 蛇は倒した! 怪我をしてる人を七瀬さんのところへ連れて行ってくれ! 芹さんももう障壁はいい! 戦闘に参加したメンバーを介抱してやって!」
ひとまず全体に指示を出した。これでしばらくは、呆けていた人たちも自発的に動いてくれるだろう。本当は僕自身も行動するべきだろうけど、誰もこの光景を見ないように、念のために見張っておくことにした。
郷原はすぐに倒れこんでいる人の元へ向かっていった。見た目のせいでぐれているように見えるし、実際ぐれてはいるが、郷原は友達思いで根はいい奴だ。頭は弱いが、信頼できる。もしかしたら郷原に指示を任せることもあるかもしれない。静木たち女子が従うかどうかは分からないが。
「ねえ、私はどうすればいい?」
日比谷は同じ場所から動かずに立ち尽くしていた。日比谷の質問に頭が痛くなる。こいつは何を聞いていたんだ? 怪我人を介抱してくれればそれでいいし、日比谷は戦闘参加組だから疲れているなら休めばいい。いちいち俺に指示をあおぐ必要はないはずだ。
……いや、日比谷が何を考えているかはわかっていた。日比谷は僕から個人的に言われるのを待っている。他の人と同じ扱いをされるのが嫌なんだ。面倒くさいことこの上ない。
「日比谷さんにも周りの救助を手伝ってほしい。もし怪我しているなら七瀬さんに治療をしてもらって。疲れているなら休んでくれていいし。一緒に戦ってくれてありがとう。僕はちょっと休憩するよ」
「わかった! じゃあ、一緒に休憩してもいい?」
思わずため息をつきそうになったのをどうにか堪え、言い訳を考える。暗に一緒にいてほしくないと言ったつもりだったのだが。
「今は一人にしてくれないかな。気持ちの整理をつけたいんだ」
「……分かった。じゃあ、後でね」
不承不承という感じで、日比谷も去っていった。ようやく一人になれる。しかし、悩みは絶えない。
天野が死んだことを、どうやって周りに伝えればいいのだろう。どう言ったってショックを受ける人はいる。そのショックをなるべく小さくすることを、考えなくてはいけない。この迷宮がどれくらい大きいのかはわからないが、まだ序盤のはずだ。死ぬのが怖くて動けないなんて人が現れたらマズイ。
クラスの皆は今、絶対的なリーダーを求めている。僕に心の支えになることを期待している。僕が弱音を吐くことを望んでいない。誰に相談することもできない。ため息は尽きなかった。
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