ジークフリートは、アデライーデからチョコレートを受け取った当日、そのことをロスヴィータに告白した。
だが、ロスヴィータは表情一つ変えるでもなく、泰然として言った。
「殿下はいずれ皇帝となられるお方です。お世継ぎづくりのためにも、愛妾の一人や二人をお持ちになるのは当然のこと。私への義理立てなどは不要です」
その力強い言葉に、ジークフリートは感銘を受けた。
彼女はこれまでのジークフリートとの積み重ねに絶対の自信があるのだろう。それは、新たな愛妾が現れたところで揺らぐようなものではない。
ジークフリートは、全くそのとおりだと思った。
これでアデライーデとも後ろ髪を引かれることなく交際できる。
◆
受け入れてもらえたアデライーデは、翌日から人が変わったように打ち解けてジークフリートと会話ができるようになっていた。
その様子を見たクラスメイトたちは「二人に何かあったのではないか」と陰で噂した。
数日後。
ついに、ある公爵令嬢がジークフリートを質した。
バレンタインデーの日に先陣を切ってチョコレートをジークフリートに渡したのも彼女である。
「殿下。最近、アデライーデと親しいようですけれど、どういうことですの?」
ジークフリートは何の気負いもなく答える。
「そう言われてみれば、皆にも知っておいてもらった方が良いな…アデライーデと私は交際することにしたのだ。皆、そのことを承知しておいて欲しい」
その言葉にクラスメイトたちは意外そうな顔をした。
公爵令嬢は反論した。
「交際って…相手は貧乏男爵令嬢ですのよ!」
「それがどうした。人の価値は身分や財産などで決まるものではない」
「…………」
平然と答えるジークフリートに、公爵令嬢は言葉を失った。
このやり取りを見ていたアデライーデは、ジークフリートの気持ちを念押しされたようで、今更ながら恥ずかしく、真っ赤になってしまった。
だが、ジークフリートがクラスメイトたちに交際の事実をおひろめしてくれたおかげで、これからは堂々としていられる。そのことをジークフリートに感謝した。
その後も試験の度にアデライーデの勉強会は恒例となっていき、クラスメイトたちも彼女に感謝し、次第に認められるようになっていった。
それに伴って、アデライーデの方も自分自身に対する自信を深め、ジークフリート以外のクラスメイトとも気軽に会話できるようになっていった。
ジークフリートとアデライーデの親密度は確実に増していき、ジークフリートもゴールインを意識し始めた。
──ここは両親に報告しておかねばなるまい。
ジークフリートは、フリードリヒとヴィオランテにアデライーデとの交際を報告した。
実は二人ともラインハルトとハインリヒから報告を聞いていて知っているのだが、せっかくだからと初めて聞くふりをする。
ヴィオランテは言った。
「まあ。そうなの。それでどんな娘なの?」
「男爵家の子女なのですが、学業ができて、運動神経もいいです。それから人に物事を教えるのが上手いですね」
「それは人の立場に立って物事を考えられる人だということね。良い娘を見つけたわね」
「ありがとうございます。ところで母上は家格が釣り合わないとは言わないのですね」
「人の価値は身分で決まるものではないわ。そんなことを言ったらフーちゃんなんて農民や亜人の愛妾までいるんだから、あなたに苦情を言える義理ではないわね」
「まあ。そういうことだな」
フリードリヒは渋い顔をして同意した。
ヴィオランテが言う。
「大切なのはあなたの気持ちよ。あなたはアデライーデを心から愛しているのよね」
「もちろんです」
「なら何の問題もないわ。そうでしょ。フーちゃん?」
「ああ」
◆
ジークフリートは、次のステップを考えた。
ここはアデライーデの両親にも挨拶をしておくべきだろう。
ジークフリートは、アデライーデに提案してみる。
「実は昨日、両親に君と交際していることを報告した。二人とも歓迎してくれたよ」
「まあ。それは良かったですわ」
「そこで君の両親にも挨拶をしておきたいのだが、どうかな?」
「殿下がそうおっしゃるのであれば、否も応もありませんが…両親を連れて皇城に伺えばよろしいのでしょうか?」
「いや。君が育った家庭も見てみたいから、こちらから伺うよ」
──えっ。普通は偉い人が呼びつけるのでは…
アデライーデは両親が慌てふためく姿が容易に想像できたが、拒絶する理由も思いつかなかった。
「承知いたしました。殿下」
アデライーデが両親に皇太子訪問のことを話すと、案の定、クレーゼル家は上を下への大騒ぎとなった。
クレーゼル卿は言った。
「母さん。どうしたら良いかな? まずは家を改築して…家具は良い物に総取り換えだな。それから…」
アデライーデは父に突っ込みを入れる。
「お父様。そのようなことは不要ですわ。殿下はありのままを見たいとおっしゃっておいでです」
「しかし、このボロ屋敷をそのままという訳にも…」
「それでもです」
「だが、それで殿下のご不興を買ってしまったらどうする?」
「それはその時ですわ。私もそれまでの女だったということで諦めます。でも、殿下はそのようなことでお怒りになるような方ではないと私は信じています」
「そうか…おまえがそこまで言うのなら、そうするが…」
◆
そうこうしているうちに、あっという間に皇太子訪問の日がやってきた。
クレーゼル卿は、落ち着いて待っていられず、家の前で右往左往していた。
そこに3人の少年がやってきて声をかけた。
「クレーゼル卿の御屋敷はこちらでよろしいか?」
「それはそうだが、君たちは何だね? 今、我が家は取り込み中なのだ」
リーダー格と思しき少年が言った。
「それは聞いていませんでした。お取込み中ということであれば、日を改めますが、今日は何がおありなのですか?」
クレーゼル卿は自慢げに言う。
「聞いて驚くなよ。なんと皇太子殿下がご来訪されることになっているのだ」
「…実は私が皇太子のジークフリートなのですが…」
「何ですと! 馬車はどうされました? 護衛の方は?」
どうやらクレーゼル卿は、皇太子は身分にふさわしく、馬車に乗り護衛をぞろぞろと引き連れてくると勝手に想像していたらしい。
「馬車を止める場所がないと、あらかじめ聞いておりましたので、徒歩で来ました。護衛も最小限に絞りました」
「は、はあ…そういうことですか…お心遣い感謝いたします」
クレーゼル卿は大声で家に声をかける。
「おい。母さん。殿下が見えられたぞ。早くお出向かいせぬか!」
声を聞きつけたアデライーデとその母が迎えに出てきた。
アデライーデが歓迎の言葉を述べる。
「殿下。よくいらっしゃいました。歓迎いたします」
「ああ。お邪魔するよ」
「では、拙宅にご案内いたします」と言うとアデライーデはジークフリートの手を取った。
二人は仲良く手をつないで家へ入っていく。それにラインハルトとハインリヒが続く。
クレーゼル卿は、それを見て茫然としていた。
あの引っ込み思案だったアデライーデが皇太子を相手に堂々と対応している…
娘が一回りも二回りも大きくなったことを実感するとともに、なんだが遠い存在になった感じもして、少し寂しくなった。
──「親はなけれど子は育つ」ということか…
そしてお茶を飲みながらしばし談笑する。
話をしてみると、ジークフリートは誠実で実直そうな普通の少年だった。皇太子の身分を笠に着て威張り散らすことなど微塵もない。
クレーゼル卿は、ジークフリートのことを大いに気に入った。
──身分とは関係なく、アデライーデが惚れてしまうのも無理はないか…
時間はあっという間に過ぎ、昼食の時間となった。
アデライーデが言う。
「殿下がいつものとおりとおっしゃるので、昼食は母と私で作りましたのよ。お口にあうと良いのですけれど…」
「ああ。私もその方が良い」
クレーゼル卿はそのことには反対だった。
普段から宮廷料理人が作る料理を口にしている皇太子の口に、素人料理が合うはずがない。
そして、恐る恐るジークフリートを観察していると…
「ああ。美味いじゃないですか」とまんざらでもない顔でジークフリートは言った。ラインハルトとハインリヒも頷いている。
クレーゼル卿はホッと一息ついた。
「私も家族で料理をする者が多いので素人料理はよく食べるのです。一番上手なのがヘスティア様で、その次が父かな…
父は、よくフラッと出かけては兎や魚を獲ってきて料理をしてくれます。冒険者時代の習慣が忘れられないのでしょうね」
「へえ。陛下がですか。それは意外ですね」
「そうだ! こんど皆さんで郊外の森に兎を狩に行きませんか? 私も父に付き合わされて良く行くので要領はわかっています」
「ほう。兎ですか…いわゆるジビエですな」
「かなりクセがあるのですが、ハーブやスパイスを利かせると結構いけるのですよ。ダメな人もいるかもしれないので、雉などの鳥もいいかもしれませんね」
「それは面白そうだ。是非ともお願いいたします」
「そうだ! せっかくならマルガとロリザンドも誘ってみよう。ラインハルトとハインリヒも行くよな?」
「もちろんでございます」
こうしてジークフリートのクレーゼル家訪問は成功裡に終わった。
ジークフリートたちが帰った後、クレーゼル卿は呟いた。
「身分の話は別としても、なかなかに良い男ではないか、殿下は。アデライーデ。絶対に離すんじゃないぞ」
「それは私が一番わかっていますわ。お父様」
◆
ジークフリートの学園生活は、アデライーデの交際問題があったくらいで、後は波風もなく順調に進んだ。
そして2年生に進級し、ジークフリートは14歳で成人を迎えた。
皇太子の成人ということで、成人の行事は盛大に行われた。
いよいよ学園の卒業が迫った時、ジークフリートは父のフリードリヒに呼ばれた。
「何ごとでしょうか? 父上」
「学園を卒業したらモゼル公爵の地位をおまえに譲ろうと思う。その心づもりをしておいてくれ」
「えっ! 私はまだ成人になったばかりですよ。荷が重いです」
「そこはヴィオランテを摂政に付けよう。それならば問題ないだろう。おまえの好きなように治めてみせよ」
「しかし…まだ早いのではないですか?」
「朕は14歳の時には男爵でフライブルグの町を治めたし、15歳でホルシュタイン伯となった。それを考えれば早くはない」
「そうですか…」
「それが慣れたらロートリンゲン大公とアルル王も譲るからそのつもりでな」
「そんないっぺんに言われましても…父上…」
「まあ…その時期はおいおい考えるから焦る必要はない」
「はあ…承知いたしました」
「それから今のうちに言っておくが、朕は40歳になったら皇帝を引退するからな。そのつもりでおいてくれ」
「そんな…父上はまだまだ元気ではありませんか。40歳と言わず、もっとできるのではありませんか?」
「政治というものは進化させていかなければならない。一人の人間が長期間しがみついていても政治の停滞をまねくだけだ。政治にも新陳代謝が必要なのだよ」
「そんなことを言われましても、私にはその覚悟ができておりません」
「なに。まだ10年近く先の話だ。それまでに時間をかけて覚悟を決めればよい。朕も皇帝になったのは25歳の時だ。ちょうどよい頃合いだろう。
それから必要な人材もコツコツと集めておくのだぞ。良いな」
「はあ…承知いたしました…」
ジークフリートは途方に暮れた感じで帰っていった。
──悪いな。俺もその辺りが限界なのだ…
実はフリードリヒとその妻・愛妾たちは不老問題を抱えていた。
フリードリヒの容姿は依然として20歳前後のまま固定しており、これを気味悪がる者も出始めていた。
このため外交使節などを引見する時には、最近は白銀のマスクを着けてごまかすようにしている。
だが、これも40歳くらいが限界だろうとフリードリヒは読んでいた。
このため、その時は少し離れた山の中にでも離宮を作って、妻・愛妾たちとともに悠々自適な生活を送ろうと漠然と考えていた。
まあ。その時はその時だ。ジークフリートにも言ったようにまだ時間はある。ゆっくりと考えればいいさ…
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