キエフの戦いで軍事司令官であったドミトルは、ハンガリー王ベーラⅣ世を頼るべく、ハンガリーへと向かった。
ただし、迎え入れてもらえるかどうかは未知数であった。
昔から国境を接するルーシとハンガリーは紛争が絶えなかったからである。
現にドミトルは、若い頃にガーリチへ侵攻してきたハンガリー・ポーランド連合軍と戦い、これを撃破した経験もあった。
彼はモンゴル軍により、家族を皆殺しにされ、財産も奪いつくされ、結果、身一つしか残らなかった。
ドミトルはモンゴルへの復讐に燃えていた。
だが、今は雌伏の時である。
とにかく頼れる王や諸侯のもとに身を寄せ、あわよくば自分の自由にできる軍を整えたい…
そんな野望を彼は持っていた。
ドミトルがハンガリーへ向かったと知ると、キエフの戦いで生き残った騎士たちが彼のもとにやってきた。
「ドミトル様。どうか我らもお連れください。そしてモンゴルの奴らめに復讐を!そして雪辱を果たすのです」
「今の我は何の力も持たぬ。それでもか?」
「力を持たぬのは我らも同じこと。それに志を同じくする者がまだいると聞きます。その者らを集めればそれなりの勢力にはなるはずです」
「貴殿らと同じ者がまだいると?」
「まだそれなりの数はおりまする」
ドミトルは迷ったが、生き残った騎士らを集めることにした。
旗頭となれそうな人物は他に生き残っていなかったからだ。
騎士たちは、三々五々集まり、結局は総勢100名近くとなった。
彼らもドミトルと同じく、モンゴル軍に家族や財産を奪われた口であり、志は同じであったのである。
◆
ハンガリーに着いたドミトル一行は、早速落胆させられことになる。
ベーラⅣ世への拝謁はかなわず、門前払いを食らったからだ。
「敗軍の将などハンガリーには必要ない!」
「しかし、モンゴル軍はもうすぐそこに迫っているのですぞ。今は一兵でも多く欲しいときではありませんか。我らは骨身を惜しまず働きます故、なにとぞ…」
「ダメなものはダメだ。せいぜい他を当たることだな」
「…………」
敗軍の将ということもあるが、過去のわだかまりを捨てられないということなのだろう。さすがに過去の仇敵に背中を預けることはできない。
ドミトルは迷った。
わだかまりがあると言う意味ではポーランドも同じだ。
であれば、やはりハンガリーと争っているオーストリア公を頼るのはどうだろう? 敵の敵は味方ということにならないか
ドミトル一行は、一縷の望みに賭けてオーストリアへと向かった。
オーストリア公は、神聖帝国皇帝と友好関係のあったレオポルトⅥ世が急死し、長兄と次兄は早世していたため、三男のフリードリヒⅡ世がオーストリア公となっていた。
彼は明確なビジョンもなく対外戦争を繰り返し、喧嘩公の仇名で呼ばれる人物であった。
ロートリンゲン公フリードリヒの末の妹であるマルティナは、第5回十字軍の時の縁で、オーストリア公フリードリヒⅡ世の側室となっていた。
オーストリア公フリードリヒⅡ世のもとにドミトルが拝謁を願っているという知らせがもたらされた。
「申し上げます。キエフ公国の軍事司令官であったドミトルと申すものが閣下への拝謁を願っておりますが、いかがいたしましょうか?」
「キエフ公国だと? ルーシからはるばる何の用だ?」
「ルーシの地はモンゴル軍に蹂躙され、ハンガリーを頼ったものの、受け入れられなかったようです」
「それで我が国を頼ってきたか。なかなか目の付け所が良いではないか。では、会うだけ会ってみよう」
「御意」
そして、ドミトルがオーストリア公の御前に連れてこられた。
「オーストリア公への拝謁がかない。恐悦至極にございます」
「貴殿はモンゴル軍と戦ったのであろう。どうであった? モンゴル軍は?」
ドミトルは、キエフでの戦いの様子を語った。
「モンゴル軍はそんなに強いのか?」
「はい。このまま放置しますと、ハンガリーも抜かれ、貴国に攻め入ってくることも十分に考えられます」
「ルーシの兵が弱かっただけではないのか?ハンガリーは我が国とも何度も争っているが、決して弱くはないぞ」
「ルーシの兵は弱兵ではいございませぬ。現に私が若い頃、ハンガリー・ポーランド連合軍を撃破したこともございます」
「そこまでいうのなら、実力の程を試させてもらおうか。予が直々に相手をしてやる」
「そ、それは…」
ドミトルは迷った。初対面で相手の性格が読めない。
大公が言うように実力を出していいものか? それとも相手は大公なのだから勝ちを譲るべきなのか?
「どうした? 怖じ気づいたのか?」
「決してそのようなことは…」
「ならば予の相手をせよ」
「はっ」
剣闘場に場所を移して試合が行われた。
が、大公は弱かった。これでは素人に毛が生えたようなものではないか…
ドミトルは、おざなりに10合程度相手をすると大公の剣を跳ね上げ、胴に一撃を決めた。
かなり手加減をしたつもりだったが、大公は痛みに呻き声をあげている。
オーストリア公フリードリヒⅡ世は叫んだ。
「この無礼者!とっとと去れ!」
──くそっ! ここは勝ちを譲るのが正解だったか…
しかし、よしんば勝ちを譲ったところで、この狭量な君主に心底仕えることができただろうか?
重い足取りで城を去ろうとしていた時、女性から声をかけられた。
「お待ちください」
「あなた様は?」
「私は大公の側室のマルティナと申します」
見ると相手はまだ20歳そこそこの若い女性だ。
それが何の用だ?
「そのマルティナ様が私のような者に何か用事でしょうか?」
「あなた方はモンゴル軍との激戦を勝ち抜いた精兵なのでしょう?」
「自ら精兵というのもおこがましいですが、激戦を勝ち抜いたことは確かです。それが何か?」
「私の兄、ロートリンゲン公フリードリヒは優秀な人材に目がないのです。頼られてみてはいかがですか?」
ドミトルは降って湧いた好機到来に、内心歓喜した。
実際のところ、オーストリアに断られた今となってはめぼしい伝手が見当たらず、途方に暮れていたところだった。
「それは良い話を聞かせていただきました。では早速伺わせていただきます」
「少しお待ちください。ロートリンゲンは遠いですから、無駄足になると困るでしょう。私から兄に感触を聞いてみます」
「感触を聞くといってもどうやって?」
「兄に手紙を書きます。1日だけ待ってください」
──1日だと! どういうことだ?
オーストリアからロートリンゲンまでは相当な距離がある。それを1日で往復することなど不可能なはず…
だが、ここはマルティナを信じる以外に手は残されていない。
「承知いたしました。待たせていただきます」
◆
マルティナが1日と言ったことには秘密がある。
実は、ちょうどこのタイミングで、ロートリンゲン公フリードリヒの手紙を携え、魔人のイフリートがオーストリアに来ていたのだ。
マルティナは、今回のいきさつを手紙にしたためると、イフリートに託してロートリンゲン公フリードリヒへと送った。
返書は翌日早々にもたらされた。
期待どおりの内容だった。
早速、その内容をドミトルに伝える。
「兄からの返書が来ました。ぜひ会ってみたいそうです。
ただし、召し抱えるかどうかは実力を見てからということでしたので、その点はご承知おきください」
「そうですか。お骨折りいただき、感謝の念に堪えません」
「いえ。これもきっと神の采配です。きっと上手くいきますよ」
「ありがとうございます」
マルティナは神の采配と言ったが、ドミトルもまた運命的なものを感じていた。
だが、手放しでは喜んでいられない。おそらくこのチャンスを逃したら、自分たちが騎士として生きる道は残されていない。
◆
ドミトル一行は3週間をかけてロートリンゲンに着いた。
途中の路銀はマルティナから手渡された。
礼を言うとなんとロートリンゲン公フリードリヒが送ってきた金だと言う。その心使いが心に染みた。
早速、ロートリンゲン公フリードリヒに拝謁がかなった。
が、その姿を見てドミトルは当惑した。
25歳と聞いていたが、見た目は20歳そこそこの若者に見える。おまけにとんでもない優男だった。
ロートリンゲン公国には暗黒騎士団という精兵がおり、大公自らが指揮官を兼ねているという話は、ドミトルも風の噂で聞いたことがあった。
──指揮官といっても形だけのものなのか?
フリードリヒが声をかける。
「遠路はるばるよく来てくれた。今日はゆっくり休んで旅の疲れを癒してくれ。あなたたちの実力は明日見させてもらう」
「大公閣下におかれましては、拝謁をお許しいただき、心から感謝申し上げます。明日は閣下のご期待に添えますよう奮起いたします」
「ああ。期待しているよ」
そして翌日。ナンツィヒの城の剣闘場にて…
フリードリヒが言った。
「まずは軍事司令官たるドミトル殿の実力を見せていただこう。相手は…面倒だから、私が直々に相手をしよう」
ドミトルの脳裏をオーストリアでの苦い経験がよぎった。
思わず口にしてしまう。
「手加減をした方がよろしいのですかな?」
「そうだな…私も痛いのはいやだから、できるものなら頼む」
──「できるものなら」ときたか、大した自信だが…
いよいよ試合が始まろうとした時、ドミトルは目を見張った。
2刀流で、しかも刀は奇妙な反りの入った東洋風の片刃刀だ。これは戦いにくそうだと直感した。
そして試合開始に備えて刀を構えたとき、またも度肝を抜かれた。
フリードリヒは集中して半眼になり、とんでもない覇気を発している。少しでも気を抜いたら覇気に気圧されそうだ。
──これは手加減どころの騒ぎではないな…
「では、始め!」
合図とともにフリードリヒがドミトルに切りかかってきた。
──速い!
ドミトルはフリードリヒの早く鋭い剣撃に舌を巻いた。
しかも、2刀流といっても左右どちらかがメインの場合が多い中、フリードリヒの場合は完全に左右均等だった。
フリードリヒの攻撃は多彩で、剣撃がどこから来るか予想がつかない。
必死で防御に徹するドミトル。
──こうなったら本気を出させてもらおう…
ドミトルは精神を集中すると気で身体強化を図った。
ドミトルが攻撃に転じる。
今度はフリードリヒが驚く番だった。
──ほう。気を完璧に使いこなしているな…
だが、フリードリヒも慌てず気で身体強化を図る。
ドミトルが攻撃に転じることができたのは、一時だけだった。
試合は再びフリードリヒ優勢に傾く。
そしてフリードリヒの剣劇のスピードが上がったと思うと、ドミトルの剣を跳ね上げ、首筋に剣が突き付けられた。
「まいり申した…」
──あの最後の剣撃は何だ?全く見えなかった…
ドミトルは意気消沈した。
ほとんどまともに戦わせてもらえなかった…
一方で、フリードリヒはドミトルのことを評価していた。
アダルベルトほどではないが、他の騎士団長連中に迫る実力だと思った。
ドミトルが連れてきた騎士たちもかなりの実力を持っていた。
鍛えれば十分に使えるだろう。
ドミトルはフリードリヒに結果を尋ねる。
「閣下。いかがでしょうか?」
ドミトルは息を飲んだ。自分自身に自信がない…
「いいだろう。配下の騎士たちともども召し抱えよう」
「ありがとうございます。心から感謝申し上げます」
「処遇については…そうだな…少し考えさせてくれ」
「承知いたしました」
フリードリヒは考えた。
ドミトルの実力で中隊長はちょっと可哀そうだ。ならば…
結局、フリードリヒはドミトルを騎士団長として、第9騎士団を新設することにした。
連れてきたルーシの騎士たちを第1中隊とし、残る第2から第4中隊は食客から補充することにする。
食客は、こういう時に予備役的な機能も果たすので便利なのであった。
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