ハイディは黒の森でフォーンに襲われそうになっていたところをフリードリヒに助けられ、その眷属となったニンフである。
彼女は、一般的に多情なニンフには珍しく、過去に悪魔のような男に襲われそうになった経験がトラウマとなって男性不信に陥っていたが、唯一フリードリヒにだけは気を許していた。あるいは彼が持っている神の血を敏感に感じ取っているのかもしれない。
当然の帰結として、ハイディはフリードリヒの愛妾の一人に名を連ねることとなった。
そんな彼女は、その美貌を生かしてヴィオランテがデザインした衣装のファッションモデルのような仕事をするようになっていた。
もともと薄絹一枚の露出した衣装を好むニンフ故に、ヴィオランテがデザインした過激な衣装にも全く抵抗がなかった。
そのうちにフリードリヒが予想もしないことが起こった。
ヴィオランテがデザインした露出過多な衣装を来てしゃなりしゃなりとモデル歩きをするハイディを見た男性たちが、次々とニンフォレプシーに陥ってしまったのだ。
ニンフォレプシーとは、「ニンフを凝視することで男性が捕らえられる熱狂または恍惚」であり、自分自身がニンフォレプシーであると自覚した人は、ニンフに対し大きな献身を示し、ときにそれは宗教的とすらなる。
ニンフには、その宿る所により、海精、水精、木精などの様々な種別に分化している。ハイディは木精のドリュアデスであり、ナンツィヒの城にある古木に宿り、これを守護していた。
ニンフォレプシーとなった男性たちは、そのうちにハイディが宿る古木の前に祠を作ると、供物を供え、祈りを捧げ始めた。
ニンフは下級の神でもあるが、神の神格の源泉はそれを信ずる者の信心に由来する。
ハイディは、男たちに祈りを捧げられることで、神格を高めていった。
それにより、彼女の美貌にもよりいっそう磨きがかかり、ニンフォレプシーの男も増えていくという無限ループに入り込んでいった。
◆
ある日。ことが終わった後、ハイディが気だるい表情で言った。
「主様。私、自然の精霊だからずっと都会にいると息が詰まるの。息抜きがしたいから、今度黒の森に連れて行って」
「ああ。そうだな。そこまで気が回らなかった。今度の休みに連れて行ってあげよう」
「やったあ!主様。大好き!」
ハイディは嬉しそうにフリードリヒに抱きついてきた。
結局、その勢いでもう1回戦することに…
──さっきまで気だるそうにしていたのは何なんだ…
◆
次の休日。
フリードリヒはハイディを伴って黒の森を訪れた。
息抜きのためなのでお供はパールだけにした。
ハイディが言う。
「やっぱり黒の森は気持ちがいいわ。心が洗われる。
私はしばらく森の中をブラブラして英気を養うわ。主様は狩りでもしていて」
「一人で大丈夫か?」
「何かあったら助けを呼ぶから。すぐに来てね」
「ああ。わかった」
フリードリヒは、パールを伴って森に分け入っていった。
フリードリヒの姿が見えなくなると、ハイディは来ていた服を脱ぎ捨て、いつもの薄絹一枚の姿となった。
「人族の服って未だに慣れないのよね。ああ。気持ちいい…」
ハイディは森をぶらつき、無心に木々の精気を養っている。
だが、その半裸の姿を偶然通りかかったサイクロプス族の族長であるポリュペーモスに目撃されてしまう。
サイクロプスは、かつて卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人族だったが、現在は人族を喰らうただ粗暴なだけの怪物と人々からは信じられていた。
ハイディを一目見たポリュペーモスは、たちまちニンフォレプシーとなってしまった。心地よい恍惚感に満たされていくポリュペーモス。
せめてもっと近くで見たいとポリュペーモスはハイディの方に向かうが、その巨体のため木々の枝がパキパキと折れた。
その音にハッとするハイディ。
見ると一つ目の巨人が自分を目指して向かってくるではないか。
ハイディは恐怖で引きつってしまい声が出ない。
──助けて主様!
その時、サイクロプスとハイディの間に突然人影が現れた。
テレポーテーションしてきたフリードリヒとパールである。
フリードリヒはハイディの前に立ちふさがり、サイクロプスを質した。
「ハイディに危害を加える気か? ハイディが何をした?」
「あの方はハイディ様というのか。危害を加える気は毛頭ない。私はハイディ様を崇拝したいのだ。
おまえは人族だな。ハイディ様の何なのだ?」
ハイディが答える。
「そのお方は私の主様よ。主様に何かしたら私が許さないから」
「この人族が主ですと…?」
「あなた。ただのボンクラね。主様をただの人族だと思うなんて…一つ目で物が良く見えないのかしら?」
「ハイディ様。何を…」
ポリュペーモスは、海神ポセイドンの息子のポリュペーモスの子孫だった。一族の長は「ポリュペーモス」の名を代々名乗っていたのだ。
その神の血が反応している。
「おぬし…神の子か!」
「今頃悟ったか。この間抜けめ」
「面目ない。ハイディ様の主であれば、わが忠誠を捧げよう」
フリードリヒはようやく悟った。てっきりハイディを襲おうとしているものと思ったが。こいつニンフォレプシーか…
──ハイディの神格は日々高まっているからな…無理もない。
「とりあえず害意がないことは理解した。しかし、ハイディが怖がっているではないか。行動には気をつけてくれ」
「承知した。
ところで、ハイディ様におかれては、我が一族の里に来ていただけないだろうか?」
「なぜだ?ハイディにはそんな義理はないと思うが…」
「我が一族の者にも、ぜひそのご尊顔を拝してもらいたいのだ。そうでなければ、ハイディ様を崇敬する我の矜持が許さぬ」
──一目見ただけでそこまでで言うか…
「ハイディ。どうする?」
「外見は怖かったけど、話してみるとそうでもないから…まあいいよ。でも、ちょっとだけね」
「ハイディ様。感謝いたします」
当初ポリュペーモスはハイディを肩に乗せていくと言い張ったが、ハイディが固辞したので、ポリュペーモスが先導するあとに徒歩で付いていく。
サイクロプス族の里はそう遠くないところにあり、程なくして到着した。
予想どおりというか、族長のポリュペーモスからしてそうなのであるから、その部下の男たちも推して知るべしであった。
次々とニンフォレプシーとなっていく。
ハイディが里の中央広場に着いたときには、その周りを平伏するサイクロプスの男たちに十重二十重に囲まれていた。
その姿は圧巻であったが、多くの一つ目巨人に平伏されるとハイディが邪教の神のように見えてくるから不思議だ。
当の本人もここまでの事態になるとは予想していなかったようで、当惑し、怖さに少し震えて、さっきからフリードリヒの手を握りっぱなしである。
「族長。よく連れてきてくださった。この方こそ我が一族の守護神にふさわしい」
「そうであろう」とポリュペーモスは鼻高々である。
「守護神様の名前は何と?」
「ハイディ様じゃ」
「おお。何という崇高な名前だ!」
「ハイディ様。万歳」
「ハイディ様。万歳」
「ハイディ様。万歳」
「ハイディ様。万歳」
サイクロプスの男たちは何度も平伏している。
その後、成り行きで歓迎の宴となった訳だが、サイクロプス族は肉食がメインのため、加熱していない生肉などが多く出され辟易した。しょうがないので、フリードリヒが魔法で火を通して食べたが、何も下処理をしていないので不味かった。
ここはひとつハッキリさせておかねばならない。
フリードリヒは高らかに言った。
「ハイディ様は木の精のドリアードでいらっしゃる。肉食は好まぬ」
「おお。これはなんと不敬なことをいたした。ハイディ様におかれては、ぜひご寛恕いただきたい」
「今度から気をつけてくださいね」
「ははっ。承知いたしました」
そして宴が終わり…
「それでは私たちは失礼させてもらう」
「そんな殺生な! ハイディ様におかれては、ぜひともこちらにご滞在いただきたく…」
「無理を言うな。私たちの住処はナンツィヒなのだ」
「ナンツィヒを長く空ける訳にはいかぬ」
「であれば、一刻も早くの再訪を希望いたします」
「そうね。考えておくわ」
「なにとぞよろしくお願い申し上げます」
そしてフリードリヒとハイディはテレポーテーションでナンツィヒに帰った。
突然に目の前から姿を消した技に、サイクロプスたちは(さすが神の技よ)としきりに感心していた。
ナンツィヒに帰ってからフリードリヒはハイディに尋ねた。
「本当に再訪する気か?」
「多分もう行かないと思う。悪い人たちじゃないんだけどね…」
◆
そしておよそ1月後。
サイクロプスの群が前触れもなく、ナンツィヒの町に押し寄せた。
サイクロプスは、人族を喰らうただ粗暴なだけの怪物と人々からは思われている。
その姿を見て、ナンツィヒの住民は逃げ惑い、当番の第5騎士団が出動する騒ぎとなった。
第5騎士団長のアウリール・フォン・ベンダーが指示を出す。
「サイクロプスたちの前を塞げ!」
第5騎士団はナンツィヒの町を守るようにサイクロプスたちのまえに立ちふさがる。
が、サイクロプスの方から言い訳をしてきた。
「待ってくれ。我々はナンツィヒの町を襲いに来たものではない。ハイディ様のご尊顔を一目拝したくて来ただけだ」
「何っ? ハイディ様?」
副官のアタナージウス・フォン・フライシャーがフォローする。
「閣下の愛妾のニンフにそのような者がいたかと…」
「ハイディとはニンフのハイディで間違いないのか?」
「間違いありません」
「ならば取り次ぐからしばし待て。
それからこのようなことは前触れの連絡を出してから行うものだ。危うく戦争になるところだったではないか。覚えておけ」
とアウリールが釘をさした。
フリードリヒのところに報告が行く。
「町の城門前にサイクロプスの群が現れ、第5騎士団とにらみ合いになっています。
ニンフのハイディに会わせろと主張しているそうです」
──あいつらか…やってくれたな…
フリードリヒはハイディを伴って城門へ急いだ。
「おお! 夢にまで見たハイディ様だ!」
サイクロプスの群が一斉に平伏した。
フリードリヒが苦情を言う。
「こういうことは前もって先触れを出して行うものだ。ハイディも迷惑しているではないか」
「面目次第もござらぬ。今度から留意する故、今回はご勘弁いただきたい」
「わかったわ。次回から気をつけてね」
「ははっ」
「ところで、ハイディ様の主殿はこの国の国主殿とお見受けするが…」
「確かに私がローリンゲンの大公だ」
「そこで折り入ってお願いがある。我らを郊外の森の一角に住まわせてもらえないだろうか? 我らはもはやハイディ様なしでは生きていけないのだ」
──そう言われてもなあ…
ハイディの方を見ると彼女は微かに首を縦にふった。
どうやらサイクロプスたちを健気に思い、同情したようだ。
本人がいいならまあいいか…
「わかった。前向きに検討しよう。しかし、町の者たちには前もって十分に周知しておく必要がある。しばしの猶予をいただきたい。それまでは町から離れたところで暮らしてくれ」
「了解した。ご配慮痛み入る」
結局、郊外の森のかなり広いエリアをサイクロプスの縄張りとして指定して住まわせることとなった。
住民たちには、サイクロプスたちはハイディの崇拝者であり、人族には一切の危害を加えないことを十分に周知した。
もともと異形の者になれている町の住民はすぐにサイクロプスにもなじんだ。
◆
フリードリヒは考えた。
以前から構想していた亜人騎士団だが、この際だからサイクロプスを一個中隊として加えられないだろうか。
強い力を持つ巨人族であれば、鍛えれば相当な戦力となるだろう。
フリードリヒはポリュペーモスのもとを訪ね、そのことを打診してみた。
ポリュペーモスの答えは明快だった。
「ハイディ様の暮らす国を守るのに何の躊躇をすることがあろうか。それにハイディ様の主たるあなた様にもサイクロプス族は忠誠を誓ったところだ。何の問題があろう」
こうして亜人軍団の駒はなんとか揃ったのだった。
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