ジュチ・ウルスの当主であるバトゥが、ヴォルガ河畔のサライにおいて死去した。享年48歳であった。
モンゴル帝国のモンケハーンは、この年のクリルタイに参列していたバトゥの長男サルタクを後継者として認めたが、サルタクはジュチ・ウルスへの帰還途中で病没してしまう。
これに伴いモンケは再びサルタクの弟でバトゥの四男ウラクチを後継者に命じたが、未だ幼年であったため、バトゥの后妃筆頭であったボラクチン・ハトゥンを、成人になるまでの間、その摂政に任命した。
しかし、ジュチ・ウルスには不幸が続く。
後継者となったウラクチは、その後わずか数カ月で夭折してしまったのだ。
これによりジュチ・ウルスは当主が不在となり、バトゥの部下で、オルダの三男クルムシが実質的に政権を率いることとなった。
ジュチ・ウルスに服属していたハールィチ・ヴォルィーニ大公国のダヌィーロ・ロマーノヴィチは、この情勢を注視していたが、決断を下した。
「当主が不在となった今こそ反攻の好機だ。我が国はモンゴルからの独立を宣言する!
ガイア帝国に援軍を要請せよ!」
これらの情報は直ちにフリードリヒのもとへ報告された。
フリードリヒはブルンスマイアー軍務卿へ指示を出す。
「ダヌィーロの判断は妥当だ。予定どおり、ハンガリー・ポーランド・オーストリア・ボヘミア・ドイツ騎士団から成る多国籍軍を編成せよ!」
「陛下はどうされるので?」
「朕は多国籍軍の編成など待っておられぬ。直ちに軍を率いてダヌィーロのもとへ向かう」
──なんだかんだ言って、陛下はバトルジャンキーだな…
ブルンスマイアー軍務卿はかねてからのてはずどおり、多国籍軍の編成に着手した。
◆
一方、ローマ教皇インノケンティウスⅣ世は、3年前にダヌィーロ・ロマーノヴィチにルーシ王位を授け、モンゴルを牽制していたところだった。
今回の一連の動きを受け、イノケンティウスⅣ世の後を継いだローマ教皇アレクサンデルⅣ世は、モンゴルに対する十字軍の詔書を発した。
これにより多国籍軍は十字軍と位置付けられることにもなった。
◆
これからガイア帝国が多国籍軍を編成し、兵糧などの兵站を整えるとすると、月単位の時間を要するだろう。
ダヌィーロ・ロマーノヴィチは、本拠地であるガーリチへ籠り、長期の籠城戦を決意した。
◆
折しも、ジュチ・ウルスは、バトゥの主導によってフラグの西方遠征に親族を万単位の兵とともに幾人か派遣し、戦力が減少していた。
「よりにもよって、このようなときに反乱など…」とクルムシはぼやいた。
もともとモンゴル人の人口というのは、その支配領域に対して絶対数が足りていなかった。
そこで、第2代皇帝オゴデイの治世に編成・派遣されたモンゴル帝国の軍団の1つとして辺境鎮戍軍が編成されていた。
これは、モンゴル本土の千人隊から抽出されたモンゴル兵と征服地において現地徴発された兵によって構成され、モンゴル帝国の征服戦争において前鋒軍としての役割を担い、征服戦争後は辺境に鎮戍した。
モンケの代になって、辺境鎮戍軍の再編成がなされたが、これは東征軍・征西軍が中心であり、ジュチ・ウルスについては比較的温存されていた。
ジュチ家の辺境鎮戍軍は、征服したヴォルガ・ブルガールやポロヴェツ人、ホラズムの遺民のほか、ルーシの民まで含まれた混成部隊だった。
クルムシはダヌィーロ・ロマーノヴィチの反乱に対し、辺境鎮戍軍を派遣することを決めた。
一旦決断がなされるとモンゴル軍の行動は素早かった。
ダヌィーロ・ロマーノヴィチが籠るガーリチを包囲し、攻囲戦が始まった。
平衡錘投石器が多数投入され、容赦のない攻撃が加えられる。
前鋒とされるのはルーシの民である。これはモンゴル軍の常套手段であった。同国人を戦わせることでモンゴル人部隊の損耗を避けるとともに、戦意喪失も狙ったものだ。また、同国人であれば弱点も心得ている。
あまりに激しい攻撃にダヌィーロ・ロマーノヴィチは覚悟をした。援軍が来るまでの数か月間も攻撃に耐えられそうもない。
ダヌィーロ・ロマーノヴィチは、モンゴル軍に抵抗することの意味を痛いほど知っていた。
抵抗し、陥落した都市の住民は女子供から老人に至るまでことごとく虐殺され、財物は略奪し尽くされ、建物は完全に破壊される。それがモンゴル軍のやり口だ。
先に抵抗したときは、ほどほどのところで降伏したため、虐殺は何とか回避できたが、二度目はないだろう。
それに今回は当主の不在というモンゴルにとってもっともいやなタイミングを狙ったのだ。敵はさぞかし、怒り狂っているに違いない。
「もはや時間の問題か…」
いままで数々の困難をしぶとく生きのびてきたダヌィーロ・ロマーノヴィチであったが、今回ばかりは覚悟を決めた。
が、その時。
町の外で大きな爆音がした。
「何だ? 何が起こっている?」
モンゴル軍は、鉄炮という火薬を用いた炸裂弾の一種を使用していた。これの誤爆だろうか?
しかし、それにしては音が大きすぎる。
それに爆音は連続して起きている。
これはもしやロートリンゲン軍が使うという神から賜ったという武器では…?
──もしかしたら、助かるかもしれない…
一旦は覚悟を決めたダヌィーロ・ロマーノヴィチの心に希望の火がともった。
◆
ガーリチの攻囲戦を行っているモンゴル軍の後衛で激しい爆音が響いた。
クルムシは直ちに指示を出した。
「何があったか調査し、直ちに報告せよ」
「はっ」
それと入れ替わりに報告がある。
「申し上げます」
「何が起こっている」
「我が軍が包囲されております。その数およそ5万。ほどんどが異形の者が占めております」
「何だと…斥候は何をしていた?」
「それが…一人も戻ってきておりません」
クルムシは、ガイア帝国とダヌィーロ・ロマーノヴィチの間で同盟がなされていることは間諜からの報告で知っていた。
このため、時間的にヨーロッパからの援軍はまだ来ないと思いつつも、用心のためヨーロッパ方面を始め各方向へ斥候を出していたのだった。
「やられた…」とクルムシは思わず呟いた。
状況は、ハンガリーのシャイオ河畔の戦いでモンゴル本隊がやられた時に酷似している。
クルムシは直ちに悟った。
これはロートリンゲン軍に違いない。
そうなるとクルムシの決断は早かった。
「直ちに撤退だ! 包囲に手薄な場所はあるか?」
「ヴォルガ・ブルガール方面が手薄であります」
「やはりな…」
包囲戦の場合、完全に敵を包囲して逃げ道を亡くしてしまうと敵は死兵となり、必死に抵抗するため被害が大きくなる。このため、包囲には逃げ道を残しておくのが兵法の常道だ。
ロートリンゲン軍の指揮官はそれを心得ているということである。
「手薄な部分を突いて撤退する。殿にはルーシ兵を配置せよ。肉の盾とするのだ!」
「はっ」
◆
モンゴル軍攻撃の指揮を執っていたフリードリヒのもとへ報告がある。
「モンゴル軍が撤退を始めました」
「判断が早いな…」
そして追撃を命じようとしたとき、別な報告がある。
「モンゴル軍はルーシ人を殿として肉の盾としております」
「そうか…」
モンゴル軍は常に替え馬を用意しているので逃げ足は速い。しかし、それはモンゴル人に限るのであって、ルーシ人などは騎馬に慣れていないし歩兵の者もいる。
モンゴル兵は我先にと先頭を切って逃げているに違いない。
しかし、ルーシ人を肉の盾とするとはやり難いことこの上ない。できうればルーシの地を奪還しようというときにルーシ人はできるなら殺したくない。
フリードリヒは思案した。
ペガサス騎兵と蠅騎士団で先回りするか…
その時、ミカエルが発言した。
「今回は我らにやらせてくれぬか? 中東では悪魔どもばかりが活躍しておったではないか。たまには我らにも働かせてくれ」
「そうか…」
確かに天使たちの飛行速度ならば騎馬軍団を追い越すことなどたやすいだろう。それも一つの手ではあるな…
「わかった。今回の追撃はミカエルとガブリエルの天使軍団にお願いすることにしよう。数的に足りないだろうから配下の天使を召喚するがいい。
目標は先頭を行くモンゴル兵だ。くれぐれもターゲットを間違うなよ」
「わかっておる。誰にものを言っている」
◆
ミカエルとガブリエルは天使軍団の者たちを連れて、あっという間にモンゴル軍に追いつき、追い越した。
そして配下の天使を召喚する。
「出でよ。我が配下たち!」
無数の召喚陣が浮かび上がり、高位の天使たちが姿を現した。その数は5千ばかり。
ミカエルは命令を下す。
「よいか! 敵はこれまであまたの無辜の民を虐殺してきた悪魔にも等しい者どもだ。手加減なしにやってしまえ!」
「おーーーーーっ!」
◆
クルムシが逃走していると前に鳥のような者が多数立ちはだかっている。
「あれは何だ?」
「もしやヨーロッパの者どもが言う天使というものではないかと…」
「そのような者がなぜここにいる?」
「さあ。全く見当が付きません」
クルムシは命じた。
「まあ良い。あのような弱そうな者どもだ。邪魔をするというなら蹴散らすだけだ。速度を緩めず突撃せよ!」
「おーーーーーっ!」
だが、それはクルムシの全くの見当違いだった。天使は悪魔とも対等にわたり合える戦闘力を持っている。
しかも、自由自在に空を飛ぶのだ。
モンゴル人の千人隊は、天使たちに翻弄され、蹂躙された。
千人隊で最後まで生き残ったのは、クルムシとその親衛隊数十人のみだった。
◆
ミカエルたちの戦闘が終わろうとしている頃、フリードリヒはダヌィーロ・ロマーノヴィチと会見していた。
フリードリヒは言った。
「あなたがロマーノヴィチ公ですか。よくぞここまで踏ん張ってくれました」
「いや。こちらこそ。援軍に来ていただけなければ我らが虐殺の憂き目にあっていたところだ。感謝する」
二人はガッチリと握手を交わした。
フリードリヒは提案する。
「モンゴル軍は当主も不在ですし、立て直すまでに時間がかかるでしょう。
ガイア帝国の多国籍軍もやってきますが、それまでの時間ももったいないですから、貴国の軍と我が軍で手分けをしてハールィチ・ヴォルィーニ公国の諸都市を開放していきましょう。敵の残留部隊は多くはないはずです」
「そうだな。そうしていただけると助かる」
こうしてハールィチ・ヴォルィーニ公国の諸都市は解放されていった。
敵が各都市に駐留させていた部隊はわずかで、ほとんどが戦闘もなく逃走して行った。
しかし、モンゴル軍がこのまま大人しくしているとは思えない。
──これからが正念場だな…
フリードリヒは、決意を新たにするのであった。
◆
その後、ジュチ家では、結局、年長者であったバトゥの弟のベルケが当主に即位することとなった。
ベルケは命じた。
「フラグ・ウルスに派遣している部隊を直ちに呼び戻せ。戻りしだい反撃に移る。それまでに準備を整えよ!」
「はっ」
──おのれ…生意気なヨーロッパ人どもを心胆寒からしめてくれるわ…
ベルケは、復讐心を燃え上がらせるのであった。
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