自称「カリオストロ伯爵」なる魔術師・占星術師・錬金術師はローマに突然に現れた。
傍らにドンナ・ロレンツァという若くて美しい妻を侍らせていた彼自身は、ずんぐりしたチビで、色黒で斜視でシチリア方言丸出しのいかにも怪しげな男だった。
しかし、いや、だからこそ人々はカリオストロが売る「若返りの薬」に飛びついた。彼が発明したというこの薬は「ギリシャ産のワインに、ある種の動物の精液と各種植物の汁液を蒸留して混ぜたもの」という触れ込みだった。
怪しげな者が怪しげな物を売るという構図は、逆説的に信憑性を増したのだろう。それを美貌の妻の存在が巧妙に補強していた。
自伝によるとカリオストロ伯爵の経歴は次のとおりである。
● イスラムの聖地メディナに生まれ回教徒サライムの館で、扶養官アルトタルと3人の従者にかしずかれて育つ。
● 13のときアルトタルとメッカに巡礼し、回教主に拝謁し、宮廷に親しく招かれる。
● エジプトで数々のピラミッドを訪ね歩き、神殿の神官たちの知遇を得る。
● ロードス島にて、マルタ騎士団の大首長ピントの紹介で、フィレンツェのカラマニ伯爵家出身のマルタ騎士アキィーノと知り合いになる。
● ローマでオルシーニ枢機卿から丁重に迎えられ、法王クレメンス⒔世と再三にわたり拝謁する。
カリオストロ伯爵は、若返りの薬を売ったり、降霊術、錬金術などのあらゆることをやりながら、マドリード、リスボン、ロンドン、パリなどを放浪して回った。
その間に「カリオストロ伯爵」の名声は高まっていき、彼の信奉者も増えていった。
ロンドンではかの有名な秘密結社フリーメーソンに入会し、瞬く間に高い地位にのし上がった。
前世の記憶だとフリーメーソンはもっと後の時代にできたものだったが、現世では薔薇十字団と同様に、13世紀で既に存在しているようだ。
パリでは彼自身が考案したエジプト・フリーメーソンの一派を組織し、パリの貴族や大商人が彼のもとに押しかけるようになった。
カリオストロ伯爵は、祭司の衣装で人々を迎え、厳かな儀式を行った。エジプト・フリーメーソンの入会金は法外な値段で彼は相当に私腹を肥やしたらしい。
◆
ある日。
タンバヤ商会のアリーセから報告があった。
「カリオストロ伯爵なる者がナンツィヒにて怪しげな夜会を開く模様です」
──カリオストロ伯爵といえば、嘘がバレてローマ法王を呪いながら獄中死したペテン師だったはず。もっとも生きていると信じる狂信者もいるらしいが…
「それは面白そうだ。私もぜひ参加してみたい。手配できるか?」
アリーセは真面目だから未然防止しようと思って報告に来たはず。案の定、呆れ顔をしている。
「…承知いたしました」
──さて、見せてもらおうか。ペテン師の技というものを…
◆
夜会の日がやってきた。
警護にアスタロトが付いて来るのはもちろんだが、それなりに格式の高い夜会らしいので、作法に秀でたクララ・エシケ―を同伴することにする。
「旦那と2人でお出かけなんて久しぶりだね。うれしいよ」
「そうだな…」
腕を組んでいたクララは体をくっつけてくる。だが、悪い気はしないので、そのままやりたいようにさせる。
夜会の会場に着いた。
フリードリヒとクララは仮面を付けた。顔がバレないためであるが親しい者にはわかってしまうだろう。
他の貴族たちをみても、ほとんどが仮面をつけている。
入口ではカリオストロ伯爵夫妻と思しき者が出席者を出迎えていた。
フリードリヒとクララの番になると、妻のドンナ・ロレンツァはクララの顔をみて息を飲んだ。
が、一瞬で素の顔に戻る。
──いったい何だったんだ?
クララに聞いてみる。
「知り合いか?」
「ああ。あいつは妖狐だ。私よりだいぶ格下のね」
「そうだったのか。妖術でカリオストロ伯爵のペテンを助けているのだな」
「おそらくね。あいつは昔からダメ男に引っかかるタイプだったんだ。変わってないねえ」
人族でもいい女なのにダメ男に引っかかってしまうタイプの女性は結構いる。それで別れては別なダメ男に次々と引っかかるのだ。きっとダメ男を放っておけない、母性本能が強いタイプの女性なのだろう。
見ていて可哀そうに思えるが、本人が満足ならばそれで良しなのか…
やがて夜会が始まった。
まず、始めは錬金術である。
カリオストロ伯爵が口上を述べる。
「さて紳士淑女の皆様。まずはこのテーブルの上の鉄屑を錬金術にてダイヤモンドに変えてみせます」
と言うと鉄屑に布を被せた。
何か呪文らしきものを唱えているが、よく聞くと内容は滅茶苦茶だ。
「はい!」と言いながらカリオストロ伯爵が勢いよく布を取り去ると確かにダイヤモンドに変わっていた。
「おおっ!」
見ていた者たちが驚嘆の声を上げる。
カリオストロ伯爵はしたり顔である。
──ただの手品じゃないか!
千里眼で見ていたフリードリヒには一目瞭然だった。
そこでフリードリヒは意地悪をしてやることにする。
「カリオストロ伯爵。私も錬金術を少々嗜むのですが、このダイヤモンドを別なものに変えてみてもよろしいですかな。伯爵ならば元に戻すことも容易でしょう」
「も、もちろんだ」
──ここで「いやだ」とは言えないよな…
「さて、紳士淑女の皆様。そもそもダイヤモンドというものは炭素という原子からできているものです。これからダイヤモンドを炭素に戻してみせます」
フリードリヒはそれらしくみせるためにイリュージョンの魔法でダイヤモンドを青く照らすと時空魔法で元素組成をいじり炭素に戻していく。ダイヤモンドはみるみるうちに黒い粉の塊となった。
「おおっ!」
再び歓声があがる。
しかし、カリオストロ伯爵の顔色は真っ青だ。あのダイヤモンドは本物だった。あれだけの量が失われたとあっては相当な損失になるはずだ。
もちろん、戻せるのなら損失ゼロのはずなのだが…あの顔色を見る限り、推して知るべしだ。
気を取り直して次は降霊術をやるようだ。
部屋を暗くして室内を照らすものは蠟燭一本になった。
霊は光に弱いという理屈なのだろうが、胡散臭いことこの上ない。
例によって、カリオストロ伯爵が滅茶苦茶な呪文を唱えると立派な王の姿が浮かび上がる。
おそらく妖狐の幻術だろう。
「朕はオットー大帝である」
どうやらフランク王国のオットー大帝を呼び出したということらしい。が、自分のことを「大帝」とは言わないよな。普通…
声の方はどう聞いてもカリオストロ伯爵の腹話術なのだが、それでも「おおっ!」という歓声が上がる。
雰囲気にのまれると人間という者は馬鹿になれるのだなとつくづく思う。
フリードリヒはアスタロトに合図をする。
配下の悪魔を呼び寄せてもらうのだ。
さぞ面白い光景が見られるだろう。
やがて部屋中に大音声が響わたった。
「我はアザゼル。我の眠りを妨げたのは誰だ! 喰ろうてやる!」
──いや。こんな大物じゃなくてよかったんだけどなあ。アスタロトさん…てば…
部屋の家具という家具が振動をして音を立てている。
テーブルの食器類は宙を舞っている。
いわゆるポルターガイスト現象というやつだ。
女性はみな悲鳴をあげ、恐慌状態に陥っている
カリオストロ伯爵はというと、おろおろしながら「皆さん落ち着いて」と叫んでいる。
──いや。ここは普通真っ先に逃げるところでしょう。
やがてアザゼルはその姿を現した。
蠟燭が消えており真っ暗なので、フリードリヒはイリュージョンの魔法で下からライトアップした。
7つの蛇の頭、14の顔、12枚の羽根をもつアザゼルの恐ろしい姿が闇の中に浮かび上がる。
これにより恐慌状態はピークに達した。
男の中にもへたり込んで失禁してしまうものが続出した。
──やべっ。やりすぎたか…
フリードリヒはアザゼルの前に進み出る。
「アザゼル様。あなた様の眠りを妨げたカリオストロは必ずひっとらえたうえ生贄に差し出します。この場は私に免じてお許しください」
「其方は何者だ?」
「しがない錬金術師にございます」
「それを信じろというのか」
「私はロートリンゲン大公閣下に知己を得ております。この件は閣下にお願いすれば悪いようにはせぬはずです」
「よかろう。だが、必ずカリオストロとやらを贄にささげるのだぞ」
「はい。必ずや」
こんな三文芝居でも騙されてくれたかな?
不安に思ったが、これにより会場はようやく落ち着きを取り戻した。
が、既にカリオストロ伯爵夫妻の姿はどこにもなかった。
◆
アリーセに調べさせたところ、カリオストロ伯爵夫妻はパリの豪邸に戻ったらしい。
だが、豪邸を始めとしたカリオストロ伯爵の資産はフランス当局によって既に差し押さえられていた。
前もってフリードリヒがフランス王にカリオストロ伯爵の罪状を告発する書簡を渡しておいたのである。
もともとカリオストロ伯爵のことを面白くなく思っていたフランス当局はすぐにこれに飛びついた。
かくしてカリオストロ伯爵の膨大な資産はフランスの王家に接収された。フランスとしては国庫が潤ってさぞかし満足だろう。
フランス当局はカリオストロ伯爵の身柄も拘束すべく手ぐすねを引いていたが、カリオストロ伯爵夫妻は上手く逃げおおせたようだ。
◆
カリオストロ伯爵の行方はしばらく杳として知れなかったが、ある日突然にローマに姿を現した。
ローマでエジプト・フリーメーソンを再建しようとしたのである。
だが、宗教に不寛容なローマカトリックのお膝元で怪しげな宗教集団を立ち上げるなど狂気の沙汰だった。
もはやカリオストロ伯爵は正常な判断力を失っていたのかもしれない。
たちまちローマ当局に身柄を拘束され、終身刑に処せられることとなった。彼は結局ローマ法王を呪いながら獄中死する。
一方、妻のドンナ・ロレンツァは修道院に終生監禁されることとなったが、ある突然姿を消した。本性が妖狐の彼女にしてみれば難しい事ではなかったのだろう。
ドンナ・ロレンツァは、しばらくしてほとぼりが冷めると、クララ・エシケーを頼ってナンツィヒにやってきた。
「姐御。私はもう他に行くところがないんだ。何とか面倒をみてもらえないだろうか。何でもするからさ…」
クララはフリードリヒの方を一瞥する。
「さすがにイタリアの罪人を匿うことはできない。おまえも妖狐ならば姿形は変えることができるのだろう?」
ドンナ・ロレンツァは化けて姿形を変えた。
髪の色は狐の体毛と同じ茶色だったが、顔は同一人物と思う者はいないだろう。
「名前も変えてもらわないとな。ドイツ風に『ザビーネ・オールト』でどうだ?」
「ここに置いてもらえるならばなんでも構わない」
「よし。じゃあ決まりだな。ただで養う訳にはいかないから、とりあえずメイドでもやってもらおうか」
「わかったよ」
しばらくすると、ザビーネ・オールトはヘルミーネの従者だったジョシュアとできてしまった。
──ジョシュアはあれでも砲兵隊長だし、ダメ男ではないと思うのだが…
だが、他にとりたてて取り柄がないのも事実だ。そういう意味ではダメ男なのか?
そこは人それぞれだ。好きにすればいいさ。
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