【カフィノム日誌】
エスティアちゃんが一歩踏み出して、少しだけ素直になってくれた。お世話になってるヒラユキ君にお礼を伝えていた。
最後に彼の名前を呼んだのは、すごく印象的だったなぁ。
エスティアちゃんとヒラユキ君の一件から、また数十日くらいが経った。休みは……5回くらい挟んだかな?
どのくらいかと言うと、アタシとハルさんとノワとでのんびりやっている倉庫整理が、木箱30個ぶんの距離に対して2箱ぶんは綺麗に終わらせたくらい。
もうひとつ言うなら、アタシのコーヒーの腕がちょっとマシになったくらい。ハルさんからはもうシブくはないと言われている。
それなりの時が経ったカフィノム。今日も今日とて、大きな事件なく、ここの変わらない日常が続いていた。
「シキさん。今日もよろしくお願いします!」
「うん、今日もよろしくね」
店で開店準備をする。ここだけは敬語だ。
やっぱり、この『今日も』って言葉が何気なくて好き。色々あるかもしれないけれど、アタシはここにいてもいいんだって思える。
今日も普通の営業日。最近は2日に一度は常連全員揃うことが多い。
忙しいといえば忙しいけど、みんながいるのは賑やかでアタシは好き。
――カランコロンカラーン!
早速、ハルさんとゼールマンさんが来た。
いらっしゃいませー、と高らかに迎えて、2人の注文を取る。
彼女はファイブレ、彼はシキブレとアタシ達それぞれに仕事ができた。
「ファイちゃん、蒸らしのお湯はね――」
どっちも注文が来たから、シキさんの教えを受けながらコーヒーを淹れた。
「な、なるほど。渦を描くようにそっとやるのね?」
「そうそう。ファイちゃん、上達きっと早いと思うよ」
「や、まだまだよそんな。ゆっくり、やるわ」
ゆっくりを強調すると、シキさんの口元が静かに笑っていた。
そう、アタシはゆっくりやる。焦らない。
焦らなくていい環境が、ここにはある。
――――――。
出したファイブレをハルさんに飲んでもらう。
ゼールマンさんは相変わらず優雅にシキブレを飲んで少しだけ微笑んでいた、今日も満足そうだ。
「……うん、美味しくなってきてる」
「本当!?」
「近くでマスターの佇まいをよく見てたからだと思うわ。頑張ってるわね」
うんうんと頷いてハルさんはコーヒーの感触を確かめてくれていた。マシになった、から少しうまくなった、に格上げしてもいいかもしれない。
「日進月歩ってやつね。ヒラユキ君のところの言葉らしいわよ」
「へぇ……でも、良かった。少しでもうまくなれたなら嬉しい」
「マスターに近づけるまで、お姉さん付き合うわよ」
ふふ、と笑ってハルさんはタバコに火をつけた。
「ところでマスター」
「ん、どうしたのハルさん?」
「その後ろに飾ってあるやつ、いつも綺麗よね」
シキさんの真後ろにある、彼女が昔使っていた武器、装飾の入った鉄と木製の弩に、ハルさんは手を向けて問う。
「あ、うん。ずっと使ってたからね。毎朝、中まで手入れしてるんだー」
「あれ!? そうだったの?」
アタシも知らなかった。今となっては飾りだから毎朝そこまでやらなくても良さそうなのに……。
「やっぱり、愛着ってあるんだよねぇ。持つと昔は色々違ったなぁなんて思ったりして」
「そういえば、マスターの弩の腕は凄まじかったらしいわね?」
「今言うと恥ずかしいけどね……ふふっ」
「えぇー、ちょっと聞きたいなぁ。シキさんの武勇伝!」
ハルさんから始まった話題だけど、アタシが一番がっついていた。シキさんのことなら何でも知りたいと思う。
「うーん、ファイちゃんヒいちゃいそうだからなぁ……」
「えぇー、絶対ヒかないわ! ちょっとでいいから教えて?」
「本当? ヒいたら私泣いちゃうよ?」
「驚く準備はできてるわ! でも、ヒいたりなんてしないから!」
「……わかった。そしたら、ひとつだけね?」
「うんうん! 教えて!」
「聞かせてちょうだい」
アタシとハルさんがカウンターから少し身を乗り出して興味津々でいると、シキさんは弩を壁から取り外して、アタシ達の前に置いた。
「これで、黒騎士さんに、矢を5、6本くらい、ね?」
『えっ!?』
コーヒー片手に聞いていたそれに、アタシはむせた。
ハルさんはポロリとタバコを落としていた。
……すぐ拾ったけど、あえなくそっちで惨事になるところだった。危ない危ない。
ふと見ると、ゼールマンさんもトン! とカップを置いてこっちを見ていた。彼としてもハッとする話だったみたい。
「けほっけほっ! ちょっと待って。あの鎧、矢通るの!?」
「うーん、防具って隙間が少しだけあるものでしょ? そこをこう……ばしゅーんって? ぶっ刺す? って言うのかな? うん」
「ぶっ刺す? って言われても!? いやシキさん。シキさんいや、それとんでもなくすごい話じゃない?」
ヒくどころか、心底驚いた。
ハルさんも「嘘でしょそれ……」と口をあんぐり開けている。
それはそうだ、アタシがいくら手を尽くしても傷ひとつつけられなかった相手だ。
ハルさんも魔法が全然通じなかったと言っていた相手だ。
ヒラユキ君が仲間と3人で暗殺を試みても全くダメだった相手だ。
エスティアちゃんが1年間懸命に特訓しても一切歯が立たなかった相手だ。
そんな相手にその弩で、黒騎士に傷をつけた?
「私もほら、あの時は若かったから」
「それはやらかしてる人の言う言葉! えっ、もっと聞きたいんだけどその話――」
――カランコロンカラーン!
「よっ、やってるよな?」
「やってないわけないでしょ、恥ずかしい……ったく」
ヒラユキ君とエスティアちゃんが来てしまった。特訓終わりに寄るのか、最近は2人で来ることがほとんどだ。仲良くなったわね随分と……。
話が途切れたのが歯がゆい。
続きはあとで、というシキさんの言葉に従って、全員が揃ったカフィノムで仕事を再開した。
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