世界最強の旅人。そんな肩書を得て、僕はここまで来た。
誰にも負けず、この最果ての地までたどり着いた。
だけど、僕の『世界』は、あまりにも小さかったらしい。
「貴様、足りぬ。なにもかも、足りぬ」
「ぐ……どうして」
生まれてすぐ、僕は膨大な魔力を持っていることで、神童と呼ばれていた。
剣術も天性の才能があり、小さなころから誰にも負けなかった。
魔法も剣も化け物じみていた僕は、魔王を討伐する旅も、何の苦労もなく敵を屠って、ここまで来られた。
「覚悟も、重みもなにひとつない。そのような軽い剣に、私は越えられん。今までも、これからも」
それだけ言って騎士は、世界を乱す混沌の根源、それが住まう魔王の城。その正門前で佇む体勢に戻った。
僕とはもう戦うつもりはなく、眼中にもなさそうだ。
ただ、去れと威圧されることだけは感じ取れる。
初めての圧倒的存在、初めての敗北、初めての屈辱、初めての死線。
全てが恐怖でしかなかった僕は、無様に逃げ出した。
逃げている間、奇妙な光景が目に留まった。
目指していた城の外れに、1軒の小さな家がある。
不思議すぎたせいで、疲れ切っていた僕の足は、何故かそっちへ向けて進んでいた。
「喫茶……カフィノム?」
家の前にあった木製の看板には、そう書いてあった。
喫茶、と言うだけあって飲み物と軽食のメニューが書いてある。右上部分には猫らしき動物の可愛い絵もあった。
こんな場所に喫茶店? 変だ。
御城というものは、いざという時の非常口を確保しているものだと聞いたことがある。
もしや、この喫茶店は……それを旅人に知られないための隠れ蓑じゃないか?
こういう推測が外れたことはない。智も力も勇気も、僕は世界最強と謳われていたのだから。
ボロボロの格好だけど、僕は入ってみることにした。ここはきっと、魔王の城の中枢に続いているに違いない。
――カランコロンカラーン!
僕の推理はあっさり外れた。
景気の良さそうな鐘が鳴ったと思ったら、まさか「いらっしゃいませー!」と出迎えられるとは。
「あれ、見ない顔ね? 旅人さんかしら?」
僕を出迎えた、肩部分に布のない赤い服で帽子を被った銀髪の女の子。年は僕に近そうだ。
奥では、長い金髪の女性。目がほぼ開いてない糸目の女性が、透明な容器から黒い液体をカップに注いでいる。
2人とも、黒いエプロンをしていて、完全にここで働いているということだけはわかった。
よく見ると、他にも客らしき人々がいる。茶髪の女性、水色髪の少女、赤髪の若い男、ガタイのいい爺さんだ。
「とりあえず、駆け付け1杯どうぞ」
「いや、シキさん酒場じゃないからさ……」
「そう? みんなもう落ち着いたし、ファイちゃんお願いね」
うん、と言った銀髪、ファイというらしい。金髪の方はシキ、か。
「まずは座って。ボロボロだけど、訳アリ?」
「……あっちの城門で、黒い騎士に惨敗した」
「あらら、貴方もかぁ」
席に座ると、ファイが隣に座って、先の黒い飲み物を出す。
『も』ってことは、彼女かシキもアレに挑んだことがあるのかもしれない。
このドス黒い飲み物に、毒は入っていないだろうか? 実はこの2人は魔王の手先じゃなかろうかと思ったけれど、そうなら入った瞬間にやっているはずだ。
それに、ファイという少女も同じ飲み物を飲んでいる。そこは安心して良さそうだ。
「……苦いなぁ。良い香りはするけど」
「コーヒーって言うのよ。それで、あの黒騎士と戦って負けたのよね?」
ファイに促されるまま、僕は奴との戦いを話し、僕のことについても話した。
これまでどんな歩みだったのか、僕がどんなに強かったのか。そして、そんな僕があっけなく負けたことも。吐き出すように話した。
「そっかぁ、さながら勇者さんだったのね」
「そんな期待を背負ってきたさ。でも、このザマだよ。僕はどうすればいいんだか……終わりだよ、何もかも」
「ちょっと! 腐ってる場合!?」
突然、ファイが声を張り上げる。
その時、周りの客が「はじまったぞ」「出た、ファイちゃんのいつもの!」「相変わらずだわ」と軽口混じりの歓声がぼそぼそと飛び始めた。
「まぁ聞いてれば、周りから散々もてはやされたみたいね? それで、苦労もなくここまで来たと」
「……そうだよ、僕は最強のはずだった。なんでもできて、負け知らずで――」
「でもそれ、『なんでもできすぎた』んじゃない?」
「えっ?」
「そんな奴を知ってるわ。変に自分に自信あって、なんでもそつなくできた覚悟の甘々だった奴。でも、それじゃ辛いのよ。味が混ざりまくって、自分が何をしたいのかわからなくなってくるの」
それが誰なのかはわからない。
でも、いきなり僕にそんなことを言うファイには、どこか凄味があった。
「美味しいものをただ混ぜまくっても、美味しいものはできないわ。そのブラックコーヒー、もう一度飲んでみて」
言われるがまま、それに口をつける。
眉が寄る。やっぱり苦い。だけど、本当にいい香りだ。
「その味が、貴方の目指すべき味よ。アタシの経験とそのコーヒーを淹れたシキさんに代わって言わせてもらうわ――」
沈んでいた僕に、ファイはビシィと指を指して続ける。
「苦みを味わって、人は強くなる。そして、一度の失敗程度で折れない芯を持ちなさい。そのブラックコーヒーみたいに、ストレートなものをね!」
「っ!」
言い終わると、店中から「おぉー」と拍手が起こる。
得意げに言うファイのその言葉は、今の僕にぐっさりと刺さった。
同時に、ひとつの予感が僕の頭をよぎった。
今まで僕の足りていなかったものが、きっとここにある。
魔王城の敷地、その外れにある1軒の喫茶店、『カフィノム』。
ここは、僕に『人生の味』を教えてくれる場所なのかもしれない。
そんな場所で働き、僕に声をかけた銀髪の少女、ファイ。
皆から慕われていそうな彼女は、一体何者なんだろう……?
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