【カフィノム日誌】
ありのままを書き留めておくけど、未来のアタシ、見ても驚かないでね?
ノワが人間化して、アタシを説教しに来た。使い魔って、一定量の魔力が溜まるとそんなことできるんだって、すごいね。
まさかの人間化したノワ。理由はアタシにもの申したいから。
夢じゃないけど夢みたいな光景だ。
猫の気持ちなんてわかることないと思ってた。まさか猫と会話ができるなんて、非現実的すぎる。
アタシが理論ばっかり考えるからか? 魔法は使えれど知識は浅い。
でも現実、目の前の黒い女の子はノワで、話していても本人だと確信できる中身があった。間違いないみたい。
「それで、アタシに言いたいことって?」
「本当は朝まで説教垂れたいんだけどね」
「ひえぇ、せっかくならノワともっとお近づきになれる方法が知りたかったわ」
「……そのうじうじが無くなれば、幾分かまた近づいてやるわよ」
頬杖をつきながら、アタシから目を逸らして言うからよく聞こえなかった。
それより本題! とノワが急かし、彼女は語る。
「それで、『どうしたいか』わかんないんでしょ?」
端的に聞いてきたソレは、アタシの悩み。
どうしたいか、迷っている。
そうだと応えると、彼女は「まぁ、わからなくもないわ」と言って、腕を組みながら続けた。
「あの女も、よくそういう感じで迷ってたからね。この場所にいるか、帰って男との人生歩むかみたいな」
「ハルさんのこと?」
「そうよ。アイツとは話したことないけど」
彼女は使い魔をそこまで使わないから、たいして魔力をくれなかった。だから人間化は今回が初めてだとノワは悪態をつきながら言う。
「ハルさんって、カフィノムにいるかどうか選び続けてたんだ? モテない訳じゃなかったんだ……」
「そう。そこがあんまり好きじゃないんだけど」
「どういうこと?」
「良い人すぎるのよ、あの女。欲がなさすぎて、私は気に入らなかった」
ハルさんを悪く言ってほしくないけど、良い人すぎるってことはわかる気がした。
「もっと押せばいいのに押さないからフラれ続けたし、相手が悪いことなのに、自分ばっかり傷つけてた。自分で自分を辛くするんだもん。私はキツかったわ」
人間化できたならバシッと言いたかったわ、とノワはふんと鼻を鳴らす。
「それでいてうまくいった時も、この場所をいたく気に入ってて、いざとなると迷って迷って。あの女の将来はいつまで経っても保留よ」
「でも、ハルさんはそれでいいって吹っ切れたよね?」
「他でもない、アンタが決め手だったようだけどね」
……そんなに影響あったんだ。アタシの言葉。
今更ながら、本当に大仰なことを言った気がする。
そう思っていると、ノワが「それなのに!」と少し声を大きくしていた。
「今度はアンタがぐずぐず悩んでるって、アンタを通して伝わった。どうしちゃったわけ?」
「や、結局アタシってなんなんだろうなって、なにしたいんだろうなって思って。色々考え続けたら、止まんなくなっちゃった」
「人間って難儀ね。めんどくさい生き物」
「猫が気楽とは言わないけど、まぁ……そうね。アタシ達って、めんどくさいのよ」
適当に笑って取り繕う。
変に知恵を持つのも嫌ね、とノワはまた嘆息する。そうしていると、彼女は不意にカウンターの先を鋭く指さした。
「その、それ、なんだっけ? あぁ、そう。コーヒー。1杯淹れてみて」
「えっ? い、いきなり?」
「知恵って程じゃないけど、コーヒーにちなんで、私なりに言いたいこと、あるのよ」
「ノワが飲むの?」
「バッ……ファイ、知らないの? 猫にコーヒー飲ますのはご法度よ。絶対ダメだから」
「えっ? そ、そうなんだ……すいません」
一瞬声を張ろうとしたのを抑え、静かに怒るノワ。アンタが淹れて、アンタが飲むのよと言われた。
でも、何気に名前を呼ばれてちょっと嬉しかった。言ったらまた怒られそうだから言わないけど。
というか、堂々としてないと。それがノワとの距離の縮め方だった。
シキさんと本の教え通りに準備をする。
豆を静かに挽いて、三角錐の紙を用意し、器具にセット。あとはお湯を注いで、コーヒーを落としていくだけだ。
湯沸かしは、強くやりすぎないように。指から小さく火を出して、炙るようにポットを温めた。
「ノワも食べる?」
「どうも。でも火は今はいいわ。水の方で」
「わかったわ。そういえばこの水も魔力よね」
「あぁ、あの女の魔石だったわね。私は炎魔法食べる方が好きだけど」
「猫舌なのに?」
「魔力を食べるから、熱い冷たいは感じないのよ」
アタシのツッコミをしれっとかわすノワ。あしらわれ方が自然すぎて、その柔軟さが猫らしいなと思った。
片手で水を注いで彼女に出す。そうこうしていると、お湯が沸いた。早速、とりかかろう。
「いつもより流れ良いじゃない」
「やっぱり? ちょっと手際よくなってきたかなーって」
「マスターさんには程遠い。調子に乗らないで」
「……はい」
言わないし、嫌な気分もしてないけど、これだとどっちが主人かわかったものじゃない。
余計に、飼い主だなんて傲慢になるのはよそうと思った。ノワの方が優秀なことが多そうだ。
蒸らして、少し待つ。そこから、改めてお湯を注いでコーヒーを落とす。
その時、ノワが突然「そこよ」と言って、器具やアタシを指さした。
「そこよ、そこ。私が言いたいこと」
「えっ?」
「アンタ、コーヒーを淹れる前に何してたのよ?」
「なにって、これ? 蒸らし?」
「それよ。今、アンタに必要なのは!」
声高に言うノワ。どういうことだろう……流石にちょっと解説が欲しい。
「そのコーヒーみたいに、アンタ自身も少し蒸らせば? って」
「アタシを、蒸らす?」
「そうやって待つことで、コーヒーがおいしくなるんでしょ? なら、そうしなさいよって」
「……カフィノムに、居座れってこと?」
選択としてはそうした方が良いと頭の中で思ってはいた。
だけど、ノワは首を振る。
「そういうことじゃなくて。答えをすぐに決めるなってこと。マスターさんも言ってたじゃない」
「で、でも。ハッキリさせとかないと、迷惑だし……」
「それでいいじゃない。ちょっとくらい、迷惑かけなさい」
「いやいやいや、それはダメよいくらなんでも」
「ダメじゃない。アンタ、なんでもうまくやろうと思いすぎてる」
「っ!?」
ビシ、と指を指されてドキりとした。図星だったからだ。
うまくやろう、良く見られよう、優秀でいようとすることが多いのは、確かなこと。
アタシはできる、ってことを常に証明していたいから、そう思っている。
「アンタと私は似てるからわかるの。アンタ、完璧主義者でしょ?」
「う、うん……そうかも」
「私もよ。報酬ぶんは完璧に仕事しないと気が済まない。でも、アンタと私は違う。アンタは意識でそれを変えられる。だから言いたいのよ――」
もうあんまり時間ないから、と言って少し口早にノワは言った。
「――やれることをやれる限りやればいい。ありのまま生きれば? 甘えていい存在が、アンタにはできたんでしょ?」
それに加えて、さっきの話題についても畳みかけてきた。
「ひとつ答えをあげる。どっちつかず、ハザマの存在でいなさい。今は『蒸らし』の時間だと思って、目の前のことを少し楽しんだら?」
そうしてれば、本当にしたいことが見えると思うけどね。彼女はそう言った。
「現状に甘えて、アタシ自身を……蒸らす」
「そう。迷惑かけられてちょっと嬉しくなる人っているのよ。マスターさんはそれだと思うわ」
「確かに……こんなアタシといて、楽しいって言ってた」
「自分を卑下するのもやめなさいって言いたいけど、これは別の話ね」
自信あるんだかないんだか、と彼女は嘆息する。
ため息の多い子だ。半分アタシのせいだけど。
「だから、少し考えさせてって素直に言えばいいわ。意外と、それが正解だったりするのよ」
「答えを出さないことが、正解……」
「そういうこともあるのよ。アンタもちょっと保留してれば? 別に、それで嫌ったりしないし」
考えたことなかった。でも、それが最善なんじゃないかと、アタシの頭も今そう思った。
アタシは保留することを嫌っていた。芯を持たないとダメ、みたいな。
だけど、その芯をしならせることはしたっていい。つまり、そういうことだ。
ここで過ごす中では、ある種都合よく、右に反れたり左に反れたりしてもいい状態ってことか。
ノワの言いたい、『ハザマ』と『蒸らし』はそんなことを伝えたいのかもしれない。
変えなきゃいけないのは、それだ。
なんでもすぐハッキリさせて、突き詰めて完璧でいたがる、アタシのその意識だ。
「私ら猫みたいに、少しくらい気まぐれに生きたっていいのよ。私が言いたいのは、そういうこと」
「の、ノワ。なんか、ちょっと見えた気がする」
「そう。それなら良かったわ。アンタの欲望のままに、存分に蒸らしなさい」
そう言って彼女は欠伸をすると、黒い靄が彼女を包み、小さくなっていく。
やがて、元の黒猫の姿になり、足早にアタシの肩へと戻った。時間切れだ。
シキさんの言った、「答えはすぐじゃなくていい」は、そういうことだったのかもしれない。
おぼろだったアタシのすべきことが、ノワのおかげで少しだけ晴れた。
明日、考えをまとめてシキさんに伝えよう。
淹れ終わったコーヒーを、くいっと一気に飲む。
……前よりは、マシな味になっていた。
蒸らした時間が、少し長かったからかもしれない。
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