【カフィノム日誌】
アタシのコーヒー淹れ初挑戦は惨憺たる結果だった。
自分がこうもできない奴とは思ってなかったのがショックだ。
でも、そんな中でシキさんとコーヒーの出会いを聞けることになりそう。
図らずもシキさんの過去を聞けるチャンスが到来した。
ヘコんでいたアタシだったけど、そんな場合じゃない。その機会は逃さない。恩人と、『恩場所』のきっかけはどうしても知りたい、理解したいと常々思っていたから。
「お待たせ。座って話そう?」
「ありがとう。ずっと、その話聞きたかったんだ」
新たにシキブレが2杯出来上がり、カウンターの席の端2つに隣同士で座る。
それからシキさんは「ハルさんかゼールマンさんが来るまでね」と言ってから口を開いた。
「……ずず」
と思ったらコーヒーに口をつけていた。
ずるっとアタシの肩が下がる。今、完全に何か喋る素振りだったじゃないの。
この人、天然だし全然つかみどころのない人だってことを忘れてた。
「シキさん!?」
「あ、ごめんごめん。喉乾くかなーって」
「事前準備!? それなら水の方がよくない?」
「あ、それもそっかぁ」
あははーと笑うシキさん。言いながら、アタシは彼女に水を差しだした。
改めて、水を少し飲んでから、今度こそシキさんは話し始めた。
「5年前、だね。私がここでコーヒー淹れ始めたのは」
「ハルさんがここに通い始めて4年だから……それよりも前ね」
「うん。最初の常連さんはハルさんなんだ」
今、自分が座っているハルさんの席、その椅子を撫でるシキさん。
それまでは閑古鳥だったのかもしれない。5年前、黒騎士がどうだったのかは知らないけど、アタシの思った通り、魔王城の前に喫茶店は難しそうだ。なにより怖いし、なんであるのかわからないし。
だけど、そこでアタシにひとつの疑問が浮かんだ。
「あれ? ゼールマンさんは?」
「そうそう。それを今言おうと思っててね」
「あっ、ゴ……ゴメン」
「うぅん。それが一番重要だからねぇ」
そこから、カフィノムを一度見まわして、一度頷いてからシキさんはアタシを見て言う。
「実は、ゼールマンさんから声かけてもらったんだ。喫茶店をやらないか、って」
「えっ!?」
誰でもそういう反応になると思う。
ハルさんから、ゼールマンさんがコーヒーの豆やら料理の食材を持ってきているって話を聞いてはいたけど、そういうことだったのか。
ゼールマンさんって、カフィノムの常連というより……スポンサーなのかもしれない。
「これはもう過ぎた話だから、深刻にならないで欲しいんだけどね――」
そう前置きして、シキさんは棚と棚の間に飾られている、古ぼけた装飾があしらわれた弩を見ながら続けた。
「お店を始める前、私は中央部の魔王討伐の軍にいたんだー」
「えっと、天才的な弩使いって言われてたんだっけ?」
「そう。もう昔の話で、恥ずかしいけどね」
「そこでシキさんも戦って……たんだ。ちょっと想像つかないかも」
「うん。それで、その軍は黒騎士さんに、どかーん」
「どかーん!? 軽っ!? えっ、壊滅させられたってこと?」
「うん。私も軍に思い入れあったわけじゃないし。そこはね、軽く」
そういえば城下町でそんな話を確かに聞いた。
軍隊総出で黒騎士と戦ったけど、その時はほぼ皆殺しになったって話だ。
その、『ほぼ』皆殺し。壊滅状態の中の、生き残り……いや、言ってしまえば『見逃された』人。そこにシキさんがいたんだ。
「軍で若いのは私だけだったし、軍も軍で私を良いように使ってただけだし。その隊長さんも黒騎士さんにやられちゃったし。色々終わったなーって思ったの」
「そこで、みんなやアタシみたいに、黒騎士に退くように言われたの?」
「そうそう。『若い芽を……』なんちゃらーって」
「アイツ、同じことしか言わないわね」
黒騎士。ますますよくわからなくなってきた。
若者は無暗に命を取らないのはいいけど、彼がなんなのか本当にわからない。
「それで、とぼとぼとあっちの城下町に帰った。ぼろぼろだったから宿で休もうと思ったんだけど、そこでゼールマンさんに会ったの」
「あ、偶然だったんだ?」
「多分、そうかな。あの人、宿でぼーっとしてたし」
シキさん曰く、その時、私がこの辺りの人じゃないとゼールマンさんは気付いたらしい。
そこが出会いだったんだ。でも、なんでコーヒー?
「その時、私が宿の人と弩の話になって。私の昔の話、バリスタの扱いがすごかったーって話をしてたら……ふふっ」
何故か笑うシキさん。彼女が声を出して笑うことは珍しい。余程のことかもしれない。
「そしたらね。ゼールマンさんがいきなり立ち上がって……『バリスタ!? 腕は確かだって!?』って詰め寄ってきたんだー」
それが発端、と言いつつくすくす笑い続けるシキさん。ゼールマンさん、ついに喋ったわね。
でも、なんだろう、言っちゃっていいのかな? ちょっと察しがついた気がする。
「ね、ねぇもしかして……その『バリスタ』を、前に教えてくれた『コーヒーを淹れる人』と勘違いして、ゼールマンさんが咄嗟に声をかけた?」
「ぷっふふ……そう、ファイちゃん正解。それで私に、コーヒーと喫茶店について書かれた本を渡してきて、この立地の家を提供して、今こうなってるってお話」
言いながら、1冊の本を懐から出して言う。本には確かにコーヒーのことや、どこかの世界の喫茶店について書かれているものだ。
「ぜ、ゼールマンさんの勘違いから、カフィノムが始まったんだ!?」
「うん。どうしてもコーヒーを飲みたい、そのためならなんでもする、って」
「すごい情熱ね。だからああして助けてくれるんだ?」
「そうだね。それに私も、どうせ路頭に迷うところだったし、引き受けたの」
「コーヒーを淹れる腕はわからなかったのに?」
「そこはゆっくり頑張ろうかなって。それで、私も最初は泥水で、ゼールマンさんに顔をよくしかめられたなーって」
話が最初に戻った。シキさん、舵取りうまいなぁ。
そっか、今でこそハルさんに天才的な腕だって言われてるけど、昔はシキさんもそうだったんだ。
「だからファイちゃん。そう落ち込まないで。ゆっくり、一歩ずつやっていけば、きっと美味しいコーヒー、淹れられるから」
微笑みながら言って、アタシに例の本を手渡すシキさん。「少しずつ勉強しよう?」とも言ってくれた。
シキさんの過去は、重いような軽いような。ともかく、大筋を聞けた。
でも、彼女の今はそれをひきずることはなさそうで、常連に囲まれて。ぽわぽわしているけど、カフィノムって場所や、みんなのことが好きなマスター、『てんちょう』だ。
それを理解したところで、来店の鐘が鳴る。入ってきたのは、ゼールマンさんだった。話の区切りには、ちょうどいい。
いつものように彼は寡黙にコートと帽子を脱いで、ダンディにカウンターの席に着く。
――だけど、今日ばかりはその様子がなんとなく可笑しかった。
彼の勘違いから始まった、カフィノム……か。
アタシもその一員として今は頑張れるよう、コーヒーの勉強をしよう。
「ゼールマンさん、ご注文は?」
彼は黙りながらも少しだけ笑いながら、メニューのシキブレを指さしていた。
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