【カフィノム日誌】
ハルさんと出身地について話した。そんな中で彼女がコーヒーを飲んだ途端、なんだか酔ったような雰囲気になってしまった。大丈夫なの、これ?
「あぁーこの感じよぉ。このふわっと浮いた気持ちになるこの感じ。朝の一杯はたまらないわねぇ」
ぽわぽわと顔を赤くして、かくんかくんと頭を左右に振るハルさん。演技なんかじゃない、本気で酔っぱらっていると思う。
少なくともコーヒーにそんな成分はないはず。昨日、同じシキブレを飲んだアタシが言うんだ、間違いない。
ハルさん、コーヒーで酔うの? 嘘でしょこの人。
じゃあお酒飲んだらどうなっちゃうの? なんて、疑問が頭をよぎる。
ともかく、アタシだけで対応できる話じゃない気がした。
「ちょっ、シキさん。シキさーん!」
「はいはーい。どうしたのファイちゃん。ってあらあら、ハルさん今日は早いねぇ」
ゼールマンさんと話していたシキさんを呼ぶと、「あー」と言って彼女は苦笑いしていた。
「大丈夫大丈夫。ハルさん、毎日こうだから」
「いつものこと!?」
「朝にコーヒーを飲みに来て、こうして酔うのがねー」
「おかしくない!? ねぇ、朝からお酒飲むようなものよね!?」
「おかしいねぇ、ホントはコーヒーって目が覚めるはずなんだけどねぇ」
あははーと笑うシキさん。状況はわかっても理解する気にならなかった。
ゼールマンさんは黙々とパンに野菜を挟んだ代物をゆっくり食べていた。カフィノムの軽食かな? 彼もこの状況には慣れてそうな雰囲気だ。
「でも、今日はハルさん、酔うの早いねー」
「んーそぉ? そうかしらぁ……あぁ! そうねたしかにぃ」
「きゃっ!?」
言いながらハルさんはアタシの肩に手を回し、顔を近づけて密着してきた。
近い近い。他人とこんなに距離が近くなったのは、このカフィノムに入るまで経験してこなかった。悪いけど、怖さすら感じる。
シキさんにフォローをお願いしようと思ったけど、ゼールマンさんに呼ばれてしまっている。あぁ、これはアタシがどうにかしないとならないかも。
「な、なにハルさん?」
「やっぱりねぇ、ファイちゃんとの会話が楽しくてアガっちゃったのかもー」
「えっ、そんなことで!?」
「うん。だってぇファイちゃん、気が利くしぃ。察しも良いしぃ、話弾むしぃ。それに私の魔法に、素直に喜んでくれたしぃ。っもう! ファイちゃん、どうしてそんなに優しいのぉーうっうっ……」
突然泣き出したハルさん。彼女の感情にすでについていけてない。
酔っぱらった人って何度か見たことあるけど、面倒な印象しかなかった。
「ファイぢゃぁん。ね゛ぇーファイちゃん」
甘えん坊の子どもみたいにペタペタと触って、アタシの名前を連呼するだけの状態。「なに?」と聞いても「呼んだだけぇ」と言って、えへへと笑いながら身体を触ってくるだけだった。
これが男の人だと思うとゾッとする。酔っぱらいは基本的にタチが悪い。
「あ、あのーハルさん? ほら、アタシ仕事が!」
「私とお話するのは仕事じゃないの? そう、そうなの。ぐすっ」
「いや仕事で話される方が悲しくないかしら!?」
ツッコむとハルさんがさらに声をあげて泣く。仕事として会話される方が嫌じゃない? って意味だったんだけど。あ、合ってるか。
こういう仕事は私的に会話するのが理想だし、ハルさんの方の言動がおかしい。うん。ほぼそうだ。
「それでねーファイちゃん。あのねーファイちゃん」
しばらくして突然スッと泣き止んだハルさん。彼女は腕をアタシの肩に回したまま、とりとめのない話を延々と続けてくる。
アタシはアタシでそれを適当に相槌を打ちながら、愛想笑いのまま聞く。
初日からこれかぁと少し精神を持っていかれたけど、女同士だからまぁいいかと割り切っていた。
「私ねー、ずっと独りで旅してここまで来たけどぉ、ファイちゃんは寂しくなかった?」
そろそろ疲れてきたなぁと思っていると、不意にそんなことを聞かれた。
ハルさんはコーヒーをグッと飲み干して、カップを置くなりアタシをじっと見ている。
「寂しい? 別に、独りでもやっていけてたし。そんなに、かな」
「そう? じゃあ逆に、こういう場は好き?」
「うーん。嫌い、じゃないわ」
少し考えてしまった。半分本心の、半分嘘の言葉。
これまでずっと独りだったのが全く寂しくなかったかと言われればそうじゃない。まだ2日しか経っていないけど、ここの全てが好きになれるかと言われればそうじゃない。そんな思いだった。
「でも、どうしていきなり?」
「んー、ファイちゃんはねぇ、多分すっごい真面目な子なのかなーって気がしたの」
突然真剣そうな雰囲気になるハルさんに、内容も相まって面食らう。
「アタシが? なんでそんないきなり――」
「他に誰かいると、すごく気を遣うのがね。私をよく見てて、してほしいと思ったことに素早く気が付いてくれる。ファイちゃんは、真面目で優しい子だなって」
――ファイは優しいから、良くも悪くも色々なものが見えるのね。
「っ!」
昔、親に言われたことを思い出してしまう。
我に返ってハルさんを見る。その時の彼女の目は、酔っているように見えなかった。
アタシがカフィノムの日々の全てが好きになれるかはわからない理由。実はそれが根幹だ。
「当たってるでしょ? だからファイちゃん、おねーさんからのアドバイス」
「アドバイス?」
「そう、ここで長く楽しくやるためのね」
そして、ハルさんが近づいてきて、アタシの耳元で囁いた。
「ファイちゃん。真面目は良いことだけど、自分を楽にできるところはしてあげて?」
――でも、それってすごく疲れるの。だからファイ。見なくてもいいことは見なくていいのよ。
「せっかくここで働いて、私達と過ごすんだから、折角なら楽しくやりましょ? ね?」
「は、ハルさん……」
思わず彼女を、お母さんを見るような目で見ていたかもしれない。それくらい、アタシには結構響いた言葉だった。
「……でもね、ハルさん。その言葉、アタシの胸を掴みながら言う?」
ハルさんがアタシの肩に回した手で、そのままアタシの胸をぎゅうぎゅうと掴んでいた。
結構痛い。掴むにしても容赦がなかった。
「え?」
「え? じゃないわよ! なに当たり前のように触ってるのよ。夜の酒場じゃないのよここ! サカらないでもらえる!?」
「あ、ファイちゃんうまーい」
「シキさんも! 感心してないで助けてよ!?」
ゼールマンさんの前でアタシに向けて拍手するシキさんにツッコむ。直後、アタシの胸を掴む手が離れたと思ったら、バダンと大きな音が隣からした。
「ハルさん? どうしたの!?」
「…………ぐぅ」
ハルさんがカウンターに突っ伏して寝息を立てていた。
一瞬でも彼女の身体に何かあったのかと思ったアタシが間抜けか?
……アタシの良くない部分は、そういう風に気を遣いすぎる所かもしれない。
「あー、コーヒーが回ったねぇ。ファイちゃん、お疲れ様」
苛立ちと同時に、顔がひきつってしまう。本当に寝てるんだ……コーヒーで酔うって、相当奇特な人だなぁ。
「ってことでね、ハルさんはコーヒーで酔うんだー。絡むし、泣くし、不意に真に迫ること言うし、結局寝るしで、そんな感じだからよろしくねー」
「いやそれ接客前に言うことじゃない!?」
「あれ、そうかなぁ?」
あっけらかんと笑うシキさん。この人もこの人で天然だから掴みどころがない。
こうして、アタシの貞操に小さなキズがついた初日が終わった。
明日もこんな感じなのかな……思ったよりも、大変な仕事かもしれない。
だけど、それでも。ここはアタシにとって何か大事なものを得られる場所になるかもしれない。
また漠然と、そう感じた。
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