【カフィノム日誌】
アタシの新たなカフィノム生活は、アタシが淹れるコーヒーことファイブレの注文から始まった。出来は相変わらずだったけど、修行するしかない。
そんな時、エスティアちゃんがボロボロの服のまま来店した。どういうこと?
状況が見えなくて混乱するアタシ達の前で、エスティアちゃんは平然といつもの席につく。
白いドレス調の服は焼け焦げ、中の灰色の肌着があちこちに少し見える。スカート部分のフリルも焦げた跡があって、ツインテールの髪の両端を止める白いリボンもボロボロだ。綺麗な水色の髪も砂や泥がついている。どう考えても、普通の状態じゃない。
シキさんも、「今までこんなことなかったのに」と困惑していた。一体何が……?
「お待たせしました。クッキーです」
「どうも。こういう時には甘いモノよね」
彼女の注文通り、クッキーを持っていく。今更だけど、ゼールマンさんが材料を持ってきて、シキさんが早朝に焼いているらしい。少し甘いのがアタシもお気に入りだ。
「ねぇ、やけに落ち着いてるところ悪いんだけど、大丈夫なの?」
「平気って言ったでしょ。ちょっとヤラれただけよ」
「ヤラれた……って、町で何かあったの?」
「にっぶいわねファイ。黒騎士に決まってるじゃない」
『えっ!?』
一同、騒然とした。そんな中、ゼールマンさんが平然とシキブレのおかわりを2杯頼んでいたのは流しておく。
「ちょっ、ちょちょちょっ! エスティアちゃん、黒騎士に挑んだの!?」
「1年ごしで、2回目だけどね。まぁ、この通り負けたけど」
「待って待って、そんな言葉軽く言えちゃうのそれ!?」
「町で鍛錬してたし、前よりは戦えると思ったもん。それに。どうせ見逃してもらえるって思ってたし」
「いや、いやいや。よく無事だったわね?」
「配下……いや、仲間に治癒が得意な奴がいるのよ。傷はなんともないわ」
「にしても1回着替えて来てよ!?」
「町に戻るの面倒じゃない。丁度こっちまで来たんだから、寄るでしょ普通」
思わず椅子ごと距離を取ってヒいてしまう。壮絶な戦いの後で当たり前のことのように言わないで欲しい。心臓に悪い。
エスティアちゃんの図々しさと言うか、我が道を行く感じはなんとなくわかっていたけどここまでとは。
「もしかして、来る頻度が少ないのって、町で修行してたから?」
「流石、察しが良いわね。城下町の家を買って、仲間と一緒に住んでる。そこで毎日特訓してるわ」
クッキーをかじりながら、ふふんと鼻を鳴らすエスティアちゃん。
なるほど、3日に1度しか来ないのはそういうことだったんだ。
それに、ずっと喫茶店から出てないけど、黒騎士は相変わらずあそこで佇んでいるのか。
アイツはエスティアちゃんを退け、今日も門番として寄ってくる外敵を一蹴しているんだろう。
「はぁ、ホンット悔しいわ。最初に負けてから特訓を怠ったことなかったのに。強くなったと思ったのに」
嘆息して、彼女はさっきより強めにクッキーをかじっていた。
でも、どうしてだろう? 気になることができた。
シキさんに聞かれるのはあんまり快くないだろうから、アタシはそれを小声で問う。
「カフィノムでシキさんに抜け道を通してもらいたいからここに来てるんじゃないの? どうしてまだ黒騎士に挑もうとするのよ?」
あくまで合理的な話をした。
常連、特にヒラユキ君とエスティアちゃんはそういう理由でここに訪れているはずだ。
彼の方はとっくに黒騎士を諦めて、こっちに貢献していずれはと思っているから納得できる。
どっちかに振る方が楽なはず。カフィノムの方がそれが格段に可能性があるのも明白。
でも、彼女はどっちも諦めていない様子だ。
「……できないって言われたことを、やってのけてやりたいのよ。そのために見えている選択肢は全部試す。それだけ」
誰とも目を合わせないまま、エスティアちゃんはそう言った。
それからもう一度嘆息して、アタシを横目に彼女は続ける。
「あんまり自分のこと言いたくないんだけど、話進まないし、いいわ。エスは西部出身。そこ、金持ちが多いところってのは知ってる?」
「う、うん。軽くだけど」
「エスはそこの上流階級、レイウェル家で育った。そこでのエスは惨めだったわ」
「惨め?」
「なんでもかんでも親に強制されてね。エスにはなにもなかった」
上流階級、貴族ではよく聞く話だ。後継を育てるために、厳しい環境におかれているのはなんとなくわかる。
「でも、18になって色々自分のことを考えた時、今までの束縛にキレながら飛び出すように旅人になったのよ」
「家出?」
「平たく言えば。その時、両親に言われたわ。『じゃじゃ馬娘め。お前には何も成し遂げられない』って」
「えぇ……捨て台詞みたいね」
「実際、そんな感じよ。あれこれ言われたわ。ツンケンしたお前が独りで生きていけるはずがないとか、旅人になったところで何もできないとか、果てには頓挫したところで男とも結ばれないとか」
「それを、見返したいってこと?」
聞くと、「まぁね」と言って、彼女は水を注文した。
思ったより込み入った事情だったことに少し委縮しながら、アタシは水を出す。
「ま、もう家のことなんてどうでもいいんだけど。ただ言われっぱなしが死ぬほど癪なの。それで侍女と一緒に家を出て、ここまで来た。でも黒騎士に負けて、ここにいる。そういうこと」
「そ、そっか……エスティアちゃん、決断力あるわね」
「それができても、結果が伴わないと意味ないわ。はぁ、本当に悔しい」
歯ぎしりの後、ごくっ! と一気に彼女は水を飲む。
エスティアちゃん、そんな経緯でここにいるんだ……良い機会に聞けて良かった。
できないって言われたことをやってのけたい、か。
だから、彼女は全部を諦めないんだ。アタシとは違う……。
無茶だと思ったけど、彼女は自分の意思をちゃんと持っていてすごいと思った。
――カランコロンカラーン。
エスティアちゃんの事情を聞けたその時、入店の鐘が鳴る。
見ると、ヒラユキ君だった。今日は全員集合だ。
「よっす。シキ嬢、カフィノムの周りは異常なしだぜ」
「わ、ありがとうヒラユキ君。いつも助かるよ」
「さって、シキブレ頼んでもいいか? おっ、ハル嬢は酔ってないのか?」
「さっき悪酔いしそうになったから、今日はもういいのよ」
「悪酔い? 珍しいな。深く聞かない方がいいか?」
「そうね。まだお聞かせできないわ。でも大丈夫よ」
はい、アタシのせいだからです。
ファイブレの話、ヒラユキ君にしたらすごい茶化されそうだから配慮してくれたのか。
ハルさんに心の中でお礼を言った。
彼がメニューを見ないで注文する人で良かったと心底思う。
「って、それよりエス嬢! ボロボロじゃねぇか、大丈夫か!?」
エスティアちゃんを見たヒラユキ君が、いつもの飄々とした雰囲気から不意に真面目そうな顔つきで彼女を気遣っていた。
「人たらしには関係ないでしょ。ごちそうさま。シキさん、美味しいクッキーだったわ」
すっと立ち上がって、ヒラユキ君の心配を歯牙にもかけない様子でさっさと出て行ってしまった。真面目に聞いていたはずなのに、相変わらず、この2人はどうにも険悪だ。
「あ、おい! ったく、ここじゃつれないわ無茶してるっぽいわで困ったもんだな」
「ヒラユキ君、エスティアちゃんのこと何か知ってるの?」
その口ぶりは、ただの仲悪い間柄じゃない雰囲気だったから、つい聞いた。
「まぁな。聞いたと思うが、アイツの特訓に結構付き合ってるんだぜ、オレ?」
『えっ!?』
一同、また騒然とした。涼しい顔でまたシキブレのおかわりを頼んでいたゼールマンさんには逆に変な笑いが出た。
シキブレの出来上がりを待つ間、彼はエスティアちゃんのことを少し教えてくれるそうだ。
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