【カフィノム日誌】
アタシはアタシの目的をついに話した。それでもシキさんは、アタシをよく見ていて、受け入れてくれて、アタシを認めてくれた。その重みをアタシが受け止めきれない中、彼女は『ひとつ、わがままを言いたい』らしい。
アタシの吐露は、すべてシキさんに受け入れてもらえた。ここにいてもいいんだと、思えた。
こんなに暖かいところ、今まで生きてきた中で初めてだ。
それに比べて、アタシはとても低俗で、卑しくて。環境がそうだったにしても、自分のためにしか生きてこなかった。
だけど、それでいいとシキさんは言う。それでも愚直に頑張っている姿が好きとまで言ってくれた。
彼女や、自分に、もうウソはつかない。
そう決めた時、シキさんはアタシに一言告げようとしていた。
「わがまま、って。シキさん?」
自分でも涙をぬぐいながら、聞く。
こういうことで、彼女から話してくるのは珍しい。部屋での会話は、いつもアタシから振っていたから。
それに、わがまま。シキさんがそんなこと言うのも珍しい。
聞かれない限り、常に自分の事を話したがらない人だ。そんな彼女がアタシに、本人曰くわがままを言おうとしている。
……いや。考える前に、ちゃんと聞こう。シキさんの目をしっかり見て、堂々と。
少し前まで、ただの他人だったアタシにここまでしてくれた彼女に、それで何か報いることができるなら、と思った。
「私のわがまま、それはね――」
アタシの肩から手を離し、今度はアタシの手を両手で握って、彼女は続ける。
「ファイちゃんに、もう少しここで……ゆっくりしてほしいな、って」
少しだけ悲しそうな顔をして、シキさんは言った。
それを聞いて、アタシは思わず黙ってしまう。奇しくも、さっきと逆の構図だ。
絶対アタシの方がアホっぽいと思うけど。現に、口をぽかんと開けて言葉を失ってしまった。
しばらく、その言葉を吟味する。
でも、明確な意図やシキさんの思いが、よくわからなかった。
「ど、どういうこと?」
だから野暮は承知で、ストレートに聞いてしまった。
ゆっくりしてほしい。どうしてそんな言葉なのかが、わからない。どうしてそれが「わがまま」になるのかが、わからない。
「あっ、ごめんね。言葉足りなかったね。んっと……ね」
あごに手を当てて、「んー」と言いながらも、シキさんは補足した。
「まず、ファイちゃんが倉庫を片付けて、その『抜け道』へ行く話。自由にしていいよってことが前提のお話ね」
「えっ!?」
「それでファイちゃんに成し遂げられるものがあるなら、私は止めないよ。それはファイちゃんの人生だから」
微笑むシキさん。その顔は曇りのない顔だった。
アタシのエゴを後押ししてくれる……夢で見た、シキさんの言葉通りだ。
……それなのに、アタシとしては、それでいいのかな? と思ってしまっている。また違うのは、彼女にひとつの『わがまま』があること。
「倉庫の整理や、コーヒーの勉強。それをゆっくりやってほしいの。それが、私のわがまま」
「それは、アタシが毎日色々やりすぎて、また倒れられるから?」
「うぅん。それもあるけど、そういう目先のことじゃないよ」
とはいえ、ぶっ倒れるのは迷惑極まりないことに違いない。そこは猛省だ。
快復したら、やることを絞って動く。それはそう決めた。
でも、「ゆっくりして」の意図はそうじゃないらしい。
シキさんの意図がわからない、アタシが鈍感なのか?
もやもやして唸っていると、彼女は少し俯きながら続ける。
「その、ね? 私、今がこれまでで一番楽しいんだ」
「楽し……い?」
「うん。ファイちゃんが来て、一緒に働いてくれてから、なんだか色々変わったんだ。私も、常連のみんなも」
ハルさんの時も、似たようなことを言った気がする。
カフィノムに新しい刺激が……云々って。
アタシがいることで、シキさんやカフィノムのみんなが楽しい?
考えたことなかった。自分しか見てなかった、これを仕事としか考えてなかった証拠だ。
「ファイちゃんは、多分自分でいっぱいいっぱいだったと思うんだ。それはそうだよ。来てから数十日だもん。今、やっと慣れてきてくれたかなって。でもね――」
アタシの内心はすでに見抜かれていたらしい。
だけど、それは当然だと彼女は言う。
「――でもね、私から見たカフィノム。6年目になるけど、こんなに明るい場所になったの……初めてかもって」
「明るいって、雰囲気が?」
「うん。ファイちゃんのおかげでね」
「アタシの、おかげ? そんなくらいのことで?」
それで変わったなんて、思えなかった。
アタシはアタシのためにしか動いてなかったから、自分がそんな影響になっているとはとても思えない。それでもシキさんは、変わったと言う。
「だって、常連さんはいても、一緒に働いてくれる人なんていなかったから。私ね……ふふっ、あのね? 私、すごい単純なこと言うよ?」
くすくす笑いながら、シキさんはその言葉をアタシに告げた。
「嬉しんだ。楽しいんだ。ファイちゃんと一緒にいられて」
「っ!?」
「常連さんとは全然違う思いが、ファイちゃんにあるの。頑張ってるファイちゃん、悩むファイちゃん、それにごめんねだけど、さっきの泣いちゃったファイちゃん。酸いも甘いも、楽しく、尊く思えているの」
「アタシが……シキさんといて? そんな、ちょっと前までただの他人だったのに」
つい、そんな自嘲、皮肉を言ってしまう。
元来の生き方からか、アタシはそういうことには疑り深くなっていた。
アテにされ続けた人生だったから、好意を向けられると、どうにも変な気分になる。
だからアタシは、無意識にシキさんのその気持ちから目を逸らしていた。今もそうだ。半信半疑だ。
「だけど、『それでも』。そんなファイちゃんの全部が、なんて言うのかな……好きなんだ」
「アタシが……好き?」
「うん。できたことなかったけど、妹みたいで。毎日が、すごく楽しいの。だから。だからね――」
そして、シキさんは『わがまま』の核心を言った。
「いつかファイちゃんが先に行っちゃうにしても、それをゆっくりやってほしいなって。この日々を、少しでも長く続けたいの。だから、『わがまま』」
力なさそうに笑って、シキさんは言い切る。
……そういうことか。
「ご、ごめんね! びっくりしちゃうよね。同性なのに好きなんて言われて」
「あ、いや……その……」
「でも、本当なんだ。ファイちゃんと一緒に働けて、カフィノムでの日々を過ごせて、すっごく楽しいの。今がずっと続けばいいのにって」
そう言って、彼女は締めた。
「す、すぐに答えなんて出さなくて大丈夫だよ。それに仕事だから、嫌なら嫌でいいんだ。それなら、少ない日々を噛みしめて、ファイちゃんを笑って見送るから」
口早に言い切って、彼女はベッドから立つ。
そ、掃除してくるね! なんて言って、あせあせと部屋を出てしまった。
ぽつんと残されたアタシは、ぼぅっと天井を見ていた。
「シキさんが、アタシのこと……」
もちろん、恋愛的な好きとはきっと違う。
ハルさんがアタシに向ける好意とも違う。
「一緒にいすぎて、気づけなかったな」
向けられた突然の好意の言葉に、どう考えていいかわからなかった。
答え、か。アタシがこの先どうしたいのか、何を成し遂げたいのか、シキさんにどう応えればいいのか。
わからなくなってきた。だから今この時で、改めて考えなくちゃいけない瞬間なのかもしれない。
そう思いながら、アタシは頭を整理するために、横になった。
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