【カフィノム日誌】
夜中、少しの間だけ人間の姿になれたノワに、色々なことを教えられた。おかげアタシのすべきことが見えたかもしれない。
まず、シキさんにもう一度言うべきことが決まった。
早朝。シキさんはもう起きてお店の方へ向かっていた。
アタシはベッドから身を起こして、どこへ行くでもなくそのままの体勢で考える。
「答えないことが、正解か」
ノワの話を完全に理解できたかと言われれば、実はそうじゃない。
アタシが今まで経験してこなかった問いだったから、まだちょっとだけもやもやしている。これでいいのかな? と。
「蒸らすこと、ハザマの存在……」
ノワの言葉を繰り返してみる。つまり、シキさんの「答えをすぐ出さなくていい」の通りにする。
簡単なことに思えるけど、なんだか難しいような気がした。
平たく言えば、今までの自分より手を抜くことになるから。
アタシは傍から見るとバカ真面目な奴で、手を抜くことをよしとしない性分だからだ。
それでも。意識を変えないとならない。
シキさんにそれを伝えるのは、そんなアタシの一歩目だ。
「ファイ。蒸らさないと、おいしいコーヒーにはできないのよ」
自分に言い聞かせ、意を決して頬をパシンと叩く。
義務にすればやろうと思えた。残念ながら、アタシはそういう人間だ。
今一度、シキさんに思いの丈をちゃんと話す。
肩の魔法陣を撫でて決意して、ノワにもその意志を伝えた……つもり。
堂々と言おう。それで、なにかが見えてくるはず。
勢いよく立ち上がって、着替えてからアタシも部屋を出た。
――――――。
「あ、ファイちゃん」
「おはようシキさん。元気……ないよね、うん」
彼女は少し浮かない顔をしていた。それもそうだ。昨日の今日だから、いきなり元通りとはいかない。
それでも熟睡はしていたみたいだけど、それとこれと話は違う。
「で、でもねシキさん! ひとつ、聞いてほしいの!」
「な、なにかな……?」
少しどもっている。シキさんに複雑な思いを持たせてしまったことに申し訳なく思った。
だけど、アタシの答えを、ここで出さないと。
「アタシ、やること決めたんだ」
「やること?」
「うん。アタシ自身を、蒸らそうかなって」
あっ。つい、そのまま言ってしまった。
この子なに言ってるんだろう、そんな怪訝そうな顔をされてしまう。
あぁもう。自分の人間関係のことになると頭悪くなるのかアタシは。
「えーと、その、ね? そう! アタシ、シキさんが言ったようにするって決めたわ!」
「わ、私が……?」
あ、あれ? 全然伝わってなさそうだ。
いや、アタシもアタシでハッキリ言わなすぎてる。
堂々としてなさいって言ったでしょアタシ……ここが正念場なんだから!
「あ、あーゴメン。あのね、シキさん。シキさんあのね?」
「う、うん。なに、ファイちゃん?」
ひとつ、深呼吸する。
そして、一番大事なことをちゃんと伝えた。
「アタシ、まだ行かないから!」
まず、結論から。でもこれだけだと、ただの図々しい奴だ。
続けざまに、アタシはシキさんをしっかり見て言う。
「先に早く進むか、ここに居続けるか。その答えを出すのを、一旦やめる。シキさんが言ったように、ゆっくり考えたい」
言うと、彼女があからさまに顔を明るくした。ある程度は伝わったのかな?
「そ、それにアタシね! あのまっずいコーヒーのままで先に行きたくないなぁって思って……だから、だからその――」
「ファイちゃん……っ」
言葉を遮って、シキさんが駆け寄ってアタシを抱きしめてきた。
いきなりすぎたのと、小恥ずかしかったのとで、言おうとしていたことが飛んだ。
「ちょっ! し、シキさん!?」
「うん……うん。いたいだけ、いていいからね」
「……ゴメン。またアタシ、自分のことばっかりで、シキさんのこと、考えてなくて……」
「うぅん、それが普通だよ。そんなこと気にしなくていいんだよ」
「だから、この先もいっぱいいっぱい、迷惑……かけちゃうかもしれない。けど、答えをすぐ出すことができないから、今はそのままでいたいの」
「蒸らす、ってそういうことだったんだね」
「おいしいコーヒーって、なにかなって思ってさ……はは」
ノワのことはちょっと伏せておこう。でも、彼女のおかげなのは間違いないから、後で強めの魔力でご飯をお渡ししたい。
「ありがとうね、ファイちゃん。決めないことを、決めてくれて」
お礼なんて、言われる立場じゃないのに。
策士は人の内面に寄り添ってこそ発揮される存在。
だけど、アタシは自分のことになると、そこから目を逸していた。
アタシをアタシとして見てくれたシキさんに、カフィノムに、向き合おうとしてなかった。
自分に好意を向けられると、どうしていいかわからない。
素直になるのは、思っていたよりも難しいと知った。
彼女と向き合って、本当の意味で少し甘えようと思った。
やっとわかった、アタシの足りないもの。
「アタシやシキさんが納得できる答えを出せるまで、保留にさせて。その間、アタシのできることをできる限りやるから」
「うん。無理なく一緒に働いてくれたら、嬉しいな」
ひたすらに頭を撫でてくれるシキさん。心地良いけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
蒸らしすぎることでダメになることも否めない。それに、時間が経ちすぎるとまた離れ難くなるかもしれない。
それでも、アタシはその選択をする。不合理なのは承知の上だ。
あえて進まないことを、今は選ぶ。
うじうじ悩むより、後で時間をかけて考えよう。アタシはもう焦らない。
なんでもやろうとして、なにもできなかった自分とは決別だ。
「ゆっくりしてってね。ここは、そういう場所だから」
「……ありがとう。また、頑張るから」
「うん。それも、ゆっくりね。本当においしいコーヒーって、古くなって豆がダメになる直前まで、おいしいから」
「そ、それはわかんないけど……うん。ありがとう」
ちょっとわからない例えが飛んできた。久々に変な発言を聞けたかもしれない。
結局、お礼しか言えなかったけど、今度こそ腹の底からのお礼。
アタシを理解してくれて、好意を向けてくれたことへの感謝だ。
「ね、ファイちゃん」
「なに?」
「私ね、やっぱり寂しかったんだよ」
少しだけ悲しそうな顔になって、シキさんは続ける。
「だから、ファイちゃんが毎日一緒にいてくれるだけで、すっごく嬉しいんだ」
その言葉が、シキさんのすべてだと思えるくらいの。涙声だった。
言われてみれば、そうだ。
ゼールマンさんの言葉から始まったカフィノム。常連さんこそいれど、終わってしまえば彼女だけ。
本来は、廃墟同然の場所。旅人の最終到達点であるここは、余程でない限り見つけられないし、来る人もすごく少ない。
シキさんは、これまで本当に『独り』だったんだ。
そんな中、アタシでいいのかな? なんて思いもある。
だけど、それでも。
アタシがいることでシキさんの何かに、助けになるのなら。
文字通り、ゆっくりしていこうと思った。
自分のためだけに進み続けるのは、一旦やめだ。
誰かのために、立ち止まってみよう。
それがいつしか、アタシの何かにもなるかもしれない。
「だから、改めてよろしくね。ファイちゃん」
「シキさん! こちらこそ、改めてよろしく!」
糸目からやっぱり変わらないシキさんと、握手を交わす。
その手は、いつもより暖かく感じた。
――――カランコロンカラーン!
そんなアタシの決意、再スタートと共に、鐘が高らかに鳴り響いた。
……今日はお休みだから、ゼールマンさんかな? 早く出迎えに行こう!
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