【カフィノム日誌】
ノワとの距離が縮んで、関係性に前進があった。
コーヒーの勉強、倉庫の整理、カフィノムの勤務。どれにも慣れてきて、日々の変わらないルーティンみたいなものを構築できたはずだったんだけど……
カフィノムの地下、倉庫の真ん中にいた。
夢か、現実かハッキリしない。
だけど、夢かなと思った。アタシの目線でアタシが見えるから。
それに倉庫整理の進捗を把握しているからだ。この倉庫は、抜け道への扉までの道だけは、一本道で確保されている。
現実で、そこまで片付けられているはずがない。こんな『完成形』には程遠い。
夢とわかって見る夢を不思議に思いながら、アタシが倉庫から抜け道の方へと黙って進んでいた。
「ファイちゃん、待って」
誰かがはしごからやってきた。シキさんだ。彼女が肩で息をしている姿を初めて見た。
それでも大きい声も出さないし、糸目なんだ……とブレない彼女に驚いた。
あ、でも開眼したシキさんを知らないまま見る夢だから、それもそうか。客観的に見てるから、アタシの頭は冷静だった。
「こんな夜中に、どこへ行くの?」
「……ゴメン。言ってなかったよね」
抜け道の方を指さす夢の中のアタシ。そこからシキさんに、ここに来た本当の理由を話していた。
働いたのも抜け道目的だったこと。アタシの証明のために魔王を倒したいこと。
言ってしまうことが一番怖いと思っていたそれを、このタイミングで吐露した。
「だから、アタシはこの先に行きたかったの。いくら謝ったって、何にもならない、よね?」
「……そっか、そうだったんだね」
しゅんとするシキさん。
結局、シキさんもカフィノムも利用した形になった。現に今もそういう話で進んでいる。
これは、アタシの思い描く将来の映像、その結末なのかもしれない。
このあと、シキさんからどんな恨み言が飛んできてもいいと思った。
それが普通だ。それだけのことを内緒にしていたから。
お店に危害を加えないだけマシなのかもしれない。けどアタシは、昔そうされたからって、人にウソをついて、依存して、利用して、傷つけている。
誰がどう見ても、アタシは自分本位でしかないどうしようもないヤツだ。
でも、それでしか自分を見つけられないくらい、アタシは自分が見えていない。
「それでも、ファイちゃんがしたいようにすればいいと思う」
『っ!?』
夢のアタシとそれを見ているアタシが、同時にハッとした。
彼女はただ微笑んで、アタシにそう言ったから。
『それでも』。理由は知らないけど、シキさんの好きな言葉らしい。
――きっとこれは、アタシの願望でしかない。
いざ真実を言った時、そんなやり取りになればなんて。
痩せた考えだ。シキさんの微笑みで、ひたすら胸がチクチクと痛かった。
「どんなファイちゃんでも、私は好きだよ。ここまですごく頑張ってきたファイちゃんが好き」
やめて、シキさん。
それは、アタシがそうやって言われたいだけ。
どれだけ取り繕うと、アタシはアタシと認めてほしいだけのちっぼけな人間だ。
「だから、ファイちゃんがどんな選択をしても、私はその背中を押す。自分で自分の道、進んでね」
――どんなファイちゃんも、私は好きだから。
その言葉をもう一度言って、シキさんはアタシに手を振っていた。
表情が見えない。元々わかりづらい人だけど、その姿は……すごく悲しそうだった。
あぁ……ダメ……ダメ、ダメ、ダメ……っ! そんなのダメ!
どうしてそんな言葉が脳裏を駆け巡るのか、わからない。
目的は確かに果たされる。それが当初の計画通りのものだ。
でも、なんでか、どうしてか。咄嗟に思った。
こんな結末には、したくない。
だから、アタシと夢の中のアタシは、背を向けたシキさんへ手を伸ばした。
――――――。
「シ……キさん!」
目が開くと、天井に手を伸ばしていた。
やっぱり夢だったみたい。悲しい夢だった。アタシにとっては卑しい夢かもしれないけど。
「あっ。おはよう、ファイちゃん」
シキさんがアタシの顔を覗き込んで、「良かった!」みたいに顔を明るくしている。
よく見ると、アタシはベッドで彼女に膝枕されていた。
「……えっ!? あっ、シキさん! えっと、あの!」
慌てて起き上がっては、ベッドの上で正座で彼女に向き直る。
正直、何から言えばいいか、どうすればいいかもわからない。
寝起きで混乱していると言えば聞こえはいいけど、状況を振り返ればこうだ。
アタシはいわゆる過労でぶっ倒れた。自分の限界を理解せず、周りのことばかり考え、自分を疎かにしていた。
ハルさんの言ったことが、文字通りの現実になっている。あの人の言うことはもっとちゃんと受けとめようと思った。
「あの……シキさん。えぇと――」
ここでいきなり、ゴメンと言うのもおかしい。
なにについて謝るの? と自問したくなるから。
アタシがそれだけシキさんに隠していることは大きいし、これまでの自分がしてきた失態、失策がある。
そう思っていても、賢かったはずのアタシは、本当に無神経で――
「し、シキさん。ね、怒ってる……?」
人の考え、気持ちに良くも悪くも寄り添う策士。戦術剣士って経歴もへったくれもない一言だった。
答えは、想像に容易い。決まってるようなものだ。
「えっ? 怒ってるよ。やっぱりわかる?」
糸目のまま微笑みながら、少し眉を寄せるシキさん。あの、酷い出来のファイブレを飲んだ時の顔だ。
やっぱりだ。ベッドの隅で虫みたいに小さく縮こまる勢いで、アタシは黙って萎縮した。
当然の回答だったけど、シキさんがこうもハッキリ言うから余計に怖い。
それから、彼女は眉を寄せたまま、口をとがらせて言った。
「もう、聞いてファイちゃん。さっき、お店閉める前に自分で自分のシキブレ淹れたんだけど、途中で豆が切れちゃったんだよ」
……あれ?
「それで、なんで私ってそういう管理甘いかなーって。急いでゼールマンさんに頼んで、明日調達してもらうことになったんだー」
「し、シキさん?」
「うん。私が怒ってるのは、それだけだよ」
それ以上何も言わなくていい。そんな微笑みを向けられた。
それから、「そういえば」と言って、彼女は続ける。
「というより、ごめんなさいは私。ファイちゃん、すごく頑張ってたから止めるのも悪いと思ってたの」
「シキさん、それは違うわ! アタシ……なんでも自分でやろうとして、結局なんにもできなかった! シキさんやみんなにも迷惑かけちゃった!」
顔を伏せてながらも声を張る。自己嫌悪が口から吐しゃ物のように吐き出されていく。
それに、立て続けにカフィノムの備品を壊してしまった。
最近のアタシの立ち回りは下の下。酷いものだ。
なんでもやろうとして、全部失敗してる。ひとりよがりの行為でしかない。
「ファイちゃん。それでも貴女はすごく真面目で、どんなことにも誠実。そういうところが、私は好き」
「好き嫌いの話で、片付けられるミスじゃ……ないわ」
「誰にでもあるよ、そういうの。だから、大丈夫だよ」
そして、シキさんは立ち上がって、また微笑んで、アタシに言った。
「私は、ファイちゃんの目が覚めて良かった。ただ、それだけ」
「シキ……さん……」
アタシが倒れて、大変だったはずなのに。
目が覚めるまでずっと寄り添ってくれて、疲れてるはずなのに。
ここでもアタシはダメダメで、きっとなんの役にも立てていないのに。
シキさんは、それでも『変わらない』態度でアタシと接してくれる。
「…………っ」
「ファイちゃん? えっ……ファイちゃん!?」
ぽろぽろ、と涙がこぼれていた。
泣きたくて流す涙じゃない。目から自然に溢れて、頬を伝って、ベッドに落ちていく。
ダメだ。止められない。今の感情がわからない。嬉しいって安い一言では、とても片付けられない。
こんなに暖かく包み込んでくれるシキさんになんて言えばいいのかもわからない。
それなのに、アタシは彼女に隠し事をして、ウソをついている。
――覚悟を、決めよう。もうこの人には、何ひとつ隠したくない。
『変わらないといけない』のは、環境じゃない。アタシだ。
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