【カフィノム日誌】
改めてシキさんに思いの丈を伝えた。色々あるけれど、先に進むか、居座るかの答えをすぐに出さないと決めた。
決めないことを決めるって、結構勇気がいるなぁと思う。
これからが、アタシの新たな一歩だ。
休みを経て、気持ちを新たに始まったアタシのカフィノムでの生活。
最初に来るのはやっぱりハルさんで、次にゼールマンさんだ。
あとの2人は、今日は来るかな? アタシに変化はあれど、この日常は意外と変わらない。
アタシはハルさんを声色高く迎えて、席へ案内する。
座るなり、彼女はアタシをガシッと掴んで身体をぺたぺた触ってきた。
「ファイちゃん! あれから大丈夫だった!?」
あ、そうだった。
アタシ、ハルさんの目の前でコーヒーぶちまけて倒れたんだった……。
「ご、ゴメン! ちょっとバカやったわ、今は平気。ハルさんこそ、あの時火傷しなかった?」
「私のことはいいの。その様子なら大丈夫そうだけど、ダメよ具合悪い時は動いたら」
「ゴメンなさい……心配かけて」
あの時きっと、ぶちまけたコーヒーがかかって熱かったはずなのに。
それでもハルさんは、アタシのことだけを見てくれている。
申し訳ないのはもちろんだけど、純粋に嬉しかった。
アテにされてた頃は、そんな心配されたこともなかったな。
いや、過去はもう過去だ。
アタシは前を向いて、今は進まないことを選んだんだから。
うまくやろうと思うな、取繕おうと思うな。
ありのままで、アタシのやれる限りのことをカフィノムでやるんだ。
「ファイちゃんが元気なら良いのよ。注文、いいかしら?」
少しだけ笑って、アタシの頭をぽんぽんしてくれた。
それからハルさんはメニューに目を落とす。
「今日はどうしよっかな……っと。ん?」
メニューを見るハルさんが、変な声を出していた。
直後、へぇーと言いたそうなニヤつきをして、注文をする。
「それじゃあ、ファイブレをもらおうかしら?」
「えっ!? ちょっ、えっ!?」
カウンターでゼールマンさんへのコーヒーを淹れるシキさんを二度見する。彼女はうんと一度だけ頷いていた。
慌ててメニューをアタシも見る。
そこには手書きで、『ファイちゃんが一生懸命淹れるコーヒー ファイブレ! 金貨2枚』と可愛い丸文字で書いてあった。
なるほど、シキブレより安いのね。まだ未熟者だしね。
って! そうじゃない!
「シキさん!? いやいやいや! えっ、大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫。こういうのは、場数だから」
「いつの間にこんなご丁寧にメニューにまで……」
「私のんびり屋さんだけど、こういうのは早いんだー」
「どこからツッコんでいいかわかんなくなってきたわ……」
お湯をコーヒー粉に注ぎながら、シキさんはグッと親指を立てていた。
確かに泥水よりかはマシかもしれないけど、まだシキさんには程遠い。お客さんに出していいものなのかもわからない。
そんな時、ハルさんがアタシに肩を置いて続けた。
「ファイちゃん。私は決してバカにするために頼んだんじゃないのよ?」
「ハルさん? で、でもアタシ! まだうまくやれるかなんて――」
「大丈夫、怖いもの見たさよ。好きに淹れて頂戴!」
「全ッ然フォローになってないんだけど!? そこで慈愛の笑みを浮かべないで!?」
つまるところ興味本位か!
ハルさん……いや、軽口を叩き合える仲は良い方に捉えよう。これは今までアタシになかった関係性だ。
「大丈夫だよ、ハルさんなら受け入れてくれるよ。私も、応援してるから」
シキさんの言葉と同時に、ゼールマンさんもアタシを見て、うんうんと頷いていた。顔は厳格そうだけど、応援されていることだけはわかる。
するとその時。コーヒーを飲んでもいないのに、ハルさんが途端に真面目そうな顔つきになって、アタシをじっと見て言った。
「ねぇファイちゃん。言わせてもらうけど、私はマスターほどの味なんて求めちゃいないのよ」
「っ!」
「私は、メニューに書いている通り、ファイちゃんが頑張って淹れるコーヒーを飲みたいの」
その言葉に、ハッとした。
そうか。アタシはまた、『なんでもうまくやろう』と思いすぎてる。
当たり前だ。アタシはやっぱり馬鹿か?
5年間コーヒーを淹れてきたシキさんの味に到達なんて、こんな短期間にできるはずがない。
完璧の意識を捨てて、自分のできることを今精一杯やるって、こういうことだ!
昨夜のノワの言葉が、今やっと理解できた気がする。ハルさんは、この大事なことを身を持って教えてくれようとしてるんだ!
「わ、わかったわ! ハルさん、アタシ頑張るから!」
「うん、楽しみにしてるわ」
それから彼女は、シュボっとタバコに火をつけのんびりし始めた。
アタシはシキさんの隣で、今までやっていた手順通りでコーヒーを淹れた。
大丈夫、大丈夫。これが今のアタシの全力ってことを、ハルさんに見てもらう。
でも、それなりにマシな味にはなっているはず。だからそこまで大きな間違いにはならないはずだ。
―――――――。
「…………まっず」
「ですよねー! わかってましたぁーあはははははっ!」
カップを置いた瞬間、口元を歪ませて率直に言われる。もう笑うしかなかった。
とはいえ賛辞をもらえるなんて毛頭ない。むしろ、惨事だ。
「これは、悪酔いするわね。でもこれからよ、ファイちゃん」
言いながら、水をグイと一気に飲んでいたハルさん。そんなにか。頼んだのは彼女だけど、ちょっと悪いなと思った。
でも、きっとアタシに足りないのはもうひとつ。そういう『失敗経験』だ。
今までうまくやれたか取繕うことしかしてこなかった。
その意識を変えよう。アタシはもう、一昨日までのアタシじゃない。
「そ、それでハルさん! どの辺りが最高のシキブレと違った!?」
エプロンのポケットから紙切れを出して筆を取った。
反省点はすぐに振り返るべき。これについて、アタシはストイックになるべきだ。
「そうねぇ。詳しいことは知らないから所感なんだけど――」
あくまで客目線でハルさんはファイブレの感想を聞かせてくれた。
端的に、シブいらしい。泥水ではなかったとフォローは入れてくれたけど、なるほどシブいんだ……。
それについて、そうなる原因をシキさんが解説してくれた。
お湯が熱すぎたり、豆を細かく挽きすぎていたり、早く注ぎすぎたりと色々と反省点が見えてくる。
「試行錯誤して、イイ感じの淹れ方が見えるからね。頑張ろう?」
「う、うん。すっごい勉強になった……」
やらかしてわかる、色々なこと。
やっぱり、アタシに致命的に足りてないのはこういう経験だ。
カフィノムに来て、それを初めて経験して、次のアタシに繋がっていく。
ハルさんに言われたのはそりゃヘコむけど、罵倒じゃないから傷つかない。これからも頑張ろうと思った。
――――カランコロンカラーン!
アタシの新たな気付きと共に気合を入れ直すと、不意に来店の鐘が鳴る。
「あ、エスティアちゃんいらっしゃ……えっ?」
入ってきたのは、エスティアちゃんだった。
彼女を見るなり、シキさんが困惑したような声を出していた。
「エスティアちゃん、服ボロボロ……」
「えっ、本当だ!?」
「エスは平気よ。いつものクッキーをちょうだい」
身体は平気そうだけど、砂や泥だらけで、高そうな服は随所にやぶれがある。
何食わぬ顔して窓際に座っていい状態とは思えない。そこで平然と席につくって、どんな胆力よ。
と、とにかく事情を聞かないと!
ストックしてあるクッキーを用意して、アタシはエスティアちゃんの席へと持っていった。
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