異世界喫茶カフィノム

-ラスボス前店-
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【第27話】カフィノムのマスター

公開日時: 2020年9月13日(日) 07:00
文字数:2,477

【カフィノム日誌】

 ここに来て20日程度過ぎたこの日。

 アタシはまさかのシキさんポジション、コーヒーを淹れる側になった。

 難しいと思うんだけど、アタシに務まるのかな……?





 シキさんの変化宣言から翌日。

 今日は倉庫整理はナシで、早朝からアタシとシキさんはカフィノムのカウンターに立っていた。


「さって! ファイちゃん、準備いい?」


 糸目のまま、よしっ! と胸の前で拳を握って気合十分のシキさん。アタシはというと、少し手が震えるほどには緊張していた。

 今までシキさんが立っていたここに、自分がいること。単なる場所の違いなのに、見える世界が違う。カフィノムの全体がよく見える。シキさんはこんな目線でここを見ていたんだ。


「ファイちゃんはブラックコーヒーが好きだよね?」


「う、うん。サトーもミルクも入れないわ」


「その、最も普通のコーヒーなんだけど、湯加減や注ぎ方で全然違うものなんだー。お手本見せるから、一度マネしてみてね」


 そう言って、銀のポットを火にかけるシキさん。その間に、豆の入った容器のレバーを回していた。


「ミル、って言うらしいんだけど覚えなくていいよ」


 そんな名前なんだ、知らなかった。どこの言葉なのかも知らないや。


「あと、用意するのはこの三角錐型の紙とそれを入れるカップ型の容器、出したコーヒーを入れるための容器……フィルター、ドリッパー、サーバーって言うんだけど――」


 これも覚えなくていいよ、と言うシキさん。じゃあなんで言うんだろうと思いつつも、まずは聞いていた。

 どうやら、そんな名前の道具があって使うんだー程度でいいらしい。


「なんでそんな名前なのかも知らないんだけどね。さて、お湯が沸いたよ」


 さっきまでゴリゴリと音が鳴っていた豆を挽く器具。それの音とシキさんの手が軽そうになっていた。準備ができたらしい。

 湯沸かしとほぼ同時に終えていたあたり、彼女の手際の良さがわかる。


「専門的なことは私も全然知らなくて、感覚的なものだから。見ててね」


 言いながら、紙をカップ型の容器にセットし、その下にコーヒーを入れておく容器を置く。

 紙に挽いて粉状になった豆を入れて、準備が整う。


 ――そこから、シキさんの雰囲気が変わった。


「わ……」


 黙って工程を進めるシキさんは、いつものぽわぽわした状態とは全然違う。

 お湯を注いで……多分、粉を蒸らしているんだと思う、その時の顔は優しい。

 そして、もう一度お湯を注いでコーヒーを抽出する姿は、すべてが優雅で、所作がすごく美しかった。


 ゆっくりで、柔らかい動作。集中しているけど、険しい顔は一切しない。

 相手が見ているにも関わらず、落ち着いていて、気取る様子もない。

 しなやかな芯柱……そんな訳の分からない例えが、アタシには浮かんだ。


「これがカフィノムの、マスター……」


 シキさん的には『てんちょう』だけど、ハルさんがそう呼びたくなる気持ちがわかる気がした。

 ほとんど同じ意味なのに、雰囲気がそうさせる。この雰囲気にお金を払いたくなるくらいだ。


「はい。シキブレ、おまちどうさま」


 最後に容器からカップにコーヒーを注いで、出来上がり。2杯のシキブレがアタシとシキさんの前に置かれた。


「い、いただきます」


「うん。いただきます」


 またぽわっとした様子に戻って、2人でシキブレを飲む。

 やっぱり、美味しい。この味を……アタシも出さなきゃいけないんだ。

 カフィノムのみんなが、このシキブレの味に酔うのがよくわかった。ハルさんだけ意味は全然違うけど。


「これが、一連の流れ。まずはやってみよう?」


「よ、余計に緊張してきたわ」


「大丈夫。最初はみんな泥水だから」


「全然大丈夫じゃないと思うんだけどそれ……」


 どんな励まし方だろうと思いながらも、今度はアタシが着手する番になった。

 見よう見まねだ。シキさんに教えてもらいながら、まずは豆を挽こう。


 ――それから先のアタシは、あまりにも粗末で、最低だった。


 レバーを回している間、手が何度もすっぽ抜ける。

 紙をセットして粉を入れる時、手が震えて粉をこぼす。

 お湯を沸かすのを忘れて、時間を無駄にした。

 蒸らしのためのお湯が多すぎて、熱いお湯が顔に跳ねる。

 抽出の時、一気に入れすぎて紙からお湯があふれた。


 カウンターの仕事場が、ぐっちゃぐちゃだ。お洒落な雰囲気とはとてもじゃないけど程遠い。


「アタシ、こんなにドジだっけ?」


「ううん、大丈夫大丈夫。初挑戦だもん」


「で、でもこれは、流石に酷いわ……」


 自己嫌悪に陥った。こんな醜態、初めてだ。

 なんでもそつなくこなせる器量はあったはず。自分に自信はあったはず。

 だけど、自分がこんなに『できない』奴とは思わなかった。手際も手つきも、シキさんとは文字通りの雲泥の差だ。


 そうして、ようやくできたコーヒー。


「ど、どうぞ……」


「うん。シキブレならぬ、ファイブレだね」


「ファイブレ! 恐れ多い!」


 出来はお察しだから余計に恥ずかしい。越えるべく壁が、さらに高くなった気がした。

 そして、2人でそれに口をつける。


「……うわ、まっず」


 酷い味と、自分のダメさに、思わず泣きたくなった。

 言った通り、泥水の味だ。コーヒーへの冒涜にも等しい。同じ豆でこうも違うなんて……。


 むしろどうしてシキさんはあんなに美味しいんだろう。

 そう思いながら、シキさんを見る。


「…………」


 眉を深く寄せ、少し顔を青くして、口元が歪んでいた。

 そんなシキさんの表情を見たことがない。むしろ、ついに開眼しちゃうんじゃないかと思った。

 何も言わなくてもわかる。本気で酷いんだろう。


「あの、シキさん。れ、練習します」


「……や、私も最初こんなんだったから、ちょっと懐かしくって」


「最初……ね。あっ! そうだ!」


「どうしたの?」


「ねぇ、シキさんはどんな経緯でコーヒーに出会ったの?」


 最も根本の疑問だ。タイミングとしても丁度いい。この際だから、聞きたかった。

 それを聞くと、シキさんはしばらく黙る。ぼうっとカフィノムの席を見て、少し宙を眺めていた。

 そして――


「うーん、まだハルさん来ないから、そうだね。ちょっとお話しよっか」


 ぐちゃぐちゃのカウンターを片付けながら、シキさんはもう一度ポットに火をかけた。

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