「魔王」

たきかわ由里
たきかわ由里

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公開日時: 2021年3月26日(金) 20:00
文字数:5,696

 その後かおるさんの席に戻ると、かおるさんは状況を察してたみたいで……案の定爆笑してた。で、気を使ってくれて、俺を毎回5分でアユミんとこに戻す。ここにいたってドンペリ入んないわよ、って言って。ただ、3回目だけ20分引き止められた。別に俺にいて欲しいわけじゃなくて、こうすればもう一本入るんじゃない? ってニヤニヤしてた。

 かおるさんの作戦は当たって、ドンペリゴールド2本目頂きやしたー! ありがとうございやーす!! なんて叫ぶことになった。

 かおるさんとミキちゃんは、2時間きっかりで帰った。大変に正しいホスト遊びだ。ずるずる長居すればする程、折り目がつかなくなってホストにハマっちまうからな。かおるさんの指導の元なら、ミキちゃんも上手に使ってくれるだろう。

 夏方がちゃんと担当になってくれたし。これならかおるさんに苦情が行くことはない。

 で、約束通りにデラックスルームカッコワライに泊まって、サービス残業。すげぇよな、昼間に何人もやってきて、まだ俺とやりたいかよ。そんで朝マック食って、タクシーに乗っけてサヨナラ。マジで時間外手当欲しいわ。

 やりながら、俺も良く勃つもんだわって我ながら感心したけど。

 で、一日置いて午前中。かおるさんから約束通りにLINEが来た。15:00の予約が取れたって。俺は真面目なホストだから毎朝7:00に起きる。昼職の客は行ってきますってLINE入れて来るから、ちゃんとすぐに行ってらっしゃいって返事をする為だ。即レスは基本。

 昼飯食って、身支度整えて久屋へ。久屋大通駅の出口からすぐのオフィスビル7階が、ブルーム美容クリニックの受付だ。初回だからあれこれ問診書いて、案内された8階へ。ここがデンタルのフロアか。

 俺が思ってる歯医者と全然違って、ホテルのロビーみたいな待ち合いだ。白っぽくて明るい、オシャレなインテリア。きょろきょろしちまう。

「275番の患者様」

 聞き覚えのある声にはっとして顔を向けると、かおるさんが入口で澄ましてた。

 なるほど、番号票渡されたのはこういうことか。プライバシーの保護ってやつ。

「はいっ!」

 立ち上がって早足でかおるさんの元へ行くと、中へ案内してくれた。

 中もシンプルな白の内装。ところどころに花が飾ってある。かおるさんについて行くと、個室の扉を開けてくれた。

「どうぞこちらへ」

 案内されるまま入る。確かに、歯医者だ。ライトとか機械とかがくっついたリクライニングシートが鎮座している。

 あんま、歯医者好きじゃないんだよなぁ……ってことを、今思い出した。かおるさんに釣られちゃったけど。

「荷物はそこのカゴ。置いたら座って」

 ドアを閉めたら、元のかおるさんだ。俺が座ったシートの隣の椅子に、足を組みながら腰掛ける。

 白衣ってより、エステティシャンみたいなワンピースだ。品のいい、淡いラベンダー。これも良く似合う。逆にセクシー。

「マオ、田中工介って言うの」

「そうですよ。地味っすよね」

 ほんと、コウスケのコウが工ってどんなセンスだ、親父め。俺に何になって欲しかったんだ。

「じゃ、工介って呼ぼうかしら」

「マオでいいですよ」

 1億人くらい同姓同名がいそうな本名は気に入ってないし、コウスケって呼ばれんのはあんまり気乗りしない。

「そう? じゃあ、マオ」

「はい」

「持病、服薬はないわね……」

 俺が書いた問診票を見ながら、かおるさんが確認をする。

「アレルギーもなし、と。ホワイトニング希望で良かったわね?」

「はい」

 かおるさんは頷いて、手元のバインダーを置く。

 「じゃ、とりあえず口の中見るわ」

「お願いします」

「背もたれ倒すわね」

 かおるさんが言うと、背もたれがゆっくり倒れて、頭上にあったライトが正面になる。そのスイッチが入ると、眩しい光に照らされた。

 目を閉じて口を開ける。冷たい器具が口に入ったのがわかる。

 かおるさんは暫く俺の口の中に風をかけたり、歯をつついたりしながらチェックをすると、はいOKと言って背もたれを起こした。

「偉いじゃない。虫歯もないし、治療のあともないなんて」

「ガキの頃に前歯ぶつけて抜けましたけどね」

「永久歯?」

「かも。小学生だったから」

 そう、あれは日暮れの校庭。ジャングルジムで遊んでた俺は、調子に乗って転がり落ちた。歯だけで済んだのはラッキーだ。

 更に運が良かったことに、現場の小学校は家の隣。

「速攻で家帰って、おかんに歯医者連れてってもらってくっつけてもらいました」

「運がいいのね。どれ?」

「上の真ん中」

「右? 左?」

「右っすね」

 かおるさんは俺の上唇を指でちょいとめくってじっと見る。

「壊死してる感じはないか。いくつの時」

「1年生です」

「じゃ、上手い具合に繋がったのね。レントゲン撮らせて」

「いいですよ」

 一旦部屋を出て、レントゲン室へ。撮影はすぐに済んで、部屋に戻る。

 画面に表示されたレントゲンを拡大して見て、かおるさんはうんうんと頷く。

「ペルもないわ」

「ペル?」

 何だそりゃ。専門用語か。俺が聞き返したのはスルー。かおるさんは何ぞか器具を出して来て、また椅子を倒す。

「これ、大丈夫よね」

 手元の器具の何かで、問題の歯の隣を叩く。別に何も感じない。叩かれたな、ってだけだ。

「はい」

「こっちは」

 今度は問題の歯だ。こっちも同じ。

「大丈夫です」

「じゃあこれもね?」

 更にもうひとつ隣。勿論同じだ。

「はい」

「よし。念の為こっちもやっとくわ」

 少し間があって、問題の歯に何かが当てられた。

「痛かったら、左手あげて」

 俺がちょっと頷くと、カチッと小さい音がする。

 一瞬の間の後、細い針で刺されたみたいな痛みが走った。

「いでっ」

 俺が思わず声を上げると、かおるさんはケラケラ笑う。

「全然問題ないわね、元気な歯よ」

「あ、そうすか」

 再び背もたれが起こされ、口をゆすぐように勧められる。

「何がわかったんですか?」

「その歯が生きてるかどうか。立派に生きてるわ」

「なら良かったです」

 何にせよ、生きてるってのは素晴らしいからな。

「さ、じゃあホワイトニングの説明するわね」

 かおるさんはタブレットを俺の前に差し出す。

 ホワイトニングには、オフィスとホームの2種類あることや、効果に個人差があること、ホワイトニング後の注意などなど、詳しい説明が続く。

 説明しているかおるさんは笑みを浮かべていて、でもその口調はキリッとしていてカッコいい。仕事が出来る大人の女、ってのはこういう人だよな。

「ま、ぱっと見た感じ、あんたはオフィス一回で良さそう。そこまで色暗くないしね。それで万が一気に入らなかったらもう一回やるか、ホームに変えるか」

「かおるさんのオススメでいいですよ」

「そう? なら、とりあえずオフィスね」

 オフィスってのは、ここで時間かけてやってもらうパターン。ホームは家で毎日自分でやる。それはめんどくさい。

「48時間禁煙できる?」

「します!」

 そこが一番のネックなんだよなぁ。でも、かおるさんがやってくれたと思うと頑張れる、気がする。

「飲食は……鏡月は無色だからいいか。ウーロン割りは禁止よ」

「大丈夫です。俺、ウーロン茶嫌いなんで」

 施術後48時間は、色のついたもんは禁止だ。即、色が入っちまうらしい。

 そうなったらそうなったで、またかおるさんにやってもらうけど。

「うん、それならいいわ」

「でも俺、カレー好きなんすよ」

 3日に一回はココイチなんだ。主食と言っても過言はない。

「絶対ダメよ?」

「だから、48時間ガマンしたら、一緒にカレー食いに行ってくださいよ」

「何それ、どんな誘い文句よ」

 かおるさんは可笑しそうに笑ってくれる。

「ココイチ行きましょうよ。俺、おごりますよ。何辛ですか」

「5辛」

「うえっ!? マジすか!」

 5辛はかなりだぞ。これが美魔女ってやつなのか。俺は2辛だ。

「ほんと、しょうがないわね。ココイチね。行くしかないか」

「やった!」

 両拳を握って小さく叫ぶ。よっしゃ、店外デート獲得だ。

「あのねぇ、マオ」

「はい?」

 呆れた声音でかおるさんが俺の名前を呼ぶ。返事をすると、眉と唇の両端をきゅっとあげる。

「せめて、インドカレーじゃないかしらね、デートのお誘いなら」

「……あっ」

 そっ、そうか。そうだ。ココイチなんて誰でも自分で行けるし、何ならスウェットでも行けるし、いつでも行ける。特別感なんか1ミリもない。色気もへったくれもない。

「ナンバースリーくんとも思えない口説き文句ねぇ」

「すんません……」

 やっぱ、あんまりいい気しないよなぁ、女性として。よくSNSでも巻き起こるじゃん、デートで吉牛はありかなしかとかの論争。こういうの、かなり意見が別れるから、避けた方が無難だって知ってんのに俺と言う奴は……。

「いいわよぉ」

 かおるさんはまた笑い出す。かおるさんはよく笑う。いろんな笑顔を見せてくれる。どれも、綺麗だ。

「マオはココイチなんかに誘わないでしょ。ココイチに誘ってくれたのは、工介よね?」

「あ……っ、そう! そうです!」

 良かった。営業なんかじゃないって伝わってくれたみたいだ。怪我の功名だ。

「トッピングはビーフカツでよろしくね、工介」

「何枚でも!」

「流石に1枚でいいわ。さ、じゃあ一応先生に診察してもらうわ」

 ああ、まだ途中だったな。ここを越えなきゃカレーデートはないぞ。

「お願いします!」

 かおるさんがインカムで先生を呼ぶと、年齢不詳なおっさんが来て、俺の口の中をざっと見て「はい、いいですよー」とか何とか言う。ホワイトニングが希望だということを確認されて、「はい」って返事をすると、

「じゃあ、あとは早川が担当しますね」

 と言い残して、先生は部屋を出て行った。

「さて、今日はクリーニングするわね」

「はーい!」

 俺が元気に返事をすると、背もたれが倒され、顔にタオルがかけられる。

「痛みとかしみたりとかあったら、左手上げるのよ」

「はい」

「じゃ、口開けて」

 口を開くと、すぐに口に機械が入って来てクリーニングとやらが始まる。痛くはない。

 ……お、これ、もしかしておっぱいがむぎゅっとなったりするラッキースケベが起きるパターンじゃねぇの? 昔、歯医者行った時もあったもんな。頭におっぱいがむぎゅーっと。それだけ覚えてる。かおるさん、乳デカいからこれは期待できるはず。

 ……ないな。

 ……一向にないな。

 手以外の何一つ触れないんだが。流石ベテランですね……。

 ワクワクした俺の気持ちは完璧に置いてけぼりのまま、クリーニングはアクシデントもハプニングも起きないまま平和に終了した。

 いえいえ、いいんですよ……ハプニングとかアクシデントとかトラブルなんかはないに限りますからね……ええ……。

 起こされた俺が口を濯ぐと、かおるさんがタブレットを差し出す。

「注意事項とリスク、デメリットについてはさっき話した通り。大丈夫ね? ちゃんと理解した?」

 バカだと思われてんのか、ガキだと思われてんのか、それとも両方か。

 両方なんだろうな。否定できないけど。

 頷いて返すと、タッチペンが差し出された。

「じゃ、ここにチェックとサイン」

 説明に同意しました、って一文の頭についてる四角にチェック。その下の氏名には田中工介、当然本名を書き入れる。

「OK。次の予約……」

 俺のサインを確認したかおるさんは、呟きながら予約画面を呼び出す。

「……何で田中が末松?」

 かおるさんはちらりと横目で俺を見て尋ねる。

 ホストの苗字にしては地味だよな、末松。苗字付ける場合は、もっとキラキラしててカッコいいのを付けるもんだ。夜神とか月城とか。末松はあまりにも普通だよ。

「名前は魔王のマオでそれっぽいのに、苗字は妙に本名くさいわよねぇ」

 とりあえず、本名よりは画数が多いけど。

「えーと……」

「何か由来があるんでしょ?」

「かおるさん、最初に何でマオなんだって聞きましたよね」

 かおるさんが俺を見てくれたのは、あれが最初だ。源氏名の由来を聞かれることは案外ないから、それも相まってよく覚えてる。

「ええ」

「何でですか?」

「趣味、かしらね」

「趣味?」

「息子の名前をつける時に、あたしなりにめちゃくちゃ考えたわけよ。元旦那はなーんにも考えてなかったから」

 かおるさんの視線が、サイドテーブルの時計に走る。ああ、予約時間がもう残り少ない。

「その時からかな、人の名前を聞くと、何を考えてこの名前にしたのかしらって、気になる癖がついちゃったの」

「ああ、なるほど」

「源氏名なんか余計じゃない? 自意識があって、自分で選択できる名前なんだもの。だから、ホストにはよく聞くのよ。好きな物から取ってたり、尊敬する人に付けてもらってたり。やたらと姓名判断に頼ってる子もいたわね」

 そう言われると、それを聞いて歩くのは面白そうだ。

「で? 魔王様の苗字は、何でそんな地味なの」

 マオが魔王から取ってることを考えると……不釣り合いだな。

「……何となくですよ」

「何となくで末松?」

 かおるさんは画面をタップしながら、俺に聞き直す。

「そうです」

 自分で付けておいて何だけど、自分の源氏名について改めて考えるのは嫌だ。未練がましい自分を再確認することになるから。

「LOUDNESSは4期以外。それ、樋口さんのいる時代よね」

 突然のLOUDNESS。俺はびっくりしてかおるさんの顔をじっと見る。

「合ってるでしょ? 私も好きだもの、樋口さん」

「あ、はい」

 それは嬉しいけど、今の話の流れで樋口さんの名前が出て来るなんて。いや、まさかそんな。

「もしかして、末松秀二から取ったのかしらって思ったんだけど」

 俺は思わず、かおるさんから顔を背ける。

 ……怖いな、正解だ。

 でも俺は、正解ですって口に出せない。

「……かおるさん、来週いつ来たらいいですか」

 答えられないまま、話を本筋に戻す。かおるさんは深追いすることなく、再びタブレットに目を落とした。

「火曜日でいい?」

「大丈夫です」

「15:00か……あんた早起きだったわね」

「はい」

「10:00も空いてるわよ? そっちならちょっと余裕あるから、あたしは助かるわ」

「いいですよ。10:00で」

「じゃあ、そこ入れとくわね。帰りに受付で予約票渡すからもらってって」

「カレーは金曜日でいいですか」

 俺が聞くと、かおるさんは俺の顔を見てにこっとした。

「そうね。ランチでどう?」

 

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