OL様のマリコの耳元で、なんの意味もない愛してるを囁く。
何かさ、もう俺、プライベートで「愛してる」なんて言わないような気がするわ。すっかりこの言葉の意味を見失ってる。でも、言えば女は嬉しそうだから、一応言うんだけど。
仕事は、楽しいっちゃ楽しい。ゲーム的にね。やり甲斐とかそういうのは、俺は見い出せてない。
麻琴さんなんかのレベルになると、あれはもう天性。ほんとのほんとにナンバーワンの人は、俺と仕事の次元が違うんだよ。心底から、客に楽しんで欲しいって願って、努力してる。
ああいうのが天才とか才能あるって言うんだろうな。眩し過ぎて目眩がする。
もう尊すぎて尊敬するしかないよね。あんだけの崇高なホストって何人いるんだ。疲れた顔も嫌な顔もしないし、ナンバーツーの零夜さんとの開きもデカいから、そこもバチバチしたりしない。
客だけじゃなく、キャストの中でもあの人を嫌いな奴なんかいない。
何も持ってない俺とは大違いだよ。俺は何の才能もないし、人を妬むし、努力が実ったこともない。見てた夢もぶっ壊れた。
ホストは、仕事のやり方を知ってたから舞い戻っただけだ。俺にとっちゃマックのバイトと変わらない。
数年、東京に行ってた俺が名古屋に戻って最初に連絡をしてくれたのが、マリオネットの代表の如月さんだった。如月さんは、即「戻って来い」って言ってくれた。
だから、ほいほい古巣に帰って来た。
そん時の俺は色んなことが嫌になってて、歓迎してくれるんなら因縁あるホストでもいいや、って投げやりな気持ちでさ。
本日も麻琴さんは輝いてんな。ドンペリ開いてるわ。何でもない日バンザイってか。ドンペリ開けといてシャンパンコールもいらないってレベルの客、すげぇ。
「もぉ、マオまたぼーっとしてるぅ」
「ごめんごめん、マリコ今日は更に可愛いなって考えてたわ」
「うそぉ。どこが違うかわかる?」
「リップ。こないだ買ってやったヤツだろ?」
「わかる!? 似合う?」
わかるわ。いっつもピンクベージュしかつけないマリコが、真っ赤なリップ塗ってんだから。
「当たり前じゃん。すげぇ綺麗」
笑顔で言ってやると、得意げに笑みを浮かべる。
うそだよん。めちゃくちゃ浮いてる。
シャネルの444番、ガブリエル。鮮やかな大人の赤。お前みたいなガキには無理だ。
まぁでもさ、似合う色買ったら、つけててもわかんないじゃん? だから、わざと。
こーゆー手練手管みたいなのは、如月さんから教えてもらった。マニュアル通りの営業をしてるだけなんだよな、俺は。そういうとこも、マックみたいなもん。
「マオさん、マオさんお願いしまっす!」
場内にガンガン流れるクラブミュージックに割り込む、回しをやってる光瑠《ヒカル》の声。俺が18でこの店に入った頃に、一緒に入ったヤツだ。ホストとしてはイマイチ芽が出なかったけど、真面目にきっちり仕事をするから、如月さんに金庫番として取り立ててもらってる。
「えーっ、ちょっとマオ、行っちゃうの?」
「ごめんな、多分あっちの新規だわ」
「やだぁ。断ってよ」
マリコの気持ちもわかるよ? 金積んでんだもん。でもさ、そんな頬っぺた膨らましても別に可愛くないし、エースでもない。
「ごめんって。俺もここにいたいけどさ、挨拶して来ないと、な?」
両手を合わせて、ウィンクする。
「もぉ……浮気しちゃやだよ?」
やべ、爆笑しちまうじゃん。何が浮気だよ。お前は俺の何なんだよ。あ、彼女なのか。
勘違いさせてんのは俺だけど。
「マリコより可愛い子なんかいないって。待ってて。ヘルプ、夏方《カナタ》呼ぶから」
担当の俺が席を空けてる間、繋いでくれるのがヘルプ。夏方はマリコの扱いを心得てる。マリコも夏方はちょっとお気に入りだ。
「それなら……」
「な? ほら、俺ももう一人でも二人でも引っ掛けてさ、ナンバーワンになんないと、お前と結婚出来ないだろ?」
「うん、そうだね!」
マリコは目を輝かせる。結婚したいんだってさ。俺なんかと。
するか、そんなもん。
何で「この男の夢を叶えてあげたい」とか思っちゃうのかね。俺が女だったら、俺なんか見るからに信用しないよ。
「マリコならわかってくれると思ったんだよ」
「当然でしょー?」
ほんと、笑いこらえるので必死だわ。何もわかってない。
光瑠の方へ目をやると、他のテーブルから上げた夏方がタイミングを図ってる。
「行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
語尾についてるハートマークは新婚さん気取りか。俺は立って、入れ替わりにこっちに来た夏方と手を打ち合わせてすれ違う。俺の客は大体夏方と気が合うから、俺のヘルプは夏方でほぼ固定だ。
光瑠がいるカウンターに肘をつき、目で「どのテーブルだよ」って聞いてみる。
「5番、新規。初回1000円」
そっちを見てみる。確か、一人で入って来てたな。そんな若い子じゃなかった。
照明の加減で顔はよく見えないけど、ロングヘアを綺麗に巻いてる。着てるもんもよく見えないな。でも、えらく堂々と座ってて、初めてには見えない。かなりホスト慣れしてると見た。
「オッケ」
指でOKサインを出して、5番テーブルに向かう。
女はやって来た俺を目だけで見上げる。普段から一人でホスト通いしてんのかな。全然ビビってないし、寧ろ大した興味はなさそうだ。
歳は……いくつくらいなんだ。わからん。お姉様には違いない。行って40ってとこか。美人ではある。目が大きくて、スタイルも良さそう。お姉様でも悪くない。
俺は女の前に片膝をついて、必殺スマイルで微笑みかける。
「はじめまして。御一緒させて頂いて宜しいですか?」
彼女はタバコを持つ手で、俺をスツールへと促す。
おいおい、この俺がヘルプの座るスツールに座れるかよ。
女の隣に座ってた若手が慌てて席を立つ。
「マオさん」
「サンキュ」
女はニヤリと笑った。わかっててやったな。
ジャケットの内ポケットに入れてる名刺入れから、名刺を一枚取り出して両手で差し出す。
「マオです。お姉様のお名前は」
「かおる。平仮名よ」
「可憐なお名前ですね」
本人は可憐とは無縁な、気の強そうな顔つきだけど。
「ありがと」
さり気なくテーブルを見渡すと、灰皿には既に吸殻が2本あるし、グラスの水滴がついたままだ。全く、こいつら何やってんだ。仕事しろ、仕事。テーブルマナーは最低限やれっての。ミーティングで絞ってやらなきゃな。
すぐに灰皿の上にもう一枚重ねて下げ、新しい物を置く。それから、クロスでグラスの水滴を拭う。お前らもホストなら、こんなもん失神しててもやれ。
「……マオだっけ」
それをこなす俺の手元を見ながら、かおるはそう俺に聞く。
「はい」
「何であんた、マオなの」
興味持ってくれたかな。ホストに通い慣れてんなら、テーブルマナーをこなせるかどうかってのをチェックポイントにしてたりするかもな。
「昔のあだ名ですよ」
「じゃ、本名からなの」
「いえ、本名は……」
ためて、かおるの顔を見る。やっぱ美人だわ。マリコってどんな顔だっけな。忘れるくらいには美人だ。いいじゃん。
「言いませんよ?」
笑って言うと、唇の片端を上げて頷く。
「そうよね」
「魔王って言われてたんですよ。ダサいっしょ」
「ダサいわね」
そう言いながらも、クスクス笑ってる。よし、リアクション引き出した。
ホストに復帰する時に、源氏名をマオに改名した。最初にホストやってた時の源氏名は凛だった。改名には一応、理由はある。
それに、初期の客なんか全員切ってたから、何も凛で戻る必要もなかったし。凛の頃は大して売れてない、ナンバーに入るのはバースデー月だけのホストだったから、大々的に「凛復帰!」なんてやっても客が集まるわけでもなかったしな。
かおるのグラスの中身が減ったのを見てとって、鏡月の水割りを作り足す。とりあえず、標準くらいの濃さ。でも、すげぇ呑みそうな雰囲気だな。
「うちは初めてですか」
「そうよ。ああ、でも随分前に麻琴とは会ってるわ。ここに移籍する前」
「あ、じゃあ麻琴さんの担当ですね」
初回だからフリーで来てるけど、次から麻琴さんの担当客として来店する、って感じかな。フリーじゃないならぐいぐい行かない方がいいな。それも麻琴さんの客とあっちゃ、手出しは勿論無用だし、失礼がないようにしないと。
「ううん。担当にするつもりはないわ」
「あれ? 何でですか」
「もう何年も連絡とってないもの。向こうも忘れてると思うけど?」
「かおるさんみたいな美人、忘れないですよ」
これはおべっかじゃない。掛け値なく正直な気持ちだ。こう言える客が年に何人いるか。
しかし、麻琴さんの接客を受けたことがあるのに担当にする気がないなんて、珍しいタイプだな。あの人の接客を受けたら、女は全員メロメロになるもんだと思ってた。
「言ってくれるじゃないの」
微笑む唇は、深紅だ。ガブリエルかな。やっぱこのレベルの女じゃねぇと、ガブリエルは似合わない。
着てるもんも絶妙だな。ベージュのワンピってとこはアユミと変わらんけど、カシュクールになってて、くびれたウェストが強調されてる。スカート部分はフレアのミモレ丈で、力が入ってない感じがいい。
何より、デカそうな胸の谷間が覗けそうで覗けない胸元に、嫌味なく煌めいてるブルガリのネックレスがたまんねぇ。
これ、ワンピもそれなりにいいブランドの服だろうな。靴はトリーバーチと見た。バッグは、何処のだろう。わからんくらいにスタンダードだけど、作りが良さそうだから、絶対にどっかのブランドもんだ。見るからにヴィトンです! シャネルです! じゃないとこに、逆に余裕を感じる。
担当するなら最高のタイプ。エロい美人で金持ってる。色恋すんのも楽しそうだ。年齢なんかどうでもいい。向こうだって、ここに来るからには若い男が好きなはずだ。
「男がほっとかないでしょ」
マジでいい女だと思ったから、お世辞もおだてもなし。正直にぶつかる正攻法で行こう。
「俺はほっとけないですね。この席、素通りするわけには行きません」
「ほんと、あんたたちはよく言うわよね、こんなババアに」
とか言ってるけど、笑顔だ。嬉しいってより面白がってんのかな。言われ慣れてるだろ、こんな陳腐な言葉。
「どこがババアですか」
「ババアよ。孫がいるんだから」
「孫!?」
えっ、ちょっと待ってくれ!? 孫!? こんなエロ綺麗なばあちゃんいるか?
「もうすぐ2歳よ。ね、ババアでしょ」
「いやまあ戸籍上はそうなんでしょうけど……」
必死に計算する。随分若い時に子ども産んだのか? 娘だか息子だかの子ども……孫が産まれるのも早かったのか?
有り得る、か、40で2歳の孫。
困惑する俺の顔を見て、声を立てて笑う。
「そうね、戸籍上でもね。55だもの、普通よ」
「ごじゅうご!?」
待ってくれよ? 俺のおかんがえーと、51……えええ!? 上!?
「junkoさんすか……!」
打首獄門同好会ってバンドのベーシスト、junkoさんはめちゃめちゃ可愛くて若く見えるけど、驚異の還暦だ。あれに匹敵する。
「あら、打首獄門同好会」
「知ってるんすか」
この世代の人が知ってるとは思わなかった。俺が聞き返すと頷く。
「一応ね」
「へえ」
ロックとか聴くんだな。まあでも、打首獄門同好会ならテレビなんかにも出るし、最近ネットニュースに出るくらいには有名になってるから。
「マオはどんな音楽聴くの」
「音楽すか?」
ああ、これを聞くってことは、音楽が好きなんだな。この場合の回答はこれ。
「Motley Crueっすかね」
知ってるか知らないか、のラインでのセレクト。ロックが好きなら名前くらいは聞いたことあるかも、ってとこだから、「どんなだっけ」なんて言って話が広がる。この加減を間違えてEvanessenceとかVersaillesなんて言っちゃうと、何言ってんだこいつみたいに……。
「いいじゃないの。あたし、名古屋公演は殆ど行ってるわよ」
「へ!?」
「ヴィンス、すっかりおっさんになったわよね。でも相変わらずトミー・リーは最高にカッコイイわ。POISONとかSKID ROWは? HANOI ROCKSはどう」
「えっ」
「L.A. GUNSなんかも良かったわね」
「すいませんでしたー!!」
思わず全力で頭を下げる。
テーブルに額をぶつけんばかりの謝罪に、かおるはケタケタと笑い出した。
「こないだTHE DIRT見ただけのニワカです!!」
こりゃ、正直に申し出るしかない。名前だけ何となく知ってて、こないだやっと伝記映画見ただけなんだよ。つっこんでこられたらヤバい。知ったかぶりを続けてたら、すぐに化けの皮剥がれて軽蔑されちまう。だったら、こっちから教えてくださいってお願いした方が歳下として可愛げがある。
「そりゃそうよね。それ、お嬢さん相手には有効ね」
うわ、見透かされてる。怖い。
「マジでかっけーと思ったのはほんとですよ。ライブあるなら行きたいです」
「ラストツアーが5年前ね」
「えっ」
解散してんのか? 映画のTHE DIRTは確か去年の……あ、本人は出演してないけど……。
「活動休止の契約書、去年爆破したけどね」
「は?」
いや、うん、映画でもやんちゃではちゃめちゃなヤツらだったけど、契約書爆破とか何だそりゃ。破り捨てるんじゃなくて爆破?
「マオさーん!」
マイクを通して、光瑠が俺を呼ぶ。
「あら、マオお呼びよ」
「えっ、ちょっと待って下さい、Motley Crueが気になって俺」
「あらそう」
かおるはさらりと俺の言葉を流す。
マリコんとこ戻ったって、何も面白くねぇよ。ここでかおると音楽の話がしたい。こっちの方が何倍も面白い。
「かおるさん、場内入れてください! お願いします!」
かっこわりぃ。俺が自分から場内指名してくれって懇願するなんて、情けない。ヘルプの若手がぽかんとしてる。
「やぁよ。ちょっと一杯呑みに来ただけなんだから、あたし」
うちは一杯呑み屋でなく、ホストクラブなんだけども。
「そう言わずに! 今日は場内無料ですから!」
「そうじゃないのよねぇ、魔王くん?」
「そうじゃないって」
それがホストクラブのシステムだ。担当なしは一見の時だけ。2度目からは担当がつく。その担当は今日場内をもらったか、送り指名っていう、退店時に見送る権利をもらったホストだ。
今、どうにか指名をもらえれば、間違いなくかおるさんの担当になれる。このままこの席を立っちまったら、送り指名がもらえるかどうかなんてわからない。
せっかく、今日は初回クーポンで来てんだ。通常なら有料の場内指名が無料。指名してもらうなら今。
今なんですってばかおるさん!
「あたしは、フェスに行って2バンドしか見ないで帰れる女じゃないのよね」
「フェス……?」
「行ったからには、出来る限りたくさんのバンドが見たいわよね」
「あー……はい、そうですね」
それはわかる。お目当てのバンドだけ見れりゃいい、って登場ステージで一日待つのも楽しみ方だけど、俺は隈無くタイムテーブルをチェックして、見たことないバンドも見ときたい。
かおるさんは同じタイプだなってことだけはわかった。
「三十三間堂で仏像3体しか見ないのもつまんないしね」
「三十三間堂」
あれか、京都にあるあれか。仏像なのか、俺らは。
「じゃあね、マオ」
かおるさんはニヤニヤして俺に手を振る。
「嫌ですよ! ここに居させて下さいよ! Motley Crueとか、ほら、その、あれ」
「POISONとか?」
「それっす! その辺のこと教えてください!」
必死に頼み込む俺に、かおるさんはウィンクした。
「じゃあまたいつか」
飛んで来た投げキッスは、オピウムの香りがした。
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