「客入りいいよね、あの店」
オープンと同時に、アユミ様のご来店。今日は誰も来ないで欲しかったってのに。アユミがいたんじゃ、かおるさんに付きっきりになれない。
そんな俺の事情にはお構いなく……お客様がこっちの事情を汲む必要はないけど……アユミはご機嫌だ。
今いるヘルスを一ヶ月後に辞めて、ソープに移る算段はついた。アユミが辞めるって言った時に、店長が引き止めたのはヤラセ。そうやって、一ヶ月だけ引き伸ばす。アユミはその間がっつり出勤して、指名客にソープに移ることを告知するに決まってる。それで、出来るだけ固定客を引っ張る。SNSや匿名掲示板でも、アユミの移籍は知れ渡る。何なら俺も書くし。最高級ヘルスのナンバーワンが、最高級ソープに移籍するんだ。名古屋の風俗好きにはたまんねぇ話だろ。
客はアユミとやれる、アユミは稼げる、風俗グループ儲かる、俺も売上出せる。誰も損しねぇ素晴らしいシステム。
その告知期間の合間、今日はソープの方で血液検査と講習と体験入店に行ってきたってわけだ。ソープの方でもアユミは使えることがわかってるから、今日のフリー客はアユミに全回ししただろうな。万が一アユミに「稼げない」って思われちゃ、逃げられちまう。
「マットプレイとかしんどくねぇ? 大丈夫か?」
出来るだけ心配そうに聞いてやる。
「平気平気! あたしこれでも毎日筋トレしてんだから」
アユミのこういうプロ根性はいいと思う。
ソープはヘルスの単純な上位互換じゃない。ソープならではのプレイってのがあって、嬢にとっても、稼げる代わりにそれなりに難易度が上がる。バックが上がるのは、単純にちんこ入れるからだけじゃねぇんだわ。
マットプレイは何やかんやで……筋力とテクニックがいるんだよな。
「風俗なんか、裸で男に好きに触らせて、ちょっとちんこ咥えてアンアン言ってりゃいい楽な仕事」とか思ってる奴には、俺は全力で中指を立てる。あれはな、職人の仕事なんだよ。技術力が収入に直結する、実力本位の厳しい世界だ。やるべき仕事サボりながら定額を毎月もらってる奴に、風俗を非難する資格はねぇ。
だからさ、そういう面では俺は客の嬢をリスペクトしてるよ。俺の為にそんな難しい職業をこなしてんのには、感謝する。
でもなぁ……「お客様は神様」ぶられるのは、また別問題だよ。
もてなす側の彼女たちは一流だけど、もてなされる側になるとそこから三流が発生すんのは何でだ。
「へぇ、だから締まりがいいわけだ」
「うわ、マオ、スケベ! そこは関係ないでしょ」
「ん? 腹筋の締まりだぜ?」
「もーっ!」
しょーもね。お前のあそこ、別に締まりよくねぇよ? ゆるゆるでもないけど。
あーあ、早くかおるさん来ないかな。
軽口でアユミの機嫌を取りながら、チラチラとエントランスのドアを見る。予定通りならそろそろのはずだ。
開いたドアから入ってきたのは、零夜さんにエスコートされたモデル級美人。つーか、あの人、モデル。そんで社長。年収何億とかって話で、テレビにも良く出てる。だけど、あれでも零夜さんのエースじゃないっていう、遥か上空で行われてる空中戦、いつ見ても怖ぇ。
本日も鮮やかでお美しい。眼福。心の中で手を合わせ、俺のエース様、アユミの話に適度に相槌を打つ。
トップ風俗嬢がエースのうちは、ナンバーツーまでの距離は遠いよな。遠い方がいいけど。この位置だと、客が「頑張ればナンバーワンに押し上げられるんじゃないか」って勘違いしてくれるから。
ぶっちゃけ、俺がいるナンバースリーから下は団子。俺は手駒にアユミクラスの風俗嬢を取り揃えてるから、一人当たりの売上が上がって頭一つ出てるってだけで、担当人数でいえば下何人かとそんなに変わらない。
もうちょいでマリコがキャバクラに送り込めそうなんだよな。上手いこと話を持ってって、おっパブにやれりゃ更に手間が省けるし、何なら最初からデリヘルでもいい。
あーあ、一人夜職にする度に、死期が早まる気がするわ。
いいけどね。どうせ、もう一回ミュージシャンになれるわけもないんだし。音楽に関われないんなら、何やってたって同じだし、死期なんかいつでもいい。
「ねーマオ、今日どこ行く? ノエル?」
「あ? ああ、デラックスにしとこうか」
こっから近場のやっすいラブホ。デラックスとか言ってもさして広かないし、最低ランクの部屋と2000円くらいしか変わらない。でも、デラックスって響きだけはいいし、一応そこそこ部屋が綺麗だ。そんなだから、ここいらのホストはめっちゃ使ってる。隣の部屋も、その隣の部屋も、枕営業花盛りだ。
つーか、やっぱラストまでいる気か、お前。
「うん。予約しといてよ」
「オッケ。ちょっと待てよ」
ま、平日だから空いてるっしょ。それに、ここのデラックスルームって公式には一部屋なんだけど、実は3部屋ある。全く同じ内装にして、同じ階に配置してる。ラブホでエレベーター降りて、右に曲がったか左に曲がったかなんて覚えてないだろ? なかなか賢いやり口だよ。俺らはしょっちゅう使うから気が付いちまって、ホストの間では常識。
ネット予約すべく、サイトを開く。ほらな、空いてるよ。いつも通りに、0:30末松。俺の源氏名はフルネームで末松マオ。名字なんか名刺とこんな時くらいしか使わないけど。
「マオさんお願いします!」
スピーカーから飛び出した自分の名前に驚いて、そしてすぐに気が付いて入口を振り返る。
既に席にエスコートされたのか、そこにかおるさんの姿はない。
とりあえず、光瑠と目を合わせて、聞こえてるって意思表示だけしておく。
「えー、何なの? 他の女が入ってるの?」
「ごめんな、今日の予定、その席だけだから我慢してくれよ」
「ほんとぉ? とか言って、後からまだ来たりしない?」
「しないしない。後はもう連絡来てないから」
「来ちゃったのはしょうがないけど……来るって連絡あったら断ってよ。ムカつく」
……そうだった、アユミはすげぇヤキモチ焼きなんだ。だから、オープンラストしやがるんだよ。俺が他の女とベタベタしてないか、ずっと見てやがる。
表に出たところでキャットファイトされても困るし、かと言ってイチャイチャするって業務を放棄する訳にもいかないし、週末なんかで席が被るとマジで頭が痛い。夏方もヘルプに入るとめちゃくちゃ消耗してるから、ほんと悪いと思う。
「わかってるって。アユミがいるんだからさ、他に使う時間勿体ない」
「でも今日は被ったんだ」
めんどくせえんだよお前は! お前一人で俺をナンバーワンに出来るとか思ってんのかよ! 現実を見ろ、現実を。
「今日しかダメな人でさ。大丈夫、ちゃんと戻るから。それにほら、な?」
話しながら完了させた予約画面をアユミに見せる。
「お前とは朝マック」
「あーあ……わかったよ。ちゃんと待ってるから、適当に帰らせてよ」
ふざけんな。もしこれがかおるさんでなくても、手抜きして雑に追い返す真似は流石にしない。早く帰れよって念じることはあってもな。
「可愛いこと言うなよ。待っててくれな」
可愛くねぇわ。俺がお前の仕事に対して、同じこと言ったらどうなんだ。
……喜びそうだな、こいつの思考回路なら。
アユミの頭を撫でて、席を立つ。光瑠のところへ行き、かおるさんのテーブルナンバーを確認。出来るだけアユミの席から死角に近いところを押さえといた。店的にもキャットファイトは避けたいから、こういう場合は融通してくれる。勿論、完全な死角にはならないから、俺が視線を塞ぐ形で座ればいい。
黒い内装にギラギラ光る、無駄に豪華なシャンデリア。平日だけど、今日の客入りはそれなりにいい。
大音量で流れる音楽とミラーボールの光の中を歩くと、あちらこちらからの目線を感じる。
ライブのオープニングみたいだ、っていつも思う。これで名前を呼ばれたら、どんなに気持ちがいいんだろう。
何も仕事してねぇって散々揶揄されたし、馬鹿にされたし、陰口も叩かれたし、正面切って叱られたこともあった。
もう一度、あのスポットライトを浴びたい、なんて贅沢な夢はもうヤメだ。忘れろ。俺にはやっぱり無理なんだ。
フロアの隅の席にたどり着く。
「いらっしゃいませ。お待ちしてました」
「おはよ、マオ」
かおるさんは今日もお美しい。
今日のお召し物は、シンプルな黒のタートルネックに、ローズレッドのロングタイトスカート。足をほぼ覆い隠す丈が慎ましやかなんだけど、膝辺りまで入ったサイドのスリットが、この下のおみ足を想像させてエロい。さぞかし綺麗だろうな。
「おはようございます。お隣、失礼します」
「どうぞ」
今日はスツールじゃなくて、ソファへと誘導してくれた。俺はそれに従って、隣に腰かける。あくまでも、冷静な距離を保って。絶対、べったりされんの嫌いだろう。
それから、かおるさんの向こう側にいる後輩の女の子に笑顔を向ける。
「はじめまして、マオです」
彼女は俺が差し出した名刺を受け取りながら、軽く会釈をしてくれる。それから、テーブルにきちんと置いていた夏方の名刺と並べる。
あっちには、一発目から夏方をつけた。夏方なら安心だ。色恋もするけど、俺みたいな汚いやり口はしない。ちゃんと相手を見てだし、すぐに手を出すこともしない慎重派だ。風呂に沈めたりもしないしな。
それに、トークも上手い。基本的にはごく普通の会話でまったり楽しませられるタイプ。だけど、相手がハイテンション系ならそれにも合わせられる。オールマイティだ。こいつは、どっちかっていうと麻琴さん系。余談だけど、零夜さんはクールな俺様系。
「ミキちゃんよ」
かおるさんが、そう彼女を紹介してくれる。ちょっとあどけない感じの童顔で、何つーかいかにも「女の子っぽい」コーディネート。ロリータまでは行かないんだけど、そこかしこにフリルとか付いてる。でも、くどさがないから、「ああ、可愛いな」って印象だ。
「やっぱり美人の後輩は可愛いですね」
「でしょ」
ここで謙遜しないとこが、かおるさんのカッコいいところだよな。無駄に「そんなことないよー」とか言われると、は? 褒めた意味ねぇだろ? って思う。
ミキちゃんも否定はせず、照れたように微笑むだけだ。うん、良い。
「ミキちゃんはどんな字書くんですか?」
「恥ずかしいんだけど、安藤美姫と同じ字なんです」
あ、なるほど。それは名乗る時に勇気いるな。可愛く育ったから辛うじてセーフだけど、ほんと親も考えた方がいいぞ。
「いいですね。美しい姫ってぴったり」
夏方が、爽やかな笑顔でさらりとそう言う。いやほんと、爽やか。俺なんか爽やかの欠片もねぇ。何で俺の客たちは夏方をヘルプに選びたがるのかと思うけど、タイプが違うからだな、きっと。
「ほんと? でも、美しいも姫も大袈裟だなって、自分では思ってるの」
お、「大袈裟」ってことは、少なからず自信があるわけだ。いいじゃん。そういう女は綺麗になるよ。
「大袈裟っていうか……ニュアンスがね」
夏方がミキちゃんの目をじっと見て、ニコッと笑う。この、少年のような無邪気な笑顔がこいつの武器だ。
「美しいっていうより可愛いし、姫じゃなくてプリンセス」
おいおい、最早名前じゃなくなったぞ。っていうツッコミは胸に秘めておく。
「やだ、夏方くん上手だなぁ」
照れるミキちゃんの隣で、かおるさんは苦笑してる。この辺、人生経験の差だな。ミキちゃんはあんまり免疫なさそうだ。このまま上手いこと夏方が担当になりゃ安心なんだけど……ま、次回はもうないだろうから、大丈夫か。
「かおるさん、今日はお仕事でしたか?」
ミキちゃんは夏方と打ち解けつつあるみたいだから、あんまり邪魔しない方がいい。俺はかおるさんに軽く振ってみる。
「そうよ。明日が休みだからね、ミキちゃんが前々から興味ありそうだったから連れて来たのよ」
「へぇ、そうなんだ。ミキちゃんモテそうですけど」
何もこんなとこで、胡散臭い俺らにわざわざチヤホヤされる必要はなさそうだ。
「モテるみたいよ。…っていうか、あたしはモテなさそうってことかしら?」
「嫌だな、違いますよ」
笑いながら言ってるから、本気じゃないな。良かった。確かにそう聞こえちまうよな。
「でも、俺はかおるさんにモテて欲しくないですけどね」
「何それ」
「そのまんまの意味です」
55歳とか、かおるさん超越してんだもん。絶対にモテるよ。
俺みたいなしょーもないホストが相手にされるとは思ってないけど。
「お仕事、何されてるんですか?」
「仕事?」
「あ、言いたくなきゃ良いですよ」
そういうプライベートをつっこまれるのが嫌いな人もいるからな。俺らに対する警戒心もあるだろうし、仕事やなんかのことを忘れに来てる人もいる。わざわざここで、浮世の愚痴とか言いたくないって気持ちもわかる。
「別にいいわよ? 歯医者よ」
「先生ですか!」
そう言われると、そう見えて来るような来ないような。こんなエロい先生出て来たら、通いた過ぎて虫歯作りまくるわ。
あれ、それ嫌われないか?
「やぁね。歯科衛生士よ」
「って何ですか?」
聞いたことあるようなないような。
「先生のアシスタントしたり、クリーニングしたり……そうね、歯医者版の看護師みたいな感じかしら」
「ああ! あのお姉さんたち、そういう職業なんですか」
「歯科助手って職種もあるけどね。あたしは審美歯科が専門」
「しんびしか?」
何だろう。歯医者って種類あんのか。
「見た目綺麗にする専門よ。わかりやすいのは……芸能人が、綺麗な歯にしてるでしょ。ああいうの」
芸能人は歯が命って奴か。何となくイメージはわかった。
「白くしたり、矯正で歯並びきれいにしたりね。あんたの八重歯だって治るわよ」
あれ、かおるさん、俺の八重歯なんか見てくれてたんだ。左右とも八重歯なんだ。牙みてぇに、ちょっと下唇に乗っちまう。ちょっと嬉しいな。ちゃんと顔見てくれてるんだ。
「じゃあ、かおるさんとこで治そうかな」
俺が素直にそう言うと、かおるさんはあははと笑う。
「あたし個人は、そこまできっちり並べた歯ならび好きじゃないわ。可愛げがないもの。マオの八重歯はチャームポイント」
「えっ」
「患者さんの前では言わないけど。だしね、あたしはクリーニングとかホワイトニングがメインだから、矯正で来ても治療にはつかないわ」
「じゃあやめよう。かおるさんにやってもらえるのは、その、クリーニングですか」
わざわざ行って、かおるさんに会えないんじゃ意味ないよな。患者で行って何かやってもらえるんなら、行ってみてもいい。
俺、ストーカーみたいだな? これ。ヤバいかな。
「あんた、タバコ吸うでしょ」
「あ、はい」
「ヤニついてるわ。それ、取れるわよ。あと、ここじゃ暗いからあんまりわかんないけど、黄ばんでるならホワイトニング。男前上がるわよ?」
「いいですね、それ」
ん? これ、俺が営業かけられてないか? 逆じゃんよ。でも、かおるさんに営業かけられるならいい。
「来る?」
「いいんですか?」
「いいわよ。あたしが担当してあげる」
「マジですか!」
それなら、かおるさんをこっちへ引っ張る必要がない。あんまり来る気がないかおるさんに、しつこく連絡するのは気が引けるからさ。
嫌われたくないじゃん? 素で好みのタイプの女に。しかも、音楽のことに詳しいんだ、普通に仲良くなって、飯でも食いながらいろいろ聞かせて欲しい。
「近くです?」
「近くよ。久屋。ブルーム美容クリニックって聞いたことあるでしょ」
テレビでCM見たな。美容整形じゃなかったか? 客でもあそこで整形してる子いたな。
「整形ですよね」
「デンタル部門もあるのよ。マオからぼったくる気はないから、心配いらないわ」
いやもう、かおるさんにならぼったくられてもいい。
かおるさんが組み替えた足に、つい目がいく。ほんとに動作がキレイだ。スリットから見える、白いふくらはぎが細くて眩しい。これが55歳の足かよ。うちのおかんなんか……やめよう。比べちゃいかん。
「行きますよ。明後日にでも!」
俺が身を乗り出すと、おでこをぺちんと叩かれる。
「はいはい。午前中起きてる?」
「大丈夫です」
かおるさんが言うなら、4:00でも起きる。
「じゃ、午後の空いてる枠に予約入れとくわ。時間決まったら、午前中のうちにLINE入れるから」
「お願いします!」
俄然、歯を白くしたくなった。考えたこともなかったけども。新庄くらい白くしてやる。
っていうか、LINE! LINEもらったら、連絡が取りやすい。さっき電話番号は即登録したけど、LINEの方が気軽だ。
「OK。平日だから1枠や2枠空いてると思うわ」
「楽しみだな。歯医者何年ぶりだろう」
「何年ぶりなの」
「んー……わからんすね。中学……?」
うっすらそんな記憶があるけど、あれは中学だったか高校だったか。
「ほんとに? それなら初回はコンサルと徹底的にクリーニングね」
「はーい」
「詳しいことはその時に説明するわね。ホワイトニングがいるかどうかは、クリーニングしてから相談」
「いや、します!」
「今どれくらいの色なのかわからないじゃない」
くすくす笑って、勢いづいてる俺の肩を叩く。俺は何でもいいから、かおるさんに会う為に通いたいんだ。
「いりますよ、絶対。100回くらいやります」
「歯がなくなるわ」
かおるさんは声を立てて笑う。かおるさんの笑い声は、色気があるなぁ。それで、ちょっとだけ可愛さがある。
「面白い子ね、マオは。そんなに投資したからって、あたしはこっちに通わないわよ?」
「そういうんじゃないですよ。俺は」
かおるさんが小首を傾げて俺の顔を見る。俺は……かおるさんに会いたいだけなんだ。けど、気持ち悪いかな。でも、正直な気持ちだ。こんな百戦錬磨の大人の女の前でカッコつけても、お見通しだろ。カッコ悪くてもいい。
「かおるさんに会いたいんです」
「おかしなこと言うわね。こんなババアに会ってどうすんのよ」
「バンドとか音楽とかの話をしたいんです」
「仕事中は仕事の話しかしないわよ?」
ああ、そうだよ。当たり前だよな、行けばかおるさんは仕事中。別に雑談しに行ってるわけじゃないんだから、無駄口は叩かずに顔だけ見て……。
それでもいい、か? うん、それでもいい。それだけでも、少し近付ける気がする。
「それに、そういうのは友達と話せばいいじゃない」
つい、軽く唇を噛む。それから、笑顔で答えた。
「……音楽関係の友達はいないんです」
「……ふうん」
かおるさんは目を細めて頷く。
「いいわよ? マオが音楽が好きなら、そのうちお互い仕事抜きで呑みましょ」
「やった!!」
よし、約束を取り付けたぞ。この耳で聞いた。脳内に完璧にメモしたからな。
「マオはどんなの聴くの」
チャームのカシューナッツをつまみながら、かおるさんが俺に聞く。
「メインはヴィジュアル系ですけど、結構雑食で色々聴くんで、ミクスチャーとかハードコアとか、ギターロックみたいなのも」
「バンド名で言うと?」
「Janne Da Arcが一番好きです。SEX MachinegunsとかL'Arc~en~Cielとかも」
「マオいくつよ」
「俺は28ですけど、年の離れた兄ちゃんがいるんで、そっから」
「ああ、なるほどね。それなら計算合うわ」
兄ちゃんは10歳上だ。兄ちゃんもバンド野郎で、俺はガキの頃からヴィジュアル系を聴かされて育った。
聴かせるだけで才能が育つならいいよな。身近にいたけど、そんな奴。俺は残念ながら才能が育たなかった。そもそもないもんが、成長するはずがない。あれは、あるから育つんだ。芽生えるんじゃない。
バンドをやってた兄ちゃんは、音楽事務所にマネージャー職で就職した。そこはヴィジュアル系とは全然縁がない事務所だけど、楽しく仕事してるらしい。
「マシンガンズなら、あたしも結構好きよ。じゃあ、The冠は?」
「それ、知らないです」
変なバンド名だな。何系なんだ。
「マシンガンズ好きならツボだと思うわ。コラボもしてる。聴いてみて」
「そういう感じですか。聴いてみますよ」
コミックソングっぽいけど、音楽的には本格派、なヤツかな。そういや、打首獄門同好会もそうだ。
「かおるさんは、ああいうのが好きなんですか?」
「ん? ああ、嫌いじゃないけど、メインはスラッシュね」
「スラッシュメタルですか」
めちゃくちゃ速くてめちゃめちゃヤバい感じのメタルだな。意外なような、かおるさんみたいにチャキチャキしてたら似合うような。
「そうよ。わかる?」
「何となくなんですけど。日本のバンドってありますか?」
かおるさんは、眉を上げて肩をすくめる。
「あるわよ、いくらでも」
「うーん」
「知ってるかしらね。ケルベロスって」
「ケルベロス……」
記憶の中にぼんやりとその名前がある。どっかで聞いたな。
「名古屋のバンドよ?」
「ああー……」
そっか、それで聞いたことがあるのか。
「ま、マオの世代で聴く子はそんなにいないか」
「いくつくらいの人たちですか」
「4人全員57。デビュー33年」
「すげぇ」
大ベテランだな。親の世代だ。しかも現役なのか。
「あたしの元旦那がいるんだけどね」
「ええっ!」
思わず腰が浮く。驚く俺を見て、かおるさんは可笑しそうに笑う。
「やあねぇ! 元旦那の一人くらいいるわよ。息子と孫がいるんだから」
「あっ、あ、ですよね……」
そうだ。そこに全然気が回ってなかった。何だか、かおるさんには生活感がなさすぎて。
「ドラムの和馬が元旦那でね。今も普通にライブ行ってるわよ?」
「気まずくないんですか?」
俺にはその辺想像つかないな。別れた女の顔見るのは、大抵気まずいんだけど。
「別に? 離婚してからずっと友達だしね。息子の父親なわけだし」
子どもって要素があると違うんだろうか。不思議な感じだ。
「あたしの親友が、ヴォーカルの圭介の嫁だしさ」
「へぇ……」
ってことは、今も関係者扱いだったりすんのかな。そんな事を思うと、また少し、かおるさんが遠ざかった気がする。
「そんなの別にして、ケルベロスはすっごくカッコいいから、聴いてみて。損はさせないから」
「聴いてみますよ」
かおるさんが勧めるなら、間違いはないんじゃないかって思える。ケルベロスな、ケルベロス。覚えた。
「今年、スタジオライブの新録でベスト出てるから、あれ聴いてよ。最新が最高なのよ」
目を輝かせるかおるさんが、ちょっと少女みたいで……複雑な気持ちだ。友達、って言ったけど、元旦那とどんな関係なんだ。今でも好きだったりすんのかな。別れたことを後悔してたりすんのかな。それとも、純粋にバンドとして、ミュージシャンとして好きなのかな。そうじゃないのかな。
…胸の中がモヤモヤする。
「マオ?」
「……ケルベロスの他には」
「ん? そうね、王道のメタルも好きだから、ANTHEM」
知らないな。王道のメタルか。俺が知ってる王道のメタルと言えば……。
「……LOUDNESSは、どうですか?」
「好きよ。LOUDNESSなら知ってるの?」
「一応、4期以外は」
「なるほどね」
流石かおるさんだ。これだけで、いつ頃のLOUDNESSかわかったみたいだ。
「早川さん」
かおるさんの肩を叩いて、ミキちゃんが声をかける。かおるさんが振り向くと、耳打ちをした。
「ミキちゃんがいいならいいわよ?」
ミキちゃんはかおるさんの返事を聞くと、ニコッと笑って夏方の方へ向き直り、スマホを取りだした。
やるじゃん、夏方。LINEゲットか……ってそういや俺仕事中だったわ。忘れてた。
一発目を夏方にして正解だった。こいつなら大丈夫だ。安心して任せられる。
「マオさん、マオさーん、お願いしまっす」
光瑠の声が、更に俺を現実に引き戻す。そうだった、アユミを置いたままだ。
「かおるさん、あの」
「あら、席被ってたの。行ってらっしゃい」
名残惜しい俺と反対に、かおるさんはあっさりしたもんだ。そうだよなぁ。今日の俺は、担当という名の営業よけのお守札だ。
「すぐ戻りますよ」
「いいわよぉ。あんたもがっつり稼がなきゃでしょ。ここにいたって、精々ビールくらいしか呑ませてやんないわよ」
鏡月は飲み放題、割物は水とソーダと烏龍茶は無料。それ以外の飲み物は別料金だ。その中でも、ビールは最安クラス。一本2000円するけど。
「ナンバースリー様だもの、そっちの席はシャンパンだって開くんでしょ」
「まぁそうなんですけど……」
今日開かなくたって、その分明日稼げばいい。でも、かおるさんと話す時間はそうそう取り返せない。
……つってもなぁ、席がある以上、俺はホストとして行かなきゃいけないんだよな。
「何よ。ほら、ボケっとしてたらスリー降格よ」
かおるさんが俺の背中をバシッと叩く。
「シャンとしなさい! ほら」
背中から、気合いが注入されたみたいだ。知らないうちに下がってた肩が、ビシッと張る。
「樋口期の話は後でしましょ」
「えっ!」
そう、ドラムの樋口宗孝さんが在籍したのは、4期と現行以外なんだ。4期だけが本間大嗣さんで……。そこまでわかんのか。うわ、また離れたくなくなった。
「そういうことでしょ? 4期以外ってことは」
「はい! あ、じゃあ行ってきます! 帰らないで下さいよ!」
「ワンセットはいるわよ。さぁほらほら」
かおるさんに急かされて、腰を上げて席をはずれる。
「いってきます」
片膝をつきそう言うと、かおるさんはひらひらと手を振ってくれた。
一旦、光瑠のところに行くと、光瑠が苦笑する。
「あんまり話し込んでるから、タイミングしくったじゃねぇか」
「アユミ、ヤバい?」
「もう5人取っ替えられた」
「マジかぁ」
夏方をこっちで使ってるから、アユミんとこはそれ以外でまわしてんだよな。いつもと違うから気に入らないんだろう。わがままなヤツだよ。
「すぐ行く」
「頼むわ」
急いでアユミの席へ向かう。ヘルプで座ってた涼斗は俺の顔を見て、明らかにほっとしたって表情を浮かべた。ほんとすまんな。ナンバーフォーをもってしてもダメだったか。
「ごめんアユミ!」
涼斗へのすまないという気持ちを全力で込めて、アユミに向かって手を合わせる。アユミには悪いと思ってない。俺が一人しか存在せず、しかもナンバースリーである以上、腹ん中がどうあれ譲り合うのが筋だろ。店のシステムがこうなってるんだから。
「ちょっとマオ、長くない? 何分経ったと思う? どんな女よ。あたしより若いの? 可愛いの? そうなんでしょ」
こないだ25になった、コテコテに濃いナチュラルメイクのアユミが、何を気にしてんのかよーくわかったわ。
「ちょっと顔見て来る」
「やめろって。な? お前より全然歳上だし、可愛くないし」
可愛くない、わけではないけれども、断然綺麗って印象だからな。嘘ではないし、貶してもない。そこを言わないだけだ。
それに、俺が|夢乃《ゆめの》|美唄《みうた》のファンなのはこいつにバレてるから、歳上って言えば対象外だと思うだろう。夢乃美唄は、19の可愛い系AV女優だからな。かおるさんとは正反対だ。
「あ、じゃあしつこいんだ。そうでしょ。それでマオが抜けられなかったんでしょ」
「そういうわけじゃないけどさ、まだ2回目だからここでがっちりと」
「だから夏方まで使ってんの。へぇ。あたしより稼ぐ女なの」
マジでめんどくせぇな! プライベートなら張り倒してるわ。
「まだどれくらい引っ張れるかわかんねぇけど、ちょっとでも売上にしたいから、な? 今月こそは零夜さんに肩を」
「琉貴、ドンペリゴールド」
アユミが低い声で、スツールに座ってた琉貴に言いつける。
「シャンコ、全員」
引く。流石に引く。何でもない日バンザイ過ぎるだろ。ドンペリニヨンのゴールド、うちでは45万だ。
「行かないよね、そっちの女のとこ」
横目でじろりと俺を睨む。
あー、ホント女って怖ぇ。派手にシャンパンコールやって、格の違いを見せつけようってか。無駄だぞ、かおるさんは俺をそんなふうに見てないんだから。多分、シャンコ始まったら爆笑するんだろうな。
「流石に指名もらってるから、そうはいかないよ。でも、早めに戻るから」
「それなら許したげる」
おーおー、上からですな、神様エース様。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!